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落ちたら終了、伯耆大山一本勝負 ZEROtoSUMMIT 鳥取篇(40/47)

2022/11/3-4
日本海~佐陀川~伯耆大山~天神川~日本海/101.5km

ひと筋の川をたどって海から山頂まで走るZEROtoSUMMIT(ゼロサミ)という遊びをやっている。
その国内篇として、全国各都道府県の最高峰まで海から走るゼロサミ47を2016年にはじめた。これまでに39座を走り終えている。

日本海から佐陀川ぞいに伯耆大山まで走る

鳥取県の最高峰は、大山である。
各地にある大山(だいせん、おおやま)と区別するために伯耆大山(ほうきだいせん)と呼ばれることが多い。
標高は1,729mで中国地方最高峰。
西日本を代表する名峰である。

鳥取県最高峰 伯耆大山の剣ヶ峰

その頂に落ちた雨粒は、幾筋もの川となってからいずれも日本海に注がれる。
そのなかから選ぶとなれば、やはり霊峰大山の表から参拝して登るのが礼儀だろう。
となると佐陀川(さだがわ)をおいて他にはない。河川としては日野川が格上だが、大山山頂とはつながっていない。

伯父に会いに行く

鳥取篇実施にあたりひとつミッションがあった。
学生時代、大変お世話になった伯父がいた。
画家であった伯父には、絵の描き方だけでなく、ものの見方や大切なことをたくさん教わった。ぼくを大人として扱ってくれた最初の大人だった。
七年前に亡くなった伯父に、ぼくはどうしても会いに行きたかった。

わが家の居間にかかる伯父俵正愉の作品

大田市出身の伯父の絵が、島根県松江市の県立美術館に収蔵されていると聞いている。
昨秋の島根篇の際は、あいにく美術館が改修工事中だったため、再会が叶わなかった。
今回の下山後に美術館を訪れることにしよう。

1日目(2022/11/3)
日本海~佐陀川~大山寺/26.6km

東京から出雲方面に向かうなら、寝台列車のサンライズ出雲を使わない手はない。
しかし、想像をはるかに超える人気で切符は手に入らず、夜行バスでまずは米子に向かう。

伯備(はくび)線の伯耆大山駅で降り、徒歩で佐陀川河口をめざす。
海に近い集落をさまよいつつスタート地点にアプローチしていると、軽い高揚感に包まれてくる。
このプロローグ部分がぼくはけっこう好きだ。
もしかしたらこのゼロサミ自体も、もっと大きな何かのプロローグなのかもしれない。

旧い街道をゆく

佐陀川河口に着いた。
境港を正面に見ながら日本海にタッチ。

9時44分、ゼロタッチしてスタート

振り向くと左前方に伯耆大山。
スタート地点からゴールの山頂が見えているのは、これまで走ってきたなかでは富山の立山、長崎の普賢岳、山形の鳥海山だけ。
残りはすべてはるか彼方の空のなかだった。

あそこまで走る

大山は信仰の山である。
近代以前の登山者は、皆生(かいけ)温泉で身を清めてから出発したものと想像する。その多くは、出雲大社の参拝とセットだったに違いない。

だからなのか、今回はいつもに増して「登らせていただく」感があった。
ここ(海)とあそこ(山)をつなぐ一本の道、綿々と受け継がれている古来からの信仰の道を、けっして汚してはならない。
計画段階では気づかなかったが、現地で山頂を仰ぎみているうちに自然と芽生えた感情だった。

大神山神社

10kmも走ると、米子の町、そして美保湾と境港が眼下にかすんできた。
日本海側の川は、東北を除いてどこも急勾配で、富山の常願寺川や新潟の姫川などのように、海から離れてほどなく山間部に入っていく。
これは日本列島の成り立ちにも深く関わっており、ゼロサミを通してそれを脚で実感してきた。

日本海が遠ざかっていく

伯耆町に入り、大きく蛇行する幹線道路を嫌ってショートカット中に緊急事態が発生。
予定していた道が廃道だったことは何度かあったが、橋ごと消えているとは。
最初は事態を飲み込めなかったが、無いものはしかたない。

道も橋も消えた

川の遡上も試みたが、すぐにあきらめた。あまりにも大変すぎる。1時間以上かけて来た道を戻る。
こんな事態も楽しまなくちゃ。でないとこんな遊び、やってられない。

Tさんが応援に駆けつけてくれた
夕暮れに染まりつつある大山
手前の芝生はゴルフ場用の商品だそうだ

陽が落ちて急速に暗くなってきた大川寺に到着。
どこも店じまいが早く、入浴とビール調達を慌ただしく済ませ、極上の寝床で翌日に備えた。

ビール確保

2日目(2022/11/4)
大山寺~弥山~剣ヶ峰~関金温泉

未明の大川寺本堂に詣でてからアタック開始。
目に入った先行登山者をどんどん抜いて、弥山(みせん:1,709m)登頂。
長居する理由もなく、さっそく下山だ。

7時05分、弥山サミット

じつはここからが本番である。
最高ピークである剣ヶ峰(1,729m)まで、弥山からの縦走を狙っていた。
表向きには通行禁止のルートだが、行けるかどうかは自分の目で判断しようと思っていた。しかし、視界不良ではまともな判断はできない。
ならばもうひとつの可能性に賭けるしかない。

