花束みたいな恋をした(2021)

この映画を見て、どのくらいの人が「ああ、これは私のことだ」と思うのだろう。
自分は変わっていると思っていて、人には理解されなくて、そんな自分にプライドを持っていて、二人の大切な時間をただただ消費していって……と、私は身に覚えがありすぎます。

noteで映画評をつらつらと書き連ねるような人種は皆さんそういう経験をしているとは思いますが。ただ、良かったと思ったのはそんな経験からだいぶ時間が経っていること。だからゲラゲラと笑いながら見れてしまったのです。(大学生ならきっと笑えなかったでしょう)

それでもクライマックスのファミレスでは涙が溢れました。そこには離れてしまった二人の距離と、女の強さと男の弱さと、戻らない時間と、なんでもっとこうしなかったんだという後悔が映画ならではのデタラメな出来事(自分たちの過去がドッペルゲンガーとなって現れるなんてありえない)と共に表現されていたからです。


ファミレスにて
麦くんと絹ちゃんが向かい合って座っています。麦はスーツ。絹は赤いドレス。
麦が画面の右に、絹が左にいます。別れを想像して、怖くなった麦が別の道を提示する。
そうするとカメラが反対側にまわり、立ち位置が逆転します。麦が左、絹が右。
力強く語る麦のクローズアップ。ゆっくりと、エモーショナルにカメラが回り込みます。
しかし、切り返した絹のサイズは明らかに麦よりも小さい。少しだけ遠くにいます。
じっと止まったままの絹。さらに、ゆっくりと、見ている人には分からない程度の動きでカメラが絹から離れていきます。
すると、手前に熱く語り続ける麦が画面の左側から黒く入ってきます。
そこにかつての自分たちのように初々しい二人が現れて……

二人の気持ちの差がもう埋められないことを表現した静かで見事な演出でした。
映画の冒頭はパキッとしてテレビっぽい画面なのですが、ストーリーが進んでいくうちに次第にボケを利用した映画っぽい画面になっていくところも面白かったです。

麦と絹が偉いのは、“きちんと“お別れしているところです。逃げ出すでもなく、一方的に押し付けるのでもなく、二人の協力で別の道を進んでいく。なんてかっこいい二人なんだろう、と最後に意外な成長を見せられて驚いたのでした。


花束は誰かに祝福されてもらうもの
花束はいろんな花が集まってできている
花束は色とりどりで美しい
花束は時間が経つと枯れてしまう
それでも、もらった時の気持ちは残る
だから、花束みたいな恋 なのでしょう

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