【ゲーム脳の恐怖】
2002年にNHK出版の生活人新書から出されたテレビゲームバッシングの本。森昭雄著。出版当時はテレビゲームを嫌悪する中高年層やメディアに受け、大きな話題となった。
帯には「テレビゲームが子どもたちの脳を壊す!脳波データの解析で、その恐ろしさが明らかに」と書かれている。
著者は「脳波測定によってテレビゲームの危険性を明らかにした」と称し、一応は脳神経科学を専門とする日本大学教授……なのだが、極めて主観的かつ非科学的な内容で、数えきれないほどのツッコミどころを含んだ疑似科学本に過ぎない。そのトンデモ振りは、と学会『トンデモ本の世界T』や左巻健男『学校に入り込むニセ科学』などの書籍でも取り上げられている。
また精神科医の斎藤環氏や「脳トレ」で知られる川島隆太教授など、ゲーム文化に通じている脳科学関係者も森氏の『ゲーム脳』理論を「全く支持しない」と表明している。
斎藤氏は、本書が文中に頻繁に登場する「EMS-2000」なる怪しげな簡易脳波測定器の広告的な著作に過ぎないのではないかと問題視さえしている。しかも森昭雄氏のEMS-2000は脳波の簡易測定器としては高額で、はるかに安価で測定機能もしっかりしたものが既にあるという。
斎藤氏がこの本と機器の脳波知識の怪しさについて、専門的な立場から検討しているインタビューがあるので、関心のある方はぜひ一読されたい。
一方でゲーム嫌悪層への本書の人気は高く、悪名高い「香川県ネット・ゲーム依存症防止条例」を作った同県議会議長の大山一郎も、影響を受けたことを自ら告白している。
本書『ゲーム脳の恐怖』が述べる説の概要はこうである。
「人間の脳は、知的に働いている時にはベータ波が出ているが、認知症患者などではベータ波が減り、アルファ波が増えている。テレビゲームをやる人間の脳は認知症患者に似た脳波を示すことが分かった。だからゲームは脳を低下させる危険なものだ」
そしてこの脳の状態を「ゲーム脳」と名付け、現代の若者文化や犯罪報道などと主観的に結び付けては、ゲームバッシングを繰り返している。
この論理展開は。脳波について少しでも科学的知識がある人間からすれば噴飯物である。
まずアルファ波の優位は別に認知症の人に特異的なものではなく、ごく普通の人に日常的に表れる状態である。
特に脳科学に詳しくない人でも、アルファ波という言葉が「睡眠」「リラックス」「集中力」などとも関連する、いわば「良い脳波」として扱われているグッズやコンテンツを目にしたことがあるであろう。そのようなグッズの実際の医学的効果はともかく、アルファ波がリラックスしたり、一つのことに集中している時に出ること自体は事実である。
『ゲーム脳の恐怖』文中にさえ「痴呆の人の聞き取り中と健常な人がボーッとしているときの脳波が似ている」と書いてあるのは、このリラックスとα波の関係のことだ。
つまり「ゲームをやっているとアルファ波が出る」というのは「ゲームを遊んでリラックスしている」という普通も普通の事象を指しているにすぎないのである。
これを無理やりに認知症と結び付け、「脳が危険な状態」と煽っている――というのが本書の基本的なからくりである。
また、森氏が怪しい機器で測定したとされる「ゲームをやっていない時の健康な脳波」とされるベータ波は、多くがお手玉をやっているときとか、何らかの体を動かす行為をさせているときに出ている。メディカルシステム研修所は、これらの波形は「筋電図アーチファクト」――つまり筋肉を動かしたことによって発生したノイズに過ぎないであろうことを指摘している。
すなわち森氏が危険視する「ゲーム脳患者」がただの正常なリラックスした人だっただけでなく、「ゲーム脳でない健全な人の脳波」さえも、ただの電磁的ノイズの産物に過ぎなかったのである。
そもそも著者・森昭雄氏の脳波知識は、専門家めいた肩書をしているにもかかわらず極めて怪しい。
アルファ波を「大きくてゆっくりした波(高振幅徐波)」と書いてあったりするのだ。アルファ波は異常脳波の一種である徐波ではなく、大きいかどうかも関係ない。脳波に関する極めて初歩の間違いである。
もちろん予想されるように、本書のゲーム&コンピュータ関係者、そして現代の若者たちに対する偏見はひどく、知識も貧弱である。
こんな調子である。
・「ゲームははテンポが速く、思考の入るすきまがありません。要素もありません」
→RPGや推理ものなどのテキストアドベンチャー、戦略シミュレーションなどはどうなるのだろうか。アクションや落ちものパズルしか知らないのか。
・「ロールプレイングゲーム」の説明として「ホラー映画のような、スリルと恐怖感を抱かせるものでした。自分が敵にみつかって殺されないように敵陣に進入し、相手を威嚇しながら画面上で突き進んでいく」と紹介。
→『メタルギアソリッド』か『バイオハザード』あたりの話をしているかと思われるのだが、両者とも普通は「ロールプレイングゲーム」とは呼ばない。
・「ソフトウェア開発者は、視覚情報が強く、前頭前野が働くのは勤務時間内でもほんの一瞬で、ずっと使い続けているわけではありません。開発といっても設計図を描くわけではなく、画面をみてつくっていく仕事です。朝九時に席に座り、夕方五時までずっと画面をみています。ひらめいたり、集中しているのはわずかな時間で、ただ画面をみている時間のほうが圧倒的に長いのです」
→ひらめきも集中もなくただ画面をみているだけでソフトウェア開発ができると思っているのだろうか。
・「自然の中での体験が大切」的な話をしだすのだが、その中に「海でオゾンの香り、野山では緑の香りを嗅ぎ分け~」とある。
→オゾンなど海にはない。そもそもオゾンは有毒である。
・「子どもが自分の飼育していたカブトムシが死んでしまい、親が悲しんでいる様子を見て、『パパ、電池を交換すればいいよ』と真剣な顔をしていったそうです。この話に私は強い衝撃を受けましたが、子どもの脳に異変が生じていることは現実なのです」
→テレビゲームが流行するよりずっと前からある有名な都市伝説。
・「ゲームショーに行くチャンスがあり、見学してきました。その会場の異様な雰囲気に驚き、ショックを受けてしまいました。というのも、中学生風の女の子が、左右に立派な白い羽をつけたエンジェルの格好をして、真面目な顔で歩いているのです。しかし、会場をよく見回してみると、テレビゲームのなかに出てくるキャラクターそっくりの衣装に身を包み、無表情で歩いている小中高生が、彼女のほかにも百人前後いることに気がつき、再度ショックを受けました。このとき、私はこの子たちの将来、そして日本の未来はどうなってしまうのだろうかと心配になってしまいました。」
→著者にコスプレへの偏見があることだけは分かるが、ゲームショーでコスプレすることと将来と何の関係があるのかは全く不明。
このように、ほとんど若者憎悪・コンピュータ憎悪ともいうべき先入観を疑似科学で上塗りしただけの本なのだが、ゲームへの社会的偏見を正当化した極めて罪深い本である。
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