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御冷ミァハ vs. ゲーム脳
伊藤計劃『ハーモニー』に描かれた生府社会では、子供がゲームをすることが容認されている。
学校にいても、家でゲームをやっていても、あのとき感じた違和感はわたしを苛み続けた。
例のカフェインに対する倫理セッションの後の、霧慧トァンの記述である。
健康が至上とされ、慈しみと思いやりでがんじがらめになった生命主義社会で、子供が家でゲームをしている……
というのは、どうも奇妙なことに思える。
なぜなら、『ハーモニー』が執筆された二〇〇八年当時の日本では、六年前に出版されたベストセラーによって、ゲームとは疑いなく子供の脳と健康に悪影響をもたらすものだと広く認知されていたからだ。
この近未来の生府社会においては、誰も森昭雄『ゲーム脳の恐怖』を読んでいないのだろうか?
テレビゲームが脳を壊す!
脳波データの解析で、その恐ろしさがあきらかに。
テレビゲームは、子どもの心や体をだめにするのでは?と心配しているお母さん、お父さん。そう、あなたの心配は的中です。このまま放っておいては大変なことになります!
脳神経科学者の著者が、目に見えるデータとして、テレビゲーム中の脳の状態をとらえました。テレビゲームをしているときには、驚くほど、脳――前頭前野の機能が落ち、恐ろしいことに、やがてゲームをしていないときにも、働きが悪くなっていきます。
「ゲーム脳人間」になってしまうのです。前頭前野は、創造力や理性、激情の抑制などを司っていて、人間を人間らしくしているところです。そこが働かないとなると……。
すぐに手をうたなくてはなりません。ヒントはこの本に書いてあります。今日からぜひ始めてください。テレビゲームの電源を切って。
ちょっとのことでキレる「ゲーム脳」
小学生の脳は、発達段階にあるので、毎日長時間、習慣的に、コンピュータゲームをしていると、大脳にある前頭前野というところの働きが、低下してしまいます。
前頭前野には、物事を覚える、がまんするなどたくさんの働きがあり、その働きが低下すると、すぐにキレるなど気持ちのコントロールができなくなることもあります。
2005年、ある小学校で保護者らなどを対象に行われたゲーム脳に関する講演で、森が自閉症に関して言及し「最近、自閉症の発症率が100人に1人 = 1%と増えているのは、ゲーム脳のせい。先天的な自閉症の数は変わらないので、増えた分はゲーム脳による後天的自閉症だ。」と発言したという伝聞がインターネットコミュニティを中心に広まった。
当然ながら、伊藤計劃はゲーム脳の存在を知っていた。
『ハーモニー』刊行直前の2008年11月に書かれた彼のブログには、映画「デス・レース」の感想としてこのような記述がある。
しかし、エイリアンvsプレデターの「マップが変わるダンジョンが舞台って良くね?」とか、バイオハザードの「トラップがたくさんある研究所って良くね?」などと同じ、ひどいゲーム脳は今作でも相変わらずで、サーキット上の「剣」とか「楯」とかいうタイルを車が通過する(踏む)と武装や防御機能が使えるようになるというひどいF-ZERO脳にはびっくりした。
しかし、ここでは文脈上、ゲーム脳という言葉は「ゲームと現実の区別がつかない人」という意味合いで使われている。森が主張するタイプのゲーム脳を信じていたという意味ではないようだ。
それどころか、彼はブログでこうも書いている。
こういうのを見るたびに疑問に思うのだが、
「マリオカートの影響で五人はねる」とか
「『ぷよぷよの』影響か ジェル投げつける」とか
「ラピュタの影響 人がゴミのよう、と容疑者」とか
「『スマブラ』模倣。通行人にいきなりアッパーパンチ 『ヒッホー』と奇声」とか
「『ピクミン』模倣犯。十人が下敷きに」
なぜそういう事件は起こらないのだろうか。なぜGTAとかひぐらしとかバイオハザードとかそういうのしか事件にならないのだろうか。
このようなゲーム脳に対する批判は、出版当初から多くの学者・有識者から指摘されてきた。ニセ科学に対する批判・反論記事について調べたことのある人なら、一度は目にしたことがあるだろう。
森は、脳波活動定量化計測装置なるものを発明、その装置を用いて著したNHK出版『ゲーム脳の恐怖』(生活人新書、二〇〇二)が三五万部超えのベストセラーとなった。「ゲーム脳」とは、ゲームのやりすぎで脳の前頭前野の機能が低下した状態で認知症患者の脳と同じだという。ただし森がいう前頭前野の機能低下と同じ状態は熟練した職人の作業中や将棋・囲碁などの名人の対局中にも見られる。
脳がどのようにはたらいているか調べるには、頭のいろんな場所で測定して、比較しないといけないはずです。おでこでだけ測定して「前頭前野のはたらきが低下している」なんて言えるわけがないんです。
反論の量があまりにも膨大なため、ゲーム脳に対する詳細な反論は、本記事では割愛する。
さて、そんな世間を悪い意味で騒がせた『ゲーム脳の恐怖』だが、本書をアイデアの源泉として執筆されたSF作品が2004年に刊行されたのを御存知だろうか?
