他人のために泣けるということ。

こんにちは、よりです。

飽き性と怠け癖が出てしまいしばらくnoteをお休みしていました。反省。

今日は休んでいた間に起きた出来事について書いていきたいと思います。

塾講師としての喜び

塾講師として働いて早くも半年が経ちました。中学3年生から高校3年生を担当している中で、私は「塾講師のやりがい」って何だろうと思うことが多かったです。

わからない問題を理解してもらえたこととか面談をお願いされて私にしか話せない悩みを話してもらえたり。塾講師というか、1人の人間として信頼してもらえているということに喜びを覚えました。

こういう少しずつの嬉しいことが積み重なってやりがいとなっていくのかなと感じていました。

1つの大きな出来事

私が初めて受け持った生徒が大学の指定校を取りました。

授業の日ではないのにわざわざ校舎まで来てくれて報告にしに来てくれました。私はそのことだけでも嬉しかったのですが、「指定校通った」と笑顔で伝えてくれて号泣してしまいました。

「面談してくれてありがとう」私としては、面談しかできないことを申し訳なく思っていました。だけど、生徒は面談をしたことに対して感謝をしてくれていた。そのことがとても嬉しかったです。これこそやりがい。

他の先生も喜びを共有したり感謝をされる経験があったから続けようと思っているのかなあ。

他人のために泣けるということ。

タイトルではこう書きました。実際は、「ために」ではなく「一緒に」が正しいと思っています。自分のことのように感情を共有できるということ。

それができる人はとても素晴らしいと思います。

自分のことで精いっぱいなはずなのに、他人のことを考えることができるということだから。私が働いている塾では皆がそんな人たちです。尊敬

私が大学に合格した時、担当してくれていた先生は号泣しました。

私はその先生を1番尊敬しているのですが、少しは近づけたかなと思ったり。

こういう経験からどんどん人間性って磨かれていくと信じて今日も頑張って働きます。

目標はみんなとうれし涙を流すこと!

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