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震災と就活と巣鴨の刃牙

2011年に就職活動をしていた。

当時の就活は1月スタート、
年度が明けた4月に内定が出る、だった。
3月10日にも、少し大きな地震があった。

3月11日、東京にいた。
昼頃に高速バスで新宿着。
何の会社を受けていたかは忘れた。
三田にある大きなビルだった。

広い会場でテストを受けている途中だった。
信じられない揺れだった。
ただ情報がない分変に雰囲気は明るかった。
知らない学生と談笑していた。

情報が入ってきた。
震源地は大学のある宮城県だった。
ガラケーに少しづつメールが入る。
安否を心配するメール、
安否を報告するメール。

実家にも大学にも帰れなくなった。
あの日、何十キロも歩いて帰った人がいた。
幸い地下鉄はすぐ動いたので、
東京に住んでいた妹のアパートに向かった。
その後約2か月住むことになった。

3月12日はアパートで過ごした。
一日中テレビにくぎ付けだった。
津波の被害、原発の状況。
妹の通った高校が避難所になっていた。

故郷の放射線量が流れるようになった。
ベクレル?聞いたこともない単位。
内定がない不安と、
故郷が汚染されていく恐怖。
間違いないく人生で一番辛かった。

やがて社会が回りだしたが、
就職活動は再開しなかった。
何もすることがない。
する気にもならなかった。
故郷に帰る手段はあったが、一度行くと
逆に東京に出るのが難しいと言われていた。

テレビを見ていても辛い。
手に入る全ての情報が辛い。
アパートにいても気が滅入る。
仕方なく、巣鴨の漫画喫茶まで行った。

とりあえず手に取った漫画が刃牙だった。
ドリンクバー片手に一日中刃牙を読んだ。
刃牙を読んでいるときだけ、
辛い現実を忘れることができた。
なぜかほかの漫画はダメだった。

4月になると就活が再開した。
一個内定が出たら就活は終わろう。
もうどうでもよくなっていた。
リラックスしていたとも言える。

そこそこの会社から内定が出て、
その日に高速バスで帰った。
2か月ぶりに帰る宮城のアパートは
あっけないほど何も起きていなかった。
相当地盤のいい場所だったようだ。

 
 
あの日から何もかも変わった。
暗い影を落としたという表現があっている。
何をしても本気になれないし、
心のどこかに不安がある。

それは一生涯ついて回るものだろうし、
何かの形で昇華しなければならない。
仕事でも子育てでもなんでも。

辛い時期に刃牙だけはすっと読めた。
何が辛い心に寄り添えるかは人それぞれ。
あの漫画喫茶はまだあるのだろうか?
巣鴨と聞くと震災を思い出す。

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