有村とおる『暗黒の城(ダーク・キャッスル)』がそれである。
粗筋:
中堅ゲームメーカー「リアリティ」に勤務する早川優作の仕事は、ゲームを行いその体験をフィードバックする被験者だった。現在開発中のバーチャルリアリティゲーム「ダークキャッスル3」の第一ステージに登場する大蜘蛛に弟の良人の映像が使われていたため、優作はそこで失敗してしまう。
このホラーゲーム「ダークキャッスル3」開発中に、関係者が相次いで変死する事件が起きる。プロジェクトリーダーの小山高志はフェラーリを270km/hで走行中に激突死、もう一人の上野波雄は、密輸した拳銃を「リアリティ」社内に持ち込み、自らの後頭部を吹き飛ばすという凄惨な死を選んでいた。
さらに優作は、同僚で恋人の佐藤美咲までもが死を恐れないような行為をとるのを見て愕然とした。
大学時代の女友達で今は雑誌記者の鷹石茜が、「ダークキャッスル3」の取材にやってきたのを契機に、事件の真相を追いはじめた二人。
それは、現在は消されてしまった「死の恐怖を取り除く」外科手術に関する論文と、それを手伝ったと見られる日本から留学生の行方だった。
彼はどうやら、8年前に集団自殺を遂げたカルト集団と関連してるようなのだ。
第4期京都大学SF・幻想文学研究会OBを主体に結成されたSF・幻想文学の創作・レビュー・翻訳を行うサークルである「カモガワSFシリーズKコレクション」が刊行した同人誌の中で、神譲γ氏による『暗黒の城』の詳細なレビューが記載されていたが……その評価はかなり手厳しい。
巻末から見てみると、目に飛び込むのは、参考文献に燦然と輝く『ゲーム脳の恐怖』。いきなりパンチが効いている。
(中略)
バーチャルゲーム会社スタッフである主人公を含め、主要キャラたちはゲームに何らかの関わりを持っているが、この作品中で、一定以上のゲーム好きであることはイコール、社会不適合者か悪人であることを意味する。そしてろくな死に方をしない。
(中略)
闇社会の人々がわざわざ船に乗って闇のゲームを楽しむ世界で、我々のゲーム観はきっと通用しないのだ。ちなみに件の船、火災に襲われるんでゲームしてた人たち全滅します。勧善懲悪!
