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創作に使える!文系大学院生シチュ

 自分で言い出したはいいものの、創作の参考になるほどものがあるか?院生全員くさいとおもう。


修士課程(博士前期課程・マスターコース・M)

 修了すると「修士」という学位がもらえる。一般的に大学院は、「修士課程」と呼ばれる、大学院お試しまだ人間に戻れるコース(2年)と、その修了後に続いてもう引き返せない「博士過程」とよばれるガチ研究コース(3年)があります。一般的には修士課程卒を、「院卒」と呼ぶのかなと思います。
 入院してくるのはつぎのような方々です。

・まだ大学で勉強したいという物好き
・院卒という肩書がほしい奴
・教員免許の専修免許(ちょっと給料良くなるらしい)取得する奴
・院ロンダ
・研究者志望
・撮り鉄みたいな奴
・トチ狂ったやつ

 院ロンダというのは、より偏差値の高い大学の院に入ることで、自分の最終学歴を書き換えることです。私の周りにも、弊校にやってきた人も弊校から出て行った人もいました。外から来た人への排他的な感情や、よその大学院へ出て行った人への僻みの気持ちは確かにあります。ですが、学部の受験ほどはピリピリとはしていません。なぜなら、大学院では偏差値による選別はほとんど機能しておらず、学部受験の時のように偏差値の高低で他人を蹴落としたり蹴落とされたりすることがほとんどないからです。
 入学に際し重要視されるのは偏差値だけでなく、適切な指導を受けられる環境にあるか、教員が指導できるよう範囲にある、ある程度似た研究をしているか、気が合うかどうかなどです。学部はFランと思われる私立大学の大学院にすごく優秀な方がいる場合もあれば、逆に有名大学の大学院にかよっていても、指導教員とソリがあわずにやめたり別の大学院に入り直したりした方もいます。
 自分の最終学歴をよりよい大学の名前に書き換えることだけが目的ならそう割り切ってドライな心構えでいるほうが楽かと思います。私個人としても、修士でロンダするならアリだと思います。ただし、偏差値競争の中であの日の雪辱を果たした、という達成感は必ずしも得られない部分もありますが、お含みおきください。

 文系の修士課程は人間に戻れる最後のチャンスかもしれません。私は生涯自分の子を持つことはないと思いますが、イマジナリーキッズにはくれぐれも「大学院は修士までにしとけ」と言い聞かせて育てたいと思います。

博士課程(博士後期課程・ドクターコース・D)

 万が一、修了すると「博士」という学位がもらえる。博士号とか、Ph.D.とか言われる、そんなん。基本3年間のコースだという嘘が世の中に蔓延っているようですが、それはせいぜい理系だけの話です。
 入院してくるのはつぎのような方々です。

・研究者志望
・撮り鉄みたいな奴
・トチ狂ったやつ
(複数選択可能)

 魔窟。もうこのへんになると学生から生え抜きできたやつと、社会人経験者半々くらいになります。大学にいる、学生の年齢でもないけど教員でも事務員でもなさそうな人、いるじゃないですか。あれきっと院生ですよ。おじさんおばさんおじいさんおばあさんも普通にいます。

 私は、同じタイミングで受験したメンツの中に嫌いな奴がいたので、「もしこんな頭のおかしい電波野郎まで入試に通ったら、学問もおしまいだと思う。さっさと見切りをつけよう。」と思っていたのですが、さすがに郷土史老害みたいな奴や陰謀論者みたいな奴は落ちてました。

 ただし狂いの方向性が違うというだけで、結局狂ってはいます。必ずしも院試によって、濁った泥水のなるべく上澄を掬い上げた、というわけではありません。種類の違う狂いや濁りを選んでみた、と言う感があります。話聞かない糖質やナルコプレシー全開のADHDみたいな奴との関わりは減った代わりに、うつとか躁鬱とか強迫神経症とか自閉とかASDとか、そういうのとの関わりが増えた。

