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赤坂憲雄『性食考』

愛が空中で獲物を狙うハゲタカなら防ぎようないねそれじゃ何をわかちあおうか…(THE YELLOW MONKEY「聖なる海とサンシャイン」)

この曲を聴きながら、中勘助(写真)の「犬」という小説を読んでいて、愛するということが相手を殺し、食べ、自分のものにすることなのだという、日ごろ世間で隠されている残酷な一面についてしみじみと考えていた。人間は何かと気取っているが単なる動物の一種にすぎず、食事だけでなく、排泄もすれば、性交もする。「犬」では男女の虐待的な(センスのない)性生活(つまり「結婚」)を犬に置きかえて生々しく描かれているが、中の潔癖なまでの女性(弱者)に対する人権意識やナルシシズムから、性(男性、とりわけ老人、権威)への嫌悪感が示されているように感じる(当時そういう結婚生活を送っている女性が多かったのだろうと想像する)。ひいては人間の伝統的な家族生活(?)なるものの欺瞞を暴いていて、個人的には痛快であり、深い悟りを得た(閲覧注意)。
そんなとき、赤坂憲雄の『性食考』(岩波書店・P159~)を読んで、「「性」と「死」は同時に登場したものである」 らしいと知った。中村桂子『生命誌とは何か』によると細胞分裂の単細胞時代は「生」から「生」への連続しかなかったが、「性」ができてから「個(体)」ができ、同時に「死」ができたそうだ。「多様性」がさまざまな危機に対して、種が生き残る可能性を広げているという。しかし個体ができたことによって、「食うか食われるか」の戦争や差別や搾取、「モテるかモテないか」という愛憎のエンドレスリピート……てんやわんやの悲喜劇が生まれた。消費する、される。雇用する、される。扶養する、される。その与え奪う社会的なSEXにどれだけ合意し参加できるか、どれだけ相互に主体的になれるか、どれだけ民主的に行われる(せる)かが個々の幸福度を左右するのだろう。

第10回本の会(テーマ「食とその周辺」)に参加して/本の青空no.12

赤坂憲雄『性食考』についてはこちらにも👇 はてなブログ:もやもやずぶちゃん「性とお金、死について①」zubunogakkou.hatenablog.com/entry/2018/04/23/204123



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