【無料化】吃音と私。

7月2日、無料解禁。
【この記事の概要】
・初めての有料記事です
・私の半生のおいて、「吃音」に関する経験はこの記事に全て集約されています。
・ポジティブな内容は後半に集中していますので、ネガは嫌い!という方は後半の大学あたりからご覧ください
・執筆時やや感情的になっているので、言葉遣いが悪くなっているかもしれません、ご了承ください。

 それでは、私の半生における「吃音」のエピソードについて、可能な限り時系列に記していきたいと思います。
 これは後から聞いた話ですが、話すようになった時から吃ることはあったようです。自分自身は、後述する中3の面接練習まで強烈に意識する経験はないわけですが、後々思い出すと、ところどころで「あれは吃っていたんだな」と今であれば理解できることが幾つかあります。いずれも、中学以降ではありますが、社会の授業で「台湾」と答える場面で言葉が出てこなかった記憶、職業体験の練習で「決まっているセリフ」が出てこなかった記憶。
 そして、高校受験を迎え、私としては筆記試験のことを考えられないほど、「面接」という高い壁に向き合うことになります。最初の頃、隣の人と練習したりとかそういう時には一切吃らないわけですが、これは今でも鮮明に記憶があって、担任と実際の面接を想定した1対1の練習。私としては、ここで人生初めて「言いたいことが出てこない」という経験をすることになります。
 「なぜ練習してこなかったのか」「どうしてできないんだ」担任から強く叱責を受け、なぜ自分が悪いのか、言葉が出てこない理由も分からないまま、『面接が上手くできない人』が集められた「居残り練習」(今思うと、私と同じように吃音、あるいは緘黙などそういった感じの人が集まってたのだと思います、面接なんて決まった解答を言えば良いだけですから、それができないということは、何かしら発話に問題を抱えていたと理解できます)、その担当が教頭の先生で、おそらくそこに集まっていた生徒たちは前述のような要素を抱えていたことは明らかなので、その「居残り」自体が苦痛であることはありませんでした。
 むしろ、「自分は面接が上手くできない、ダメな存在なのだ」という烙印を押された、人生でここまでの挫折を味わうのは、おそらくこの時が初めてだったように思われます。まあ正直、筆記試験どころではありませんでした。その後に待ち構える「面接」という2文字が頭を離れませんでした。実際の面接は、特につっかかることもなく(確か地理と音楽の先生2人でした)高校受験は無事にパスすることになりました。本当の戦いがここから始まるということを理解しないまま、高校に進学。
 本格的に「吃音」と向き合いはじめる3年間の始まりです。それでも、1年生の初めの頃は、中学までのノリが残っていたのか、割と上手いことやっていたような記憶があります。少なくとも主観的には。あれは秋頃だったでしょうか、少しずつ異変が起き始め、「いったいこの症状は何なんだ」「どうして言葉が出にくくなるのか」病名も何もかもわからず、インターネットを延々と調べ続ける日々。
 1年生の冬、クラス内で「ディベート」といわれる、一つのテーマについて賛成、反対に分かれ議論するというやつですが、ここでクラスの皆の前で話すという役回りに充てられました。この頃には既に「自分は言葉につっかかることがある」「特に緊張した局面ではそれが強まる」ぐらいは理解をしていたため、他の子にその役回りをやってもらうことに。担任や担当の教諭に叱責をもらいながら。まあもうその頃には私の自己肯定感のようなものはとうに潰えていたので、特に問題はないわけですが。
 2年になってからは、授業で当てられる時はほとんど吃ってたような気がします。これも完全に主観なのですが、「吃音」を意識しない日がないというのは、相当なストレスだろうなと思います(ある意味、高校まではそういう世界なので、仕方ないといってしまえばそれまでなのですが)メンタルが本格的に崩壊し始めるのも大体この時期で、徐々に授業に出れなくなったり早退したりすることが増えました(熱が無いなら学校を休む選択肢はないという環境で育ちました)
 3年とかどれぐらい授業出れてたんだろう?と思うぐらいの出席率だったような気がします(代替の課題などはこなしましたが、それでも足りなかったのは間違いないと思います)先生方の配慮でなんとか高校を卒業し、大学へ。


