異なる「好き」は個性の材料
長時間ヒールで立ち続けて痛くなった足を引きずってようやく家にたどり着いた。そして門扉に手をかけてギョッとした。
ナメクジだ。ナメクジがいる。しかも二匹。
そういえば、先日梅雨入りしたと気象予報士が画面の向こうで言っていた。
梅雨は別に特段嫌いというわけでもない。
でも今年はただでさえコロナのせいで常時マスクを着けていなければいけないので、湿気が倍になって最悪だ。
というか梅雨よりもマスクが嫌いだ。マスクをしていると気合を入れるためにビューラーで上を向かせてマスカラで丁寧に飾ったまつ毛は、数分後にはすっかりしょげて下を向いてしまっているし、買ったばかりの新色のリップだってつけられないままだ。
ただナメクジもマスクも湿気も好きではないけれど、梅雨が嫌いでない理由は、雨のにおいと雨の音が好きだったりするからだ。
夏の雨のにおいは特に好きだ。
雨が降る直前のにおいも、雨が止んだ後のにおいも。
雨の音は深い理由はないが、落ち着くから好きだ。
変だと言われたことはあるけれど、それが個々人の「好き」の違いだろう。
今回の課題は前回に引き続き、「Pinterestで100個のお気に入り📍を見つける」
今回Pinterestでいくつもの「好き」を探しながら気になったことが二つあった。
一つ目はその「好き」は直感か思い込みか、ということ。
Pinterestで出会うものは、大半はコンピューターが、利用者側の見つけた複数の「好き」を総合的に分析して「これも好きだろう」と差し出してきたもの。
そのおすすめを見て「好き」だと感じるのは、直感からくるものなのか。
それとも、コンピューターが私の好みを分析したものなら、私はこれが「好き」なのではないか?と思い込んで、「好き」なものへと誘導されるものも少なからずあるのではないか、とぼんやり思った。
といっても、Pinterestにおすすめされたものに直感的にこれは好みでない、と思うことができるので、そんな思い込みが脳で働いているのかはわからないけれど。
二つ目に気になったことは、本当に人それぞれ「好き」なものは異なるんだなということ。
この記事の冒頭でふれた梅雨の話もそうだけれど、私が「好き」だと思ったものは、当たり前にすべての人が「好き」だというわけではない。
私には「好き」なアイドルがいるのだけど、なんで顔かっこよくないのに「好き」なの?と聞かれることがよくある。
大半の人にそう言われるということは、世間一般的には“整った顔立ち”、いわゆるかっこいい顔ではないのだろう。
でも私にはすごく、世界一かっこいい。世界一「好き」な顔なのである。
顔だけが好きなわけではないけれど!
なぜ「好き」か、と問われても、あなたとは好みも感性も異なるから、としか言えないしそれが答えだ。
自分を彩ってくれるメイクだってファッションだって、それぞれ人と異なる「好き」で構成されているし、みんな趣味が違うのは「好き」なものが違うからだ。
誰かの「好き」が必ず正しいということはない。
一人の「好き」が万人に共通するものではない。
多くの異なる「好き」があるから、世界は成り立っているのだし経済は回るし、人は個性を身に着けられるのだ。
きっとこの授業でみんながつくったボードを覗けば、異なる「好き」が個性としてたくさん溢れているんだろうなと思った。
そう思うだけですごく素敵だなと思うし、みんなは何が「好き」で、何にときめいたり、どんなもので日々を彩っているのだろうと思う。
人と違うことはおかしいことではないし、個性・異なる感性というものがもっと尊重される世の中であればいいなと自分の「好き」を見つめながら思った。
おまけ
今日のBGMはこちら。
私の大好きな韓国のアーティストです。
♪offonoff - Cigarette (Feat. Tablo & MISO)
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