「絲綢之路」
<舞台裏>シリーズ No.14
かいのどうぶつえん 園長です。
貝の動物の制作現場では、毎日さまざまなエピソードが生まれています。
このシリーズでは、舞台裏の失敗談や内緒話、奇想天外な空想や徹底した“こだわり”などをチョイスしてみました。
第14回目は「絲綢之路」です。
古い話ですが、1980(昭和55)年4月にスタートしたNHK特集「シルクロード -絲綢之路-」を毎月見て、素直に感動したことを思い出します。
悠久の時を奏でるテーマ曲(作曲:喜多郎)で始まる第1部12集は、長安から敦煌、ホータンからパミールへの旅。
灼熱の砂漠と美しいオアシス、夕焼けの砂丘を歩むラクダのキャラバン・・・。「いつか必ず行こう!」という思いは、今も胸に息づいています。
シルクロードは、砂漠に点在する都市と都市の間の、道なき道を結ぶルートです。中国からの交易品は、陶磁器や香料、茶などですが、主役はあくまでシルクでした。
西方の王侯貴族たちが憧れ、垂涎の的だった絹織物の輸送は、時代とともに西域(ペルシャ)の交易商人たちに独占され、価格が急騰します。
6世紀半ばのこと。困惑した東ローマ帝国の皇帝は、修道僧に密命を与えて中国に派遣。2年後、竹の杖にカイコの卵を隠し持って帰国させた、というエピソードが残されています。
麻や綿、羊毛と比べ、軽量で肌触りがよく、真珠の光沢をもつシルクは“繊維の女王”と讃えられる貴重品。養蚕や製糸、染織など当時の最先進技術を、秦や漢などの歴代王朝が、国家ぐるみで秘中の秘としていたのは当然でした。
やがて、唐の時代(618年- 907年)にシルクロードの交易は全盛期を迎えます。長安の都は、西域人たちが行き交う国際都市へと発展。
その様子を李白は、「長安の若者が白馬に乗って、ペルシャ娘の酒場へむかう」と七言絶句で描写しています。
日本には飛鳥時代(592-710年)に、渡来人により本格的な養蚕技術が伝来。時代はくだり、明治時代に富岡製糸場が設立され、生糸と絹織物は最も重要な輸出品として、資源の乏しいわが国の近代化を支えてきました。
しかし、1930年代からはナイロンなどの合成繊維が次々と開発され、日本での生産と輸出は衰退します。
ところが最近、植物や微生物をつかう『生物工場』の遺伝子組換え技術に、カイコが大きな可能性を秘めていることが判明。一般農家での大量飼育も始まりました。
カイコは家蚕とも呼ばれ、五千年にわたる交配によって「家畜化された昆虫」で、人間の世話なくしては生きられません。遺伝子を組み替えても逃げ出せず、生態系に悪影響を与える恐れもありません。
すでに、オワンクラゲの遺伝子との組み合わせで「光るカイコ」が誕生。
その繭からとった”光るシルク”で織った、幻想的なウエディングドレスは、ファッション界で話題となり、抗がん剤や鋼鉄強度の”糸”、”人工血管”などの研究も進んでいます。
美しい絹糸から夢の新物質創造へ。カイコと人間は地平線の彼方に向かって、新たな旅の第一歩を踏みだしました。 つづく
『少年行』 李白(701年 - 762年)
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。
貝は「割らない。塗らない。削らない」のスッピン勝負
「月の砂漠」 〜成分表〜
★ラクダ:ハツユキダカラ/チャイロキヌタ/ホソウミニナ/
スガイ/フジノハナガイ/スズメガイ/ ヒメキリガイダマシ/
フトコロガイ
★砂漠:ヒメジャコ ★夜空:ホタテガイ
★月:ナミマガシワ