【後半】


 そしてある意味、「吃音」というテーマにおいては、生まれて初めて「それを認めてもらえる」環境に突入することになりました。メンタル的には既にボロボロだったので、卒業することは出来ませんでしたが、「吃音」を配慮してもらえるという経験をできたことは大きかったと思います。 
 いわゆる、「合理的配慮」といって、障害などもってる学生がそれに見合った配慮を求められるというもので、私の場合、授業での発表の免除や、これは主題とはズレますが、授業中でもトイレに行くことを許可してもらったり、色々とお願いしていました。
 というわけで、大学を中退し、今は無職脱却に向けてnoteを書いてるわけですが、ここからは私自身が「吃音」とどうやって向き合い、どのように乗り越えてきたのか、について。(乗り越えられたとは、思えませんが)
 まず、一つ確実に言えることは「自分が吃音であると認識できるまでが一番つらかった」ということです。中学の終わり頃に徐々に吃りが出始めたころ、いくらネットを調べても出てこなかった。「いったい自分が苦しんでるものは何なのか」これが分からない恐怖は凄いもので、「不安」なんて言葉では言い表せないような、とにかくものすごい孤独な戦いでした。
 そんな時に、テレビでScatman Johnさんの特集をみて、彼が「吃音」を持っていることを知って「私もこれじゃないか」と思いました。この出会いは運命的なものというか、今思い出しても不思議な気分になります。

 かと言って、自分が吃音だと分かったとしても、それで解決するわけではありません。結論としては「どれだけ自分が吃音であることを意識しないか」という勝負だと思いました。当然、学校に行っていたり、仕事をしていればそんな余裕はないと思います。自分もそうでした。人と触れない生活。それをしていると「自分が吃音だと忘れている」瞬間があることに気付きます。当然、これでは根本的な解決にはならないのですが、今の医学では吃音を治す方法がないわけですから、少しでも意識を変えるぐらいしか、やれることは無いと思います。事実、自分の主観では昔よりも吃ることが減ったような気がします。「話すこと」の絶対数が減っているので、そりゃ吃ることも減るに決まってるわけですが(親から見るとたまに吃っているようです)
 そして、とにかく「話す練習」をすること。これしかないような気がしました。もちろん、これで「自分が吃音であること」を意識してしまうと逆効果であるわけですが、「自分も話せるんだ」という自信を付けるしかないと思います。私が読んでいるのはNHKのニュース。データ放送ですぐ出せるので便利です。まあ元々小さい頃は気象予報士かアナウンサーになりたかったぐらいですから、自然と読む文章として選んだのだろうと思います。別に何を読んでも良いわけで、市民だよりとか、目についたものは暇があったら読んでいます。そして、読む言語は日本語に限らないということ。私は一応読める言語として、英語、フランス語ぐらいなので(スペイン語、ロシア語、韓国語とかは発音が怪しい)読めるものは読む、輸入もののお菓子とかの裏に読めないかなって探したりして、これは、まあ言語学に進もうとしてたぐらい興味があったからなのかもしれませんが、とにかく「話す努力」はしなきゃダメかなと思います。「吃音を忘れる」ことと矛盾するじゃん、と言われればそれまでなのですが、自分の場合その2つは頭の中で両立しています。もともと話すことが好きで、究極は「吃音を治す」ことだとは思いますが、現状その方法が無いわけですから、とにかく「話すことのプレッシャーを減らす」「いざ話した時に上手く話せた」「自信がついて症状が軽くなる」この繰り返しをするしかないな、と。

執筆後記。
 初めての有料記事は、猛烈なイライラの中での執筆でした。「落ち着いてる時にやれや」と(ここで2時間空く)(再び1時間ぐらい空く)
 もはや集中力が完全に欠落してしまったので、これで終わります。「吃音」に関するエピソードが追加で思い出された場合は、その都度この記事に加えていくこととします。本当に申し訳ありません。

25歳無職(吃音、重度精神疾患持ち)が人生変えるためにnote始めました。あなたのサポートが私の社会復帰を後押しします!ぜひお力を貸してください!!