見出し画像

~「配られたカードはプレイしきる」 答えは必ず自分の中にあるから①~

富田 絢子 さん
エネルギー関連企業で勤務するかたわら、プライベートでは日本ウェルネス教育協会を設立し、W-Lifeアカデミーを主宰。
アロマセラピーをはじめとした様々な智恵を通して、人々の心身の健康とともに豊かな経済、自然環境との共存共栄を目指し多岐にわたる活動を行っている。

今日は、神奈川県逗子市にある、親子のための遊びの大学原っぱ大学に来ました!
前回のインタビュイーである笛吹さんからご紹介いただいた、富田絢子さんにインタビューします!

“富田さんは僕の前職の先輩で(在職中は知らなかったけど、ひょんなことからつながり)かれこれ10年以上お付き合いさせていただいている大切な方です!会社員の傍らコーチングを含めて様々な活動にも携わっておられる、ユニークな富田さんのお話をぜひ聞いてみてください!” 笛吹 雅人さんより

Q1 今回のインタビューのバトンを渡してくださった、笛吹さんとの出会いは?
笛吹さんとは元々私が新卒で入った会社の同僚繋がりで知り合いました。その頃私はすでに別の会社に転職してアロマセラピストの教育育成をする仕事をしていたのですが、よく出張でイギリスとスペインを行き来していました。イギリスに出張するとロンドンの前職の同期に声をかけてたんですが、その時連れてこられたのが笛吹さんで笑、、、そこからお付き合いが始まりました。笛吹さんとは波長が、ウマがあったんでしょうね。気づくともうその同期は抜きに、プライベートで連絡を取るようになっていました。その後お互いに絶えず折に触れ人生の節目、仕事の転機があると報告しあうようになり、かれこれもう17年のおつきあいになります。
 
それと、私が帰国子女で、私の日本語力と英語力とかのバランスが笛吹さんの思う理想だったみたいなんですね。というのも笛吹さんは娘さんがいらっしゃるのですが、娘さんを連れて色々な国を渡りながら教育も受けさせたい。だけど日本語力とか日本人としてのバックボーンみたいなところがその分揺らいじゃうんじゃないかみたいなところに不安を持ってたようなので、どうやったら富田さんみたいになる子育てができるのか?と折に触れ聞いてくださって。私はもちろん無自覚なので、「何だろう、、漫画かな?」みたいなトンチンカンな返ししかできなくて笑。全然役に立たないモデルだったんですが。でも凝りもせずちゃんとお付き合いくださってる貴重な方です。

Q2 富田さんは帰国子女だったんですか?
私は生まれも育ちも神奈川県の金沢文庫なんですけど、6歳の時に父の転勤でイギリスに4年半いました。10歳の秋ぐらいに日本に帰ってきたのですが、その4年間の記憶とかそのとき培った英語の“耳”つまり語彙力ではなくヒアリングと発音が結局ずっと私を今でも食べさせてくれています


Q3 英語力はもちろんですが、イギリスで生活して、のちのち絢子さんの土台になったものや得たものは何ですか?
日本人の駐在家族は大体ロンドンの北側に住んでいたので、そこに日本人コミュニティや日本人学校とかもあったんですが、私たち家族はテムズ川の下、つまり南側に住んでいて、そこはアフリカ系とかインド系、韓国系の移民が多くて、あんまり日本人コミュニティがなかったんですね。そうすると周りに日本人はいないし、英語も喋れない、っていう状況でいじめを受けたり、すごく自分がマイノリティなんだ、っという感覚がありました。母が現地校の保護者会とかに行くと、いつも「アヤコはすごく消極的で自分の意見をなかなか言わないからもっと自分をオープンにするようにした方が彼女の魅力が理解される」みたいなこと言ってくれてたんですよね。
 
一方で日本に帰ってきて日本の学校に入ったのですが、日本の教育カリキュラムとイギリスの教育では大きな違いがありました。日本は文部科学省によって方針とカリキュラムが定められていると思いますが、イギリスでは方針はあるけど詳細は現場が決めるような自由に学ぶ環境があったので、帰国して日本の学校に入ると、“でこぼこちゃん”なわけで“できないこと”が多い。海外だと自分の意見を言わないことがNGだったけど日本に帰るけど“出る杭は打たれる”ので、手を挙げて発言すると友達からは「目立ちたがり」だとか、「自己主張が強い」だとかを言われて、逆に周りと違うことでいじめを受ける。
 
なので私の土台になったのは“価値観の絶対ってないんだな”という体験です。 “迎合するもんか!”みたいな気質は元々持ってたんだと思うんですけど、それに拍車がかかったのだと思いますね。だからこっちに行ったら“白”って言われて、でも同じことを違う場所に行ったら“黒”って言われるんじゃ、もう“白でも黒でももう誰の言うことも聞くもんか!”みたいな風になってしまっていた時期があるんです。そこから、価値観は人それぞれ、いろいろだから「自分は自分」ってなったと思います。一番大きいのはそこかもしれないですね。そこが多分笛吹さんがいう、「自分を持っているっていうところが魅力的」と言ってくれている部分なのかもしれませんね。

異なる環境に身を置き、”価値観の絶対はない”と身をもって体験された絢子さん。次回はそんな絢子さんの帰国後の展開をお話いただきます!お楽しみに!②へ続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?