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はじめまして、note。てきとう日記を書いていこう

 記事を書き終えてから気が付いたのだが、noteはプロフィール記事というものを設定出来るらしい。サイトでいう『Read  me』的なものだ。これをそれにしたいと思う。それ用の構成にはなっていないが、そういうところも含めて『てきとう』ということで。

 先日noteで初めて書いた記事(https://note.com/zubae/n/ne919aff77d7d)がどうやらそこそこ多くの人に見られていて、おまけに好評なようなので、調子に乗って、日記というかその日思った適当なことをnoteに書いていこうと思った。
 読みたい、と言ってくれる人が数人いるだけで書きたくなるものだから単純なものだ。

 noteのこのメモ帳の如くシンプルな編集画面は見ていて気持ちがいい。かれこれ10年はデザイン関係の仕事をしているが、私はゴチャゴチャとしたデザインよりは、ミニマルなデザインの方が美しく感じるタイプなのだ。

 私は、こうやって文章にしたり人と話すことで思考の整理をするところがあって、そういう意味でTwitterをやめられない。
 でも、Twitterはあらゆるノイズが多すぎて、自分が思ったような使いかたをするのが中々難しいのはみなさんもご存知の通りで、SNSである限り「他人」の影が色濃く付きまとうのだ。

 こういったブログサービス的なものも、インターネットにアップしている限りは他人との繋がりはもちろん切れないものだが、個人的にはTwitterよりは他人との距離があるように感じる。Twitterに共有するとしても、Twitter上ではワンクッションが敷かれた状態になるのも良い。合いそうな人は読めばいいし、合わなさそうな人は読まなければ良い。

 面倒なやつだなと思われるかも知れないが、私は他人を意識するのが嫌いな一方で、好きなのだ。自分の主張が許される空間では、ずっと自分の話をしているだろう。壁打ちに近いが、他人の賛同は欲しいのだ。
 そうじゃないと、自分が今どこに立っているのかが分からなくなる。

 他人を全く意識しない、『ゴーイング・マイ・ウェイ』なアーティスティックな友人もいるが、とてもうらやましい。かっこいいので、私もそうなりたい。
 ただ、そういう人は多くの場合、今までずっとなにかの要素で『許されてきた』人だとも思う。多くの人を惹きつけるなにかが最初から備わっているので、周りを意識せずに済んでいるのだ。

 これは愛されていた家の子ほど案外と精神的自立が早い現象と近いものがあると思う。人間、足りないものを求めてしまうものだ。

 私にとって何かを創ることは他人との架け橋を創ることでもある。そうやって、私が普段話したくても話せない思考の片鱗を形にして、人と関わる距離感が心地良い。
 文字は少し直接的すぎるところがあって、難しいのだが、長文の独り言なら読む人も限られるだろうし、良い気がする。

 一つ書いておきたいのだが、こうやって書いた言葉は『今』私が考えた言葉であって、1週間後、1年後、10年後には何かが変わっている可能性が高いということ。
 もちろん、長ければ長いほど、その可能性は高くなる。根底を覆すような大きなブレはそう無いだろうが、小さなブレはたくさんあるだろう。気軽に書くものなら、尚更だ。

 だから、色々と適当に読み流して頂けると幸いだ。逃げのようだが、文章の特性上致し方ないことだと思う。

 言葉に嘘偽りがあるわけではない。私の考えのごくごく一部分を、今の私が自覚する範囲内でクローズアップしたにすぎないものが全てだとは決して思わないで欲しいということだ。
 私に限らず、おそらくみんながそうだと思う。そういった前提で、文章を読んで頂きたい。


私について

最後に簡単な自己紹介。

・ZubaE
名前の由来は小学生の頃からのあだ名。本名のようなもの。
しがない田舎の主婦。家業で、一応webデザインのようなことをしている。
なまじ少し絵が描けるので、便利絵描き要員として使われることも多々あり。
スリランカ〜南インドのカレーが好き。近隣のバーに冷凍したものを提供中。
趣味はゲーム。近年は二次創作の腐向け漫画を描いて薄い本を作ったりしている。コロナでリアルイベントに行けなくなってしまい、方向性について悩み中。

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