弥山稜線の視界は10mあるかないか

日本全国47都道府県の最高峰の中で、その頂に登れない山が2座だけある。
長崎県の雲仙岳(平成新山:1,483m)と、この剣ヶ峰だ。
前者はさすがに自重して普賢岳(1,359m)登頂でよしとしたが、剣ヶ峰はあきらめていない。
が、事故が多発しているとも聞く。もし判断を誤れば、最悪の事態もありうる。
だからこそ他人の判断や情報ではなく、自分で決めたかった。


本番アタック

稜線を迂回して、象ヶ鼻からの剣ヶ峰アタックしよう。そうと決まればモタモタしてる暇はない。
元谷入口まで駆け下り、休む間もなくユートピア避難小屋まで一気に登り返した。
さぁここからだ。

小屋には先客が2名、象ヶ鼻まで登ったとのこと
剣ヶ峰をめざすと話したら驚いていた

思い直せ、引き返すなら今だ──と繰り返し警告してくる看板をやり過ごし、先に進む。
両側がスパッと切れ落ちた痩せ尾根が現れた。
尾根というより罠。岩がもろすぎて、触れた端からポロポロと崩れていく。なにかを間違えて落ちたら、あの世に一直線である。

心を無にして、四つん這いで進んでいく。
恐怖すら感じないまま、なんとか突破した。
核心部を抜け、恐怖心があとから襲ってくる。
いま登ってきたあの斜面を、いったいどうやって下りればいいんだ?
想像するだけでおぞましい。

剣ヶ峰山頂には意外にも登山者がひとりいた。
先週も三ノ沢コースから登り、今日もガスが晴れるチャンスをずっと待っているらしい。

10時40分、剣ヶ峰サミット
地獄の稜線で写真を撮る余裕は全くなかった


生還への道

その彼に象ヶ鼻から来たことを告げると、そのコースはありえない、対象外だとのこと。
その一言で決心した。生きて帰るため、三ノ沢コースを下ろう。
下山後に倉吉方面へ向かうにはかなり大回りになるが、たとえ半日余計にかかっても確実な生を選ぼう。

三ノ沢コースとてけっして安穏な道ではないが、悪意に満ちたあの地獄コースに比べたらだいぶマシだ。
峻険な岩稜地帯を抜けたあたりで急にガスが晴れ、振り返ると徐々に大山の全容が現れてきた。
あと30分は粘りたいと言っていた山頂の彼は、無事この絶景をものにできただろうか。

すこしずつガス(霧)が晴れてきた

さぁまたここからだ。無事生還はできたが、大回りをすることになり、倉吉まで30kmの大移動が待っている。

やってられねぇとも思うけど、このやるせなさやバカバカしさがゼロサミの真骨頂だと自分に言い聞かせて歩き始める。
振り返ると、深い秋色に染まった大山がいつまでもぼくを見下ろしていた。

あそこから下りてきたんだぞ

たっぷり残り半日をかけて、峠をふたつ越え、野添川と小鴨川ぞいに関金(せきがね)温泉まで走る。

大山方面から射してくる夕日がぼくを見送ってくれた

3日目(2022年11月5日)
関金温泉~倉吉市倉吉市~日本海/19.3km)

朝6時、関金温泉を出発。
もう今日は走らない。海にたどり着ければいい。
小鴨川ぞいの集落美をじっくり味わいながら、北上する。

耳神社がある耳地区

倉吉に入ってきた。
小鴨川支流玉川の白壁の街並みを味わいながら、雨のなかを歩く。

水路のある街並みは美しい

いつの間にか鳥取県を半分くらい横断していて、スタート地の米子より鳥取市のほうが近い。

海が近い

最後は天神川ぞいに歩いて、日本海ゴール。
また海に戻ってきた。
そしてバスと電車を乗り継ぎ、松江に向かった。

日本海に戻ってゴール

+1日(2022年11月6日)

一日かけて松江の街を歩く。
まずは松江城。

松江城

そして島根県立美術館へ。
日本を代表する建築家、菊竹清訓(きくたけきよのり)氏による名建築である。

宍道湖湖畔に建つ

伯父の絵は展示されていなかったが、学芸員の案内で館内に収蔵されていることが確認できた。

「塔のある船溜まり」俵 正諭 1991年

すこし残念だったが、この絵が展示されたときにまたここに来ればいいんだ。
そのときは伯父の故郷の大田市も訪れよう。
宍道湖に沈む夕日を見ながら、ぼくはそう心に決めた。

夕日を眺める初老の女性
彼女は何を思っているのだろう

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