 そして、己の無能を正当化するようなことを言って恥ずかしい気もするんですけど、標準年限が2年と3年なだけで、特に文系博士課程については3年で出られる人は、ほとんどいません。優秀な方でも。管見の限りでは。指導教員の退官に合わせて○年で出る、などのパターンはありますが、5、6年はかかるのが普通なんじゃないでしょうか。長期間海外留学するから休学するなどの事情もあり、私自身も誰が何歳で何年生か知りません。興味もないし聞いても忘れるし…。ずいぶん長く、というよりは出会って以来ずっと同じ立場にいる気がする奴や、いつの間にかいなくなった奴など、ザラにいます。
 コミュニケーション能力が絶望的に欠如した大学院生という存在がやむにやまれず他の大学の人との会話をしないといけない時の鉄板の話題として、「研究室何人くらい?」というくだりを挟みます。しかし、これは一見簡単な質問に見えて、正確に答えることがかなり難しい質問です。理系はきっちり3年で出る人が多いそうです。

生活

 必要な単位は学部に比べてずっと少なく、単位を集めること自体は全然難しくありません。授業があるのは週一日か二日くらいです。あとは自身で研究するなり、論文書くなり、アルバイトするなり…。その繰り返しです。学部生に比べて図書館で借りれる本の数とか印刷できる枚数とか増える。偉くなった気になる。院生らしく深夜まで研究室に残るもの一興です。平日と休日という区分が曖昧になり、ゼミの日・学会の日・何かが開いてる日閉まっている日・その他みたいな生活になります。
 忙しいか忙しくないかと言われると、忙しいのかもしれません。人間に等しく与えられている(ことになっている)24時間という時間を埋めるためのコンテンツは無数に存在します。むしろやりたいことややっていい自由や権利があるのにできることは絶望的にわずかです。
 まともに考えると気が狂いそうになるので、とりあえず報告や論文、書類提出の締め切りを当面の目標にして、先行きが不透明で流動的でどうしようもない将来への不安をかき消している人が多いのではないでしょうか。

研究会・読書会

 一人で読むにはあまりにも辛く、わからないのはお前の要約が悪いからだ!と他人のせいにしたい、でも一応は読んだことにしておきたい。そんな本、ありますよね。お知り合いと読書会でも開いてみてはいかがでしょうか。課外活動くらいのノリで、そんなに敷居の高くないものです。仲良いお友達と集まって、友達の友達と知り合くらいものです。時々、連れの連れの連れくらいの人で、有名な人が参加する時もあるかもね!

 誰でも行っていいオープンなものと、基本固定メンツで開催して、新メンバーは知り合いからの紹介のみ受け付けるクローズドがある。でも研究者概ね宣伝下手だから、オープンの研究会を知る方法が人づてだったり、クローズドの研究会に誰も呼んでない奴がいたりすると思う。こんなニッチな研究会や奨学金の情報を知ってる俺、すごいでしょ、特別にお前にだけ教えてあげるね、と内緒話を共有することで連帯感を高め、かつ恩を売ろうとする不届者もいます。人と仲良くなる方法をあまり知らない人が多いのでしょうか。概して宣伝が下手です。なんやかんやで色んな分野の方とも知り合えます。学際的〜!定期的に開催ものと単発で終わるものとがあります。

 1時間くらい話聞いて、気になった箇所を質問して、なんとなく討論っぽいことして、一通りの儀式が終わったら懇親会という名の飲み会で仲を深め、二次会以降では気になるメンツや愚痴を言いたい相手と飲みに行く。その繰り返しです。知り合ったあと、親交を深めるか否かはお前次第。相手をやり込めたいのか、評価したいのか、仲良くなるきっかけにしたいのか、単純に気になったのか、目的によって接し方も変わってきます。こちらの問題だけでなく、報告者が緊張していた、司会がバカで自分の話をずっとしていたなどの理由でなかなかお手本のような議論討論に発展することは稀です。気軽に何か反応してあげるといいんじゃないでしょうか。
 色んな人から質問攻めにあうのもそれなりに怖いものですが、完全な沈黙の方が怖いです。また完全な沈黙と並んで恐ろしいのが、一人の人間による、爆速マシンガン長文大量お気持ち質問です。平気で4つ5つの質問やコメントをぶつけられると、通常の人間はフリーズします。何が言いたいのか要領をえない質問について、メモを取ることも困難です。以前爆速質問野郎に、煽りも込めて「どうやったらそんなに素早くたくさんの質問ができるんですか?」と質問したことがあります。4つか5つの答えが返ってきたので、私は理解することを諦めました。
 多くの場合、懇親会では学生や院生は職持ちより安い値段設定になっているので、ここぞとばかりに食べたいものを食べましょう。報告者はタダという場合もあります。適度に気を使ってるフリをする技術が身につくと、今後の展開を有利に進めることができるかもしれませんし、ただただメニューを手放さない下座の妖怪として君臨することになるかもしれません。