そして本作は、第5回小松左京賞受賞作品でもある。
伊藤計劃『虐殺器官』が落選した、あの小松左京賞だ。
小松左京氏に「重量感あふれる迫真の作品」と絶賛された第5回小松左京賞受賞作品。
ここで、伊藤計劃ファンにとっては有名な、小松左京による第7回小松左京賞最終選考選評をもう一度読み返してみたい。
何十年も昔から私は、インターネットやコンピュータが当たり前の世界になり、人間どうしのコミュニケーション力が落ちたときに、それが人間の感情にどう影響を与えるか、また若者の世代がどう変わるかを考えなければいけないと言ってきた。
ゲームも含めた仮想空間の人間ではなく、痛みや悲しみ、喜びなど現実世界に生きる人間の感情のひだをもっと描くことや、また読者の捕まえ方や引きずり込み方も学んで小説を書いて欲しい。
(中略)
伊藤計劃氏の「虐殺器官」は文章力や「虐殺の言語」のアイデアは良かった。ただ肝心の「虐殺の言語」とは何なのかについてもっと触れて欲しかったし、虐殺行為を引き起こしている男の動機や主人公のラストの行動などにおいて説得力、テーマ性に欠けていた。
果たして小松左京は『ゲーム脳の恐怖』を信じていたのだろうか?
それはわからないが、「ゲーム好きであることはイコール、社会不適合者か悪人であることを意味する」物語を「重量感あふれる迫真の作品」と評価した小松が、そのゲーム好きである伊藤の作品を高く評価するのはどうも難しいのではないか……と自分は思う。
さて、その迫真の作品と評された『暗黒の城』だが、そのアイデアの中核になるのはズバリ「ゲーム脳による新人類の誕生」だ。
「ちょっと待ってくれ」優作は茜が話した内容を十分に理解したかどうか自信がなかった。「その論文の言いたいことは、扁桃体と海馬とやらの脳内組織の麻痺が、DNAに作用して人に死の恐怖を感じなくさせる。同じように、ある種のバーチャルリアリティ・ゲームによっても、人から死の恐怖を取り去ることができるということなの?」
「そうよ。優作の理解力を見直したわ」
「馬鹿にするなよ。しかし、その説は眉唾だよ。たかがゲームが人のDNAに作用して、死の恐怖を取り去るなんてありえない」
「わたしもナオトアキヤマの説には疑問を持ったわ。でも、ゲームが人の脳波という物理的な現象に影響を与えるのは事実だし、ストレスがDNAを傷つけることもよく知られている」
サブリミナル効果をもつリアルな残虐ゲームをプレイすることで、脳の一部が萎縮、死の恐怖を司るDNAが機能停止。死への忌避感を持たない恐るべき新人類が誕生する。MMRも真っ青の科学力だ。そう、虐殺の器官とは……ゲーム脳のことだったんだよ!
死への忌避感を持たない新人類への恐怖。
2015年に宝島社から出版されたファンブック『蘇る伊藤計劃』の中で、作家の岸川真は「(伊藤計劃の作品において)彼が映画評で触れるピーター・ウィアーには密かに影響を受けている」としたうえで、ウィアー監督の1993年の作品である『フェアレス』に触れてこう書いている。
伊藤が言及している『フェアレス』とはこういう話だ。飛行機事故に遭いながらも生還した主人公の男。彼は躁病的に活動し、死を恐れない人間に変貌していた。車道を突っ切っても、ビルの天辺に立っても恐れはしない。
(中略)
時間を喪失している主人公が徐々に事故の核心へ近づいていくにあたって、恐怖に直面していくのだが、抗えぬ「大きな死」というもの、恐怖を持たないことへの周囲の恐れという流れは『虐殺器官』『ハーモニー』、『屍者の帝国』まで低音部にあるような気がする。思弁的な意味で、この奇妙なドラマに惹かれたはずだ。
そして伊藤計劃自身も、「死からの逃避」についてこう述べている。
webには確かに、ある種の中毒性がある。麻薬のような、というとき、それは主にアディクションを指した比喩に留まることが多いけれど、告白すると、そう、ぼくはmixiに携帯でつないでいるあいだ、確かに不安を幾分か忘れられた。コミュニケーションには人の脳を恍惚に置く何かが確かにある。(中略)
死の影におびえていたぼくだけれど、携帯でつながっているときは、その不安がいくらか和らいでいたような気がする。目の前の問題から、目をそらすことができていた気がする。
生き死にが問題であるとき、現実逃避するのが悪いことかいうとそうでもない。ただ、生き死にが問題の場合厄介なのは、現実が重過ぎて目をそらすことが非常に困難だということだ。そのような局面に陥ったとき、人はむしろ現実しか見えなくなってしまうところが問題なのだ。だからこそ、宗教というものに目覚める人も多い。宗教のように強力なコンテンツでなければ、死からの逃避は難しいからだ。
インターネット。コミュニケーション。死からの逃避。
それは『暗黒の城』も小松左京も言っていたことだ。
しかし、ゲーム脳がニセ科学だというのなら……
死からの逃避もまた、偽物だということにならないだろうか?
