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~「働くことは楽しいこと」と若い世代に伝えたい②~

Q3:18歳で上京してからはどのような仕事をしていたんですか?

1996年にリクルートのグループ企業へ入社しました。配属先は営業職で、当時はバブル直後にもかかわらず好景気で目が回るくらいの忙しさ。必死すぎて、実はほとんど記憶がありません(笑)。よく怒られ、よく徹夜して、自分の状態を冷静に見る余裕もなく。東京へきて初めての一人暮らしということもあり、びっくりするほど生活もままならない(今思えば)感じですね。

22歳でリクルート本社へ出向になり、住宅情報誌の広告制作職へ。週に何十本もの広告を世に出す仕事でした。広告の基本的な知識がないままに、飛び込んだこともあって本当に大変でした。先輩たちも猛烈に忙しいため、いちいち若手へ丁寧に教える時間もなかったんだと思います。ともなく自ら動いて学びとっていかなきゃいけなかったので、時々会社を抜け出して(笑)、書店へ駆け込み、広告関連の解説書のようなものやアートディレクターさんの作品集、宣伝会議などを読んでコソ勉をしていました。

そんな小さな努力もあってか、だんだんと全体像や広告の仕組みがわかってきて「クリエイティブの仕事、めっちゃ面白いじゃん!」と自分の仕事を誇らしく感じるようになりました。過去を振り返っても、例がないくらい怒られたのも、この時期でしたね(笑)。

 ーー怒られても心が折れたりはしなかったんですか?

折れる前に、自分にムカついていましたね(笑)。なぜか分かりませんが、私に原因があるとわかっていても自分を責めて終わるのではなく「絶対にいつか見返してやる」という野心が湧き上がってきたというか。もちろん逃げ出す選択肢がなかったわけではないけど、当時の私は逃げるのが嫌だった。逃げることは相手に迷惑をかける行為だし、そうしてまで逃げたいか?と冷静だった一面はあったと思います。

 あまり出世欲もなく、No1を目指すためだけに仕事を頑張ることはなかったです。私のモチベーションは、世の中の違和感を発見したり、解決することにありました。この方法がベターとされているけど、もっとベストな解があるのでは?と探すタイプ。広告の手法やチームの作り方など、テーマは何であれ自分にしっくりくるカタチを探求しては試すことを繰り返していましたね。

 上京して目が回るくらいの忙しさの中、クリエイティブの仕事の面白さに気づいていった圭子さん。次回はいよいよ原っぱ大学を創ることになったお話もお伺いします!

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