学会・学術雑誌

 年会費5000〜10000円くらいのサブスク。大抵学生料金があるので、そっちでお得に入りましょう。0円の場合もある。複数個所属する人が多いけど数が多ければ多いほど偉いというわけでもない。
 多少違う分野の学会でも、ある程度の縛りはある程度あるかもしれないけど、どんな研究してるかどんな理由で入りたいかを列挙すれば通ります。運営サイドとしても金を落としてくれる人を確保しておくにこしたことないから。
 会員になると機関誌が研究室やお家に送られてきます。最新の研究雑誌というやつです。同人誌よりもしょぼい加工です。掲載されている論文は、自分の専門とは直接的には関わりのない論文がほとんどです。もちろん勉強にはなるのですが、物理的に場所をとります。私は、運べなくなる前に自炊して処分しました。そもそも図書館や研究室で借りた方が早い。
 学会の規模は様々で、会員数が数千人のものもあれば3人くらいで運営するものもある。既存の権威に阿るタイプの人もいれば、根性があり体制を確立させるだけの人望も持ち合わせ「自分で自分の理念に沿う学会を作る」というタイプの人もいる。
 インカレ的なものもあれば特定の大学に所属する人だけ会員になることができる、というよりは半ば強制的に会員にされるものもあり、そうした団体は同窓会的な側面もある。たまたま同じ大学を卒業したと名乗る、すでに社会に出たほとんど無縁に等しいジジババに何言われても現役の学生や院生にとっては知らんし聞く意味ないが…?という舐めの感情しかありません。他人として認識しているので、偉そうに先輩ヅラして話しかけてこないでほしい。卒業して、大学とかいう呪われた地を去った人に羨ましさと恨めしさを抱くことはあっても、全く生まれ育った環境も時代も違うお前らの言うことなんて聞く義理ないから。うるさいクレーマーだった場合、「会」を仕切る教員に文句が行き、さらにそれがこっちにまで降りてくることがあり、それがめんどうで黙っているだけだから生意気な後輩をノしてやったと勘違いしないでほしい。痛いですよ。
 私は、いい歳こいた大人が〇〇男子〇〇女子と名乗ることや、トヨタ関係者でもないただの学生のくせに理系の奴らが使いたがる 「見える化」という表現があまり好きではありません(個人の感想です)。OB・OGという表現もそうです。老年の域に達した人間がボーイやガールを名乗ることは百歩譲って目を瞑りましょう。でも「オールド」と付け加えることで、今は社会に出てお前とは違う立場だけど、昔はボーイやガールだった時期があり、お前の先輩にあたるんでございと、一丁前に関係者を気取るのが腹立たしい。

 毎月あるいは数ヶ月に一度程度、「例会」と呼ばれる報告会をします。研究報告の場合もあれば、業績検討会などのパターンもあります。若手(*ここでいう若手とは二十代前半から三十代後半、あるいは四十代、場合によっては五十代のフレッシュでピチピチで水も滴るようなイキイキした人材を指します。)が主導・参加します。そして、年に一度の「大会」が開かれます。こちらは公式のお堅い会で、若手以外の人も参加します。もちろん中年壮年御大家も。
 報告者は流石にかしこまった格好の方が多いですが、一般参加者は私服で十分です。目立ちたくて仕方がなく、なおかつ肝っ玉が座っているなら、Tシャツサンダルで報告をかましてもいいと思います。もちろん、「話聞いてもらう立場なのに何イキっちゃってんの?」と思われること請け合いなので、報告するならスーツが鉄板です。
 そこの機関紙がいわゆる学術雑誌であり、院生が必死こいて論文を載せようとする場です。