もしかしたら、誰もがこのゲームから降りたがっていて、けれど世間の空気というやつがあまりに手強い関門なので、降りることを諦めてしまっているのではないだろうか。
***
森昭雄『ゲーム脳の恐怖』では、あらゆるゲームが害悪であるとは書かれていない。中には認めてやってもいいゲームもあるというスタンスをとっている。そのひとつがダンスゲームだ。
ダンスのゲームをすることでβ波が高くなることから、ゲームもものによっては、そう悪いものではないかもしれないという気になってきます。
(中略)
健康的で楽しく、運動的要素を取り入れたダンスゲームのようなものは、記憶に関係した海馬の細胞増加そして前頭前野の働きを高めると考えられます。
健康的で楽しく。
いまなら確信を持っていえる。
あの倫理セッションの後、トァンが家でやっていたのは、ダンスゲームだと。
生府社会の違和感に苛まれながら、霧慧トァンは踊っていたのだと。
タタッ、タタッ、タタッ。
しかし森昭雄は「ゲームは反射神経をよくするわけではない」とも述べている。
よくテレビゲームや携帯型ゲームをやると「反射神経がよくなる」とか、「反射運動がよくなる」という報道を聞くことがありますが、これは基本的に誤っています。「反射」の場合には、基本的に大脳皮質は関与していないのです。
ゲームに大脳皮質が関与してないというのなら、ゲームにそもそも意識は関与しているのだろうか?
意識とは、何であろうか? 進化の過程で人間が獲得した、生物学的機能だというのが、答えの一つだ。
本当だろうか? どうにも疑わしく思われる。ためしに、簡単な実験をしてみよう。あなたが持っているスマホで、アイドルリズムゲームを開いてみてくれ。そのなかで、一番お気に入りで、何度もプレイしたことがある曲を何も考えずに遊んでみてくれたまえ。ハイスコアは更新できたであろうか? では次に、もう一度同じ曲をプレイしてみよう。ただし、今度は意識を高めることだ。一回一回、どの指を動かすか、どこをタップするかを詳細に考えながら遊んでみてくれ。
おそらく、何も考えないときにくらべてスコアは格段に低くなっているはずだ。意識を生成するのに余計なエネルギーが使われたため、肝心の情報処理のパフォーマンスが落ちてしまったのだ。
特に、作品構造が『ハーモニー』と合わせ鏡のようになっている。百合SFだということもさることながら、結論も対照的となっている。読者よ! よく読め! 考察せよ! 伊藤計劃さんはあなたの目の前にいるのだ。プロジェクトは終わらない。
さて、2021年12月。
バイオテクノロジーと工学を融合させる合成生物学の研究をしているオーストラリアとイギリスの研究チームは、iPS細胞の技術を使ってペトリ皿の中で培養した人間の脳細胞にゲームをプレイさせることに成功したと発表した。
人の脳細胞を培養するという技術は、2019年の時点ですでに確立されている。
2019年8月、カリフォルニア大学サンディエゴ校において神経科学の研究チームは、ヒトの皮膚の細胞から培養した豆粒サイズの細胞組織「脳オルガノイド」から、人間の胎児に似た脳波を検出することに成功したとの論文を発表した。
研究チームは今後、脳オルガノイドをさらに改良して、自閉症などの神経網の機能不全に起因するとされる疾患や、その治療法に関する研究を進める予定だという。
ついに、わたしたちはここまで来た。
「ついに、わたしたちはここまで来た」
ミァハはそう言って、タタタッと軽やかにステップを踏んだ。
(了)
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