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~「働くことは楽しいこと」と若い世代に伝えたい①~

志村 圭子さん
 地元徳島から上京しリクルートで広告ディレクターの経験を積む。35歳で独立。現在はディレクションやライティングを中心としたプロジェクトに関わりながら、神奈川県逗子市・千葉県佐倉市・大阪府彩都で親子のための遊びの大学「原っぱ大学」の事業運営を担当。親子の心の中の調和、自分と社会の調和をサポートしている。

神奈川県の逗子海岸に来ました!前回のインタビュイーである富田絢子さんよりご紹介いただいた志村圭子さんに、ビーチサイドでお話をお伺いします!!

逗子海岸

”圭子ちゃんは原っぱ大学で家族ぐるみでお世話になっています。原っぱ大学では様々なご家族やビジネスマンが遊びを通して個人の特異な"体験"を楽しむのですが、想いはたくさんあれど、どうつなぎ合わせていくかを思考錯誤している人生の旅路に寄り添ってくれる、バイタリティ溢れる圭子ちゃんのお話、ぜひみんなに聞いてほしいです!” 富田絢子さんより

Q1:まずは、絢子さんとのご関係について聞かせてもらえますか?

  絢子さんとの出会いは、私が事業運営する原っぱ大学へ参加いただいたことがきっかけです。当時の絢子さんは、赤ちゃん連れのアクティブなママという第一印象で、佇まいが凛としており何事にも動じない方でした。女性を対象とした焚き火を囲むイベントを個人的に企画したところ、絢子さんが参加。その場は主にスモールビジネスや起業(副業含め)している女性の集いで、絢子さんは、お金の知識や本物を見る審美眼をお持ちで、それを周りに伝授できるコミュニケーション能力がとても素敵でした。絢子さんの地に足がついた姿に周囲の方々が勇気づけられていくこともあり、その後もいろんな場を通じて交流を深めていきました。とても頼り甲斐のある彼女を「アニキ」と呼んでいます(笑)。

 Q2:圭子さんは学生時に「18歳になったら自立する」と決めて、高校時代はアルバイトに明け暮れる日々だったとか?

  そうですね。キャリアで言うと高校卒業の18歳で徳島から上京してきて、リクルート系列の企業に入社しました。両親から「うちは18歳になったら家を出ること」と言われて育ったので、自然と18歳になったら自立することを考えていました。両親は共に自営業なので、学歴重視ではなく、実社会で生きることをベースにしていたと思います。そんな商売を営む両親の背中を見て「商い」は楽しいものだと感じていました。

 高校進学を決める中学3年生の成績は上位で、担任の先生からも進学校への受験を薦められましたが、どうしても大学まで勉強をするイメージが持てず。また小2〜中3までソフトボールをやっていて中学時代は強豪チームであったこともあり高校からスポーツ推薦のお話もいただきましたが、丁重にお断りしました。勉強やスポーツに熱中する高校生活よりも、早く社会で役立つスキルを身につけたいという気持ちが強かったため、資格取得できる商業高校への進学を決めました。当時(1993年頃)はまだ珍しかったプログラム言語を扱う学科へ進み、パソコンを授業で使って演算などをプログラム言語で記述する日々でした。

 実際に高校生活はとても充実しており、専門学科の学びは手応えがあり面白かったのをよく覚えています。またアルバイトOKの校風だったこともあって、フランス菓子と中華料理店を掛け持ちして全力で働いていました。どちらのお店からも学びが多く、慣れるまではとても苦労しましたが第一線で働く人々の現場はとても良いエネルギーに満ち溢れていました。

プロフェッショナルな方々と共に過ごして、またお客さんから感謝の言葉をいただき、純粋に労働の喜びを感じていました。学業との掛け持ちで、ものすごく多忙な高校生でしたが「ズル休みしたい」と思ったことは一度もありませんでした。

ご両親の背中を見て、「商売の楽しさ」を早くから体感していた圭子さん。次回は高校卒業後、上京して経験できた「仕事の楽しさ」についてお伺いします!

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