投稿論文

 学術雑誌に論文を投稿してみましょう。実績になります。字数や細かい決まりについては、各学会の規約を見てください。「こんなんでええんか?じゃあ自分も出来るかな、やってみよ〜っと!」でやると思いの外できない。凹む。完成したら、審査料を添えて投稿しましょう!1発で通ることはまずないので、何度も修正して送り直し、掲載を待ちましょう。このやりとりの期間が意外と長く、数ヶ月はかかります。ですが、博士過程を修了するためには投稿論文が何本学術雑誌に掲載されていないといけない、という条件もあるので、避けては通れません。

査読

 投稿した論文(報告のための資料などの時もある)を掲載する前に変なところがないかチェックします。基本的に匿名で行われるのですが、実際誰によって査読されたものか、間接的に知ることができます。投稿先の委員にでも教えてもらいな!「審査料を払って論文をブラッシュアップしてもらっている」くらいの認識でいいそうです。あの時投稿した論文を査読したあいつに酷い難癖をつけられたけど、今度は難癖つけてきたあいつが媚び売ってスリ寄ってくる…。という困った政治もあるそうです。紀要とよばれる学内論文などだと査読がない場合もあります。

印税

 論文が載ったからといって、お金はもらえません。むしろ掲載料や出版にかかる費用を払わないといけない場合もあります。書籍では、印税がもらえる可能性が存在することもありますが、契約によっては「初版は印税なし、第2版以降1冊につき何円」とかいうほぼほぼ絶望的な世界なので、印税に夢を見るのは現実的ではないです。学術書は平気で5000円超えるし、手軽に文庫本で読めるのは、文庫化しても採算がとれるくらい手に取ってもらえた本です。つまりそれだけ売れてないといけないということで…。
 そして、研究費が有り余っているならともかく、1冊5000円の学術書をポンポン買うわけもありません。それに、ある程度親しい人が本を出版した場合、献本を送るのが慣習になっています。だから自分では親しい人の本は買わなくてもいただけ、興味ないものはそもそも買わないので、商業的にバカ売れする方法は悲しいことにほとんどありません。
 なお似たようなもので、論文の抜き刷りを名刺がわりに他人に押し付けることが自己紹介がわりにもなるというイカれた文化もあります。

 ちなみに、学術雑誌の印刷会社はほとんど毎回同じ会社にお願いするので、足元見て印刷費をバカ高く設定してきます。ゴリッゴリに癒着しています。その癖、校正ができていなかったり、校正した結果としてミスが発生していたり、めちゃくちゃになった原稿が返されたりすることがあります。印刷するまではセーフ!脱稿した論文は2、3回校正作業があるので、その作業中であれば誤字脱字の修正や加筆ができますが、あんまりやりすぎると当然嫌われますし、いらんミスを誘発する原因にもなります。

リサーチマップ

 研究者のプロフィール帳。学歴・職歴丸出し。所属大学や所属学会、発表した論文などの情報が載っており、ネットで見れる。部外者でも見れる。登録時に一応審査があり、過去に発表した論文とかの情報を見られる。サブ垢は作れない。あと鍵垢もない。引用RTもない。最近では自分の論文や資料等のPDFに巧みに誘導し、DLされた回数を見れる仕組みが流行ってるらしい。

J-REC

 研究者のタウンワークでありマイナビでありアカリクでありビズリーチであり、なんかそんなん。ネットで見れる。私は研修者の人事は、人脈に依存した後任の取り方をしているのが大半だと思っているので、本当に公募しているものがあるのかは知らない。まぁでも、「今回クビになる予定の前任者と、一切関係がない奴」が欲しい時なんかのためにはなってるのかな…

TV番組

 侮蔑の対象。知っている人が、全然自分の専門外のことについて解説・紹介していて引いた。TVに出てくる「専門家に聞いてみた」が、とくに専門でもなんでもなくてワロタ。TV局の人がある程度中身と言ってもらうことを決めてから来るみたいなので、注文の通りにわかりきったこと言えばいいみたいですよ。
 あの人、TV出るようになってから研究や性格変わっちゃって残念だね…という話はたくさん聞きます。もちろんTV出るなどして華々しく有名になることを誇りにできる/広告してなんぼな環境もあると思うので一概には悪いとは言えないのですが、私の周囲ではバカにされていました。

