終活クラブ「弱パンチで希死念慮」感想
ルサンチマンと呼ぶほど可愛らしくはないかもしれないよね、と思う。
強者への妬み嫉みと言い切ってしまえばその通りだろうけれど、
敵わないままでいるつもりも、自分をへしゃげてまで勝とうとも思っていない。
どこまでいっても上には上の上の上がいて、
後ろからはまた別の才能も走ってきて、
口を開けて待っていても落ちたり転んだりしてくれないからこちらが挑み続けるしかなくて、
何度も何度も何度も負け続けて、
そんなんじゃいつまでたってもダメだよ、
いつかっていつ来ると思ってんの、
自分が一番よく分かってる言葉を(傷つかないけど)払い除けるのも面倒で、
変わりたい、負けたくない、の代わりに
「死にたい」とか言ってみたりして。
自分の弱さに絶望したり嘲笑したり開き直ったりもするけど、
別に「上の上の上」にそっくりそのままなりたいわけでもなく。
自分にしか作れないものや自分にしか分からないものや自分にしか感じ取れないものが、
そのまま自分とイコールになるわけでもないのに、
「自分自身」が外在化して一人歩きして、
変化するプロセスにすぎない「自分」なんて、適度に定期的に死んでもらうくらいで丁度良い気がする。
常勝の強者になりたいわけじゃなくて、弱者のまま勝者になってみたいと、思っていてほしい。
もがいて、足掻いて、その過程自体がいつしか意味を持ってアイデンティティになっていく、
それはそれで私としてはとても羨ましい。
あんまりかっこよくないところが、
最高にかっこいいよなぁと思う。
弱い自分から目を背けて、逃げて、戦わない選択肢を取ることはとても簡単だけれど、
後悔なく「終わらせる」ことを信条にする彼らだからこそ、
目にものみせるまでやり続けてくれるんだろうなと信じていられる。
ゲームの電源ボタンを消しさえしなければ、
できないことなんて何にもないんだろうなと思える。
し、もしかして、私もそうなんじゃないだろうかと勘違いさせてもらえたりもする。
弱くて、負けてばかりで、だからなに?と言わんばかりの、
絶対にいつか勝つと信じて憚らない彼らの図太さと、真っ直ぐさが堪らなく愛おしい。
絶対に、てっぺんとってくれ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?