『牛をつないだ椿の木』
<新美南吉>シリーズ 第一巻
かいのどうぶつえん 園長です。
今なお、大切に読み継がれる児童文学作家、新美南吉(1913〜1943)の童話シリーズです。
第1回目は、新美南吉の最晩年の作品、『牛をつないだ椿の木』です。
初夏の山道をたどる牛曳きの利助と、人力車曳きの海蔵は、あまりの暑さで喉が渇きました。
道端の椿の若木に牛をつなぎ、いつものように100mほど急坂を登り、山中にわけいって、冷たい湧き水をゴクゴク。
「泉がもっと近かったら楽なのに」と話しながら坂を降ると、地主が待ち構えていました。
「牛に葉を食べられ、椿が丸坊主だ!」と激怒。ふたりは平身低頭するしかありません。
海蔵は、井戸掘りの新五郎に相談し、2年がかりで工事資金を貯金。地主にも誠意をつくし、椿の近くに誰でも飲める井戸を掘りました。
そして童話のラストシーン。出征する海蔵が新しい井戸で清水をひと口。
「人のためになるものが残せた」と微笑み、日露戦争の花と散りました。
病におかされ死を覚悟しながら、本作品を書き終えた南吉は、1943年(昭和18)3月22日、29歳の若さで永眠。半年後の同年9月、児童文学者・巽聖歌によって刊行されました。
貝と園長の固い約束「割らない。塗らない。削らない」
『牛をつないだ椿の木』 〜使った貝殻〜
牛:オハグロガイ/コハクイモ/スガイ/ツノガイ/カニモリガイ/
フジノハナガイほか
荷車:パイプウニ/タコノマクラ/キヌタアゲマキ/ガンガゼ/キサゴほか
椿:パイプウニ/アカウニ/フジノハナガイ 積荷:ノシガイ/キイロダカラ 山:ヤツシロガイ 山道:マドガイ
<補 註>☆新美南吉 <1913年(大正2)7月30日〜1943年(昭和18)3月22日>
愛知県知多郡半田町(現・半田市)出身。ふるさとに建てられた「新美南吉記念館」では、多彩な展示やイベントを開催。
☆巽聖歌<1905年(明治38)〜1973年(昭和48)>
児童文学者、歌人。童謡「たき火」の作者。北原白秋門下で南吉の兄弟子にあたり、精力的に南吉の童話集を出版。
☆井戸掘りの孫
物語に登場する井戸掘りの新五郎(井戸新)には、モデルが実在。その孫が、ゆかりの石碑や道具類を「新美南吉記念館」に寄贈。
☆日露戦争 <1904年(明治37)〜1905年(明治38)>
南下政策を強行するロシア帝国と大日本帝国との戦争。陸戦では旅順や奉天が主戦場。海戦では日本艦隊がロシア艦隊を撃滅。アメリカの斡旋でポーツマス条約を締結。死没者数: 85,082人