博士論文

 博士号にも、論文博士と課程博士で細かい違いはあるんですが、まぁ今となってはどっちでもいいかな…。理系では「この3年でとりあえずここまでやったよ」という報告書として一旦博士論文を出すそうです。文系では研究生活の集大成!マスターピース!みたいな気持ちで出す方も多いそうです。一旦集大成を仕上げたいと思っている時に、「まだ出してないの?」と、報告書を出せばOK〜♪くらいに博論のこと気軽に考えてる輩に言われると腹が立ちますよね。私は立ちました。

 昔は、博士論文を提出しなくても大学内のポストにつける時代があったそうです。今は、博士論文を提出していてもポストがあるとは限らない時代です。強みにはなるけどあったからといって必ずしもなんとかなるわけではないというか。くそ、老害め。死ね。先に就職がなくて苦しんでいる哀れなポスドク共が変な気を起こす前に就職決まったらいいとは思うけど、その分自分の番は遅れるわけで、くそ。

 博士論文は、卒業論文や修士論文と異なり、事前に予備審査があります。そして、これにも審査代として5万円くらいかかります。いや、見ず知らずの、無資格の人間に文句つけられることよりずっとよいことです。でも5万かぁ…。しかも、当然落ちる可能性もあるものです。落ちる可能性を低くするために時間をかけるとその分提出が遅れます。そして博論提出後は公聴会という、研究内容を一般の皆さんにも報告する会もあります。建前としては誰でも来ていいんですけど、出席者は主にせいぜい関係のある教員と、教員に脅されて仕方なく出席する後輩たちくらいです。無関係の人を巻き添えにするのも嫌ですね。それに誰でも来ていいとは言え本当は誰も興味ないというのも巨人の星のクリスマス会みたいで、こ、心が砕ける〜!

管見の限りでは

 入院2〜3年目くらいまでは言う。保険として。保険をかけてまで守らないといけない体面などお前にはなく、そんな保険かける必要ないのに…。「素人質問で恐縮ですが」「専門外なのですが」「少し伺いたいのですが」「単純な質問ですみませんが」「違ったらすみませんが」も言う。普通に自己紹介するパターンもあり、だんだん面倒くさくなってくると枕詞をはずしストレートに質問する。逆にそっちの方がこなれている感まである。人によるが。どんな用意周到な枕詞で自衛しようとも、質問の内容が変だったら同じです。「しょうもないこと聞くために時間潰すなよ」と呆れられるか、「意外と抜けてて、親しみやすい側面もあるんだな」と思われるかのどちらかです。

BL

 何のためかは知らんが率先して同性愛をカミングアウトする連中もいますし、コンプラバカはそう多くはないので、必要があればわりと性に関する話題についても口に出しても許される、そういう雰囲気もあります。でも男女ともに構成メンバーのほとんど全てがチー牛です。腐女子が見て喜ぶようなものは何もありません。
 圧倒的に男性社会ではありますが、従来暗黙のうちに女性がすべきとされていた作業を負担してもらえることはあります。男性サイドには今のご時世そういうことを女性にさせてはいかんみたいな風潮があり、かたや女性サイドにはそういうことを率先して女性がやるとなんか旧時代的な人間と思われて気まずくなるみたいな風潮があります。両者睨み合いの末、無言の沈黙に耐えられなくなった人が場を取り繕うことは多々あります。
 異性を奴隷扱いしようというあからさまで悪意のある目論見こそなけれ、この場には同性しかいないのだとでも思っているのか、浴衣であぐらを組む、妙に性に奔放な素振りを見せる、Tシャツが裏返っていたことに気づいたからその場にいる人に少し後ろを向かせて着替え始めるなど、打ち解けた仲の同性同士でならともかく、異性がいる場でするのはちょっとどうかと思う行動を平気ですることは多々あります。ホモソーシャルというか、内輪ノリというか。立場年齢性別などの壁を超えて、内輪のノリに入れてあげることが、心を開いた証拠だとでも言いたいのでしょうか。そんな、猿か何かみたいな心の開き方ある?
 彼ら・彼女らは研究に没頭するあまり人との付き合い方や距離の縮め方・取り方を上手く学べなかったのだと思う。ちゃんと学べばコミュニケーションも上手くとれるようになるかもしれない。文系だから無理という説もある。作者の気持ち考えたことないし。あと理系様の方が、チームで連携して円