「ペンシルパズル」をスポーツ視点からいろいろ考えてみる。あと詰将棋も考えたら……
今回のノートは、『TwixT』の流れで放置していた「ペンシルパズルをスポーツの面から考えること」について書いていきます。
「ペンシルパズル」をスポーツ的に見る
この件を書くにあたって、
というノートを書きました。ポイントとなるのは、
スポーツを行うプレイヤーは、
消費者の側面(語源に沿ったスポーツ)と
生産者の側面(spoTa(蕾)という概念から連想したスポーツ)との
両面がある
ということです。
パズルという娯楽を考えたとき、その「ロール【役割を持つ人】」と「ツール《パズルのルールや問題など》」のつながりはおおよそこのような構造でしょう。
【パズルの作り手】:「パズルのルール・問題・解答を考えて制作する」
⇒《パズルという生産物》⇒
【パズルの解き手】:「パズルを解く」
パズルにおける「プレイヤー」は誰かとなると【解き手】になります。まあそうですよね、問題を解いて気晴らしをする消費者です。
それを踏まえてペンシルパズルの場合を考えると、もう1つ「ロール」が追加されます。
【ペンシルパズルの作り手1】:「ルールを考えて制作する」
⇒《ペンシルパズルのルールという生産物》⇒
【ペンシルパズルの作り手2】:「問題・解答を考えて制作する」
⇒《ペンシルパズルの問題という生産物》⇒
【パズルの解き手】:「パズルを解く」
ペンシルパズルも、パズル同様に「プレイヤー」は誰かとなると【解き手】だろうと考えるでしょう。そこを「スポーツ」を踏まえつつ疑ってみます。
問題作成者はプレイヤー?
先ほど考えたペンシルパズルのつながりの流れですが、2つに分けてみます。それにあたり、【ペンシルパズルの作り手2】は2つのロールに見かけ上変わります。
(1)ペンシルパズルのルール
【ペンシルパズルのルールの作り手】:「ルールを考えて制作する」
⇒《ペンシルパズルのルールという生産物》⇒
【ペンシルパズルのルールの解き手】:「ルールに沿った結果を導く」
(2)ペンシルパズルの問題
【ペンシルパズルの問題の作り手】:「問題・解答を考えて制作する」
⇒《ペンシルパズルの問題という生産物》⇒
【ペンシルパズルの解き手】:「パズルを解く」
そうすると、【ペンシルパズルの作り手2】は(1)では消費者の側面、(2)では生産者の側面をもつ「(スポーツの)プレイヤー」である、ともいえます。
以上を踏まえると、【ペンシルパズルの解き手】は何者なのでしょうか。
プレイヤーの結果はいうなれば(暗黙の勝利条件である、ただ一通りになるよう)ルールに沿った試合であると考えます。
【ペンシルパズルの解き手】とは、試合結果を筆記用具を用いて再生する観客(Playing Audience)であると(批判覚悟で)考えます。
ぶっちゃけると、「ペンシルパズル」とは、
(1)はゲームのルールに沿ってプレイヤーが行った試合結果
(2)は試合結果の観戦
の2つの事象の融合、ということです。
……いやいやいや、それは強引なこじつけじゃないの?と思われるでしょう。なので、もう少しツッコんで根拠を探っていきます。
それにあたって、ペンシルパズルによく似たパズルゲームの事例をあげます。詰将棋です。
詰将棋の問題作成者は何をしているかというと、
ゲームのルールに沿って、
勝利へ導くまでの棋譜を作成している
と見ることができます。
ペンシルパズルの問題≒詰将棋の問題≒将棋の棋譜
≒ルールに沿った試合結果
と考えてみると、連想できるかと思います。
まあいろいろとご意見はあると思います。ひとまず自分の考えは「ペンシルパズルの問題作成者は、決められたルールに沿って行動するプレイヤーである」として一旦区切ります。
詰将棋の著作権がなんかややこしい
前回のノートで『TwixT』の権利について書きましたが、それをきっかけにボードゲームに知的財産権はどうなっているか気になってきました。で、パズルゲームや詰将棋のほうも調べてみると、いろいろ驚くことがありました。まず、
(将棋などの)棋譜は著作物にあたらない。
この件についてはいろいろ文献や記事があります。noteの中にも、橋本長道さんの書いたノートがありました。
仮に、棋譜に著作権があった場合に最も困るのは、ビッグデータとして存分に利用する「将棋AIプログラム」でしょうか。
ちなみに、感想戦などの文章や映像メディアなどの中継には、著作権があります。
では、詰将棋の問題はどうか。1人の創作物だから著作権はある、と願いたいところですが、棋譜もある意味2人の協同(協闘?)生産物と考えると、それに倣って著作権はないと思われます。
詰将棋の著作権については、情報の網羅という意味では大変いいブログがあった。
読んでみると、やはり「著作権はない」となっている記事へのリンクがいくつかあります。
一方、逆に「著作権はある」という見解が、次の記事に書かれていました。
該当する部分を引用します。
詰将棋そのものの著作物性について判断した裁判例は見当たらないそうだが、パズルの著作物性が争われた裁判例(東京地裁平成20年1月31日判決)が参考になるという。
「著作権法は、表現を保護する法律であって、アイデアは保護しないとされますが、パズルの場合、アイデアの部分も多くを占めているため、なかなかその区別は難しいと思います。
この裁判例では、天秤のつり合い状態から物の重さ順を答えさせるという定番のパズルにおいて、問題の創作性を認めました。モチーフとなる連立方程式の組み合わせ(出題可能性)は無数にあれども、特定の連立方程式を採用してビジュアル化(出題)したということについて、表現の幅があると判断したのです。
これを詰将棋になぞらえていえば、初期状態の駒の配置は無数に考えられますが、その中で一定の作者の意図(合い駒、捨て駒等)に見合った形を選択していることから、全体として作者の個性が表れた創作的なものだといえるでしょう。
もちろん、詰将棋の中にも、超定番となった基本形のようなものがあり、そうしたありふれたものについては著作権が認められないと思います。ですが、それは音楽など他の表現についても同じです」
ポイントになるのは、
1)詰将棋自体に対する判例ではない
2)詰将棋をパズルとした場合の見解である
3)基本形、ありふれたものは著作権が認められない
の3点です。それぞれに対しての自分の意見ですが、
1)については間接的な見解なので、まだ憶測、仮説の段階ともいえます。
2)については将棋のバリアントとしての見解も考えないとならないでしょうから、不十分な見解である、ともいえます。
3)については、実質上無意味な見解であると考えます。パズルの難易度で決まるって……そもそも誰が決めるのか……って話ですよ。無理。
もし3)の見解で著作権性を判断するならば、詰将棋どころかパズル全体であやしいことになります。
あれ、前回のノートでも見たぞ?
ペンシルパズルと言いつつ、詰将棋の著作権について話が飛んでしまいました。というのも、前回のノートの最後で
日本の著作権法では、ボードゲームそのものは対象外
という仮説を立てましたが、今回のノートの構想を練っていくうちに、
日本の著作権法では、パズルゲームそのものは対象外
と同様の仮説が立ちました。
だとすると、「ペンシルパズル」に著作権があるという状況と比べれは、これは創作環境の不公平ではないかと思います。
さらにいえば、以前書いた「「日本パズル協会」と「パズルゲーム」の微妙な関係について仮説を立ててみる」での自分の見解(特に「パズルオーディション」)についても、今回の仮説(著作権の対象外)を基にして推敲する必要があります。
ということで、次回はボードゲーム、著作権に限らずゲームの知的財産権について書いていきます。
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