ポー『モルグ街の殺人・黄金虫』――エロ小説書き、本を読む#4

 ひょんなことから、ガチガチのR18小説を書き始めてしまったアマチュア小説書き。でもだからこそ、本を読まなくちゃ!
 というわけで、中断していた読書感想記事を再開することにしました。相変わらず無節操な行き当たりばったり読書、よろしければどうかお付き合いのほどを。
 過去の読書感想 →https://zsphere.hatenablog.com/


 実は読んでなかった名作というのがやたら大量にございまして、地道に潰していっている昨今です。
 というわけで、ポーの『モルグ街の殺人』、初読。大学時代は某ミステリ系サークルに在籍してたのにね。

 とりあえず、意外なほど、今日我々が知るミステリの体裁が既にほぼ完成していたことにびっくりしました。妙に警察関係に顔が利く探偵役が滔々と語り、新聞報道などから事件概要が語られ、警察のダメ推理が馬鹿にされるw 最初の推理小説ということでもっと過渡期的な味わいなのかと思ってましたが、この読み味だったら知らない人に20世紀の作品だと言ってもあまり違和感感じさせないかもですね。それくらい。
『黄金虫』も、やたら髑髏だの何だのというケレン味を加えてくる作風がすごい現代的で、他の古典作品に比べて「この味付け知ってる」という親近感がすごくある作品でした。なるほど、こういう味付けの元祖みたいな立ち位置なんだな、たぶん。

 個人的に『モルグ街の殺人』を読んでて思ったのは、以前シャーロック・ホームズシリーズを一通り読んだ時の感想を補強する要素がここにもあったんだなという感興でした。
 推理小説・ミステリー小説に、現在我々が親しんでいるのとは違った方向性、違った役割があったんだなというところですね。
 以前のブログ記事だとこの辺で言及してますが(リンク先『シャーロック・ホームズの事件簿』ネタバレ注意)


 本作、『モルグ街の殺人』の真相解明の場で、探偵役デュパンがキュヴィエの博物学を引用した部分があって、それで「あ、やっぱりそうなんだ」と得心したという感じです。
 繰り返しになってしまいますが……ホームズにはあって後続作品にはあまり見られない要素に、「そんなの知らなきゃ分からないよ」ってなる、今日のミステリと作法の違った作品がけっこうあるように感じたんですよね。特に後期作品に多いわけですけど、「ライオンのたてがみ」とか「白面の兵士」とか「這う男」とか。
 で、本作『モルグ街の殺人』の真相もそのクチだと思ったわけです。
 何かというと、実はこの時代の推理小説には、「海外からやってきた見知らぬ文物が異様な事件を起こしたのを、鑑定して明かす」というもう一つの探偵の役割があったんじゃないかという推測です。
 19世紀、帝国主義が発展し海運なども発達して、東洋やアメリカ大陸などから、それまで見たこともなかった珍しいモノが大量に入ってくるようになったわけですよね。で、たまにはそういうモノがトラブルを起こすこともある。なにせ海外からやって来た見知らぬモノが原因だから、知らない人たちには何が起こってるのか分からないし不気味で恐ろしい。そういうのを、「実は海外にはこういうモノがあって、それが原因なんですよ」と解き明かす役割が必要な時代だったんじゃないかということです。
 ホームズ「ライオンのたてがみ」なんかはストレートにそういう話ですけれど、たとえば初期作品『四つの署名』でインドの特徴的な凶器に言及されるのとか、「オレンジの種五つ」のアメリカ秘密結社の解説なんかもそういう役割をホームズが果たした話だと読んだ方が通りが良い。

 そして、探偵小説の始祖であるポー『モルグ街の殺人』も、正にその最初の事例だったと読めるな、ということなんです。キュヴィエの博物学を参照するところから真相解明が始まるというのは、正にこの時期の探偵の機能を明確に示しているな、という。

 推理小説はその後、「真相を推理するための判断材料はすべて読者に提示されていなければならない」という共通了解が整備されていったため、こういう側面は消えていったのだろうと思います。博物学的な知識がないと真相が分からない話にならざるを得ないですからね。

 本作を、後世の推理小説ルールに当てはめて「そんな真相分かるわけないじゃん、やっぱり黎明期の作品は不徹底だな」で済ませてしまうのは勿体ないなと。そうじゃなくて、今日とは別な役割別な機能を担っていた名残なんだよという風に読んでも良いんだろうなという、そんな感想なのでした。

 とりあえずそんな所感を備忘録的に記して今回は終わりたいと思います。

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