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自宅にかかってきた電話で『もしもし』はあまり使わない

『自分の固定電話』というものを持ったのは…当時デスクトップパソコンにつないでいたイー・モバイルを使ったインターネットへの不便さから光回線を自室に引いた際だから平成の半ばごろにはなる。
固定電話の番号が必要になる書類を書く必要がある際親名義の番号を書いたり(携帯電話しかもっていなかった)、職場の同僚からの電話も親に取り次いでもらうなど迷惑がかなりかかった。光回線を設置する際『やっと自分の固定電話が持てる!』というワクワク感もあり迷わずひかり電話の敷設も申し込んだ。以降、自分にかかってくる電話に関しては自室の電話番号を知らせるようにしている。

ところで…
電話を受ける際に『もしもし』という方は多いはずだが、私の場合、かかってきた電話を受ける際の『もしもし』に関しては好きではない。かかってきた電話には『はい、ゾウたんです。』(苗字を身バレしたくないのでペンネームに置き換えた)のように応対し、会話が聞き取れない場合にやむなく『もしもし』というようにしている。これは仕事の際の電話応対の癖が乗り移ったのであるが、このおかげなのか、いたずら的なものや詐欺の予兆的な電話と思われるものに関しては比較的すぐ切れるようになった。『名乗る』というのって電話応対の基本なんじゃないかと思っているし、自分の電話を持てたから実践しているのもあるけどビジネスマナーでの電話応対でも家庭で使えるものって私生活でどんどん取り入れていきたいほうでもある。

私の親族でこの傾向が強かったのが父方の祖母。幼少期に電話をかけて祖母が出る際には『はい、○○です』というのが定番であり、『おばあちゃん、ゾウたんだよ』と答えるだけでワクワクするものだった。それにつけてか、祖父母宅を訪ねた際に祖母には食べられない甘めのお菓子をよくもらう口実がこの応対であり祖母のやり方も好きであった。その反面、亡き父母はあまりこの傾向が好きではなく『仕事は仕事、家庭は家庭』をメリハリをつけたがるほうであった。『はい、○○です。』という応対手段には今考えれば両親への反発もあったかもしれない。

自分の(固定)電話回線が欲しかった夢ゆえに実践している家庭での電話応対。今どきの若者はメールだLINEだSNSさえあればいいような風潮もある。ただ、どうしても会話による応対が必要な時が昭和のオッサンである私の場合はどうしても必要なため、インターネットがふさがった場合に備えた何かって必要なんじゃないかと思うのである。

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