超動くマンカラ(4)~ダニエル・ロプス著『イエス時代の日常生活』と4000年前のゲームボードが出土

前回の超動くマンカラはこちら。

今回は、小ネタ2篇をお届けします。

日本で最初にマンカラを伝えた書物?

第0回でも紹介しましたinterdiceのブログ記事「マンカラはいつから日本に来たのか」

この記事に、以下のようなことが記されています。

1964: ダニエル・ロプス「イエス時代の日常生活」が邦訳され、その中にマンカラについての記載がある(らしい、増川宏一「盤上遊戯」から。まだ未確認)。今の所マンカラについて遡れる一番古い日本語文献?

『イエス時代の日常生活』。
この書籍を一度拝見したいと思いました。
で、ダメでもともと徒歩60分の近所の図書館に蔵書していないか、問い合わせしてみました。

あったよ。

借りてみました。
3分冊でした。
正式はタイトルは『イエス時代のパレスティナにおける日常生活』。
1961年にパリで出版されて、3年後に並木居斉二さんと並木居純一さんが日本語訳しました。

大雑把にいうと、キリストが登場する前後である紀元前と西暦をまたぐ時代でのエルサレム、パレスチナについて、第1部:国土と民族、第2部:神を賛美する日と夜、第3部:民族と神と、地理・文化生活・宗教について書かれています。

マンカラが登場するのは箇所は、3巻目。
「第2部:神を賛美する日と夜 11慣例と風習、身だしなみ、閑暇 (5)娯楽と余暇」に記述されています。

【引用(32ページ)目後半】
「室内」遊戯のことは知られているが、ふしぎなことにわれわれのそれとひじょうに近い。発掘によって、計算札、六角独楽、サイコロが出土している。さいころはわれわれの用いるそれと同じである。ひじょうに不正確なさいころとさえ発見されている。これはいんちきのさいころであろう。しかしわれわれはかれらの遊戯の規則を知らないーーハッティの遊戯のそれは知られているのである。鳥遊びに似たいく種類かの遊戯がイスラエルにきわめて古くからあったようである。これはさいころを投げて円錐形のこまを一つの桝目から他の桝目へすすめるものであった。またわが「ひとり」遊びに似た穴のある小さな象牙の板もあった。以上はすべてローマ人がラトルンクラ、ギリシア人がプリントリオンと呼んだ遊戯によく似ていた。現今なおパレスティナおよびヨルダンでは、マンカラという七つの穴が二列についている盤に計算札をすべらせて遊んでいる。この遊戯はイスラム侵入以前からあったらしい。

長々と引用しましたが、マンカラは最後の2文で登場します。
イスラム侵入以前とあるので、7世紀にはあったと思われます。
「計算札」って何なのか気になりますが、石や豆などのコマのことをさしているのではないでしょうか。

引用から、すごろくやソリティアと思われる遊戯道具は発掘されているのですが、マンカラの遊戯道具が出土したことは書かれていません。

4000年前のゲーム盤が発掘された?

2022年1月28日のAutomaton-Mediaの記事です。

「4000年前のボードゲーム」が考古学チームにより発見される。オマーン北部において、謎の塔とともに出土

【引用】
そうしたなか、意外な遺物が発見された。それが、「4000年前のボードゲーム」である。石材で作られており、印のつけられた盤面と、いくつかのカップホールを有しているという。同じ特徴をもつボードゲームについては、青銅時代における数多くの経済的・文化的中心地において、遊ばれていたことが知られている。

気になるルールについては謎に包まれているものの、すでに発見されている類例から実像を想像することはできるかもしれない。もっとも有名なものとしては、イラクのシュメール人都市国家ウルから出土した「ロイヤルゲーム」が挙げられる。同ゲームはさまざまな図柄が描かれたマス目を使用。サイコロで出た目の分コマを進める、すごろくのようなルールで遊ばれていたとされている。同様のゲームは中東地域で広く発見されており、オマーンでも似たルールが流布していた可能性はあるかもしれない。

「ロイヤルゲーム」、別名「ウル王朝のゲーム」については、第1回目のnote、カラハの考案者Championさんが「これ、マンカラだよ」と誇張した話としてふれています。

で、発掘した写真を見ると「6、7個のくぼみが2列に並んでいるゲーム盤」のようです。
マンカラのゲーム盤の可能性、あります。
しかし、くぼみは浅く径も小さいので、多数の石などを置くには小さすぎます。
バックギャモンなどの系譜のほうが濃厚かも知れません。

締め

マンカラに絡む小ネタ2篇お届けしました。
次回もよろしくおねがいします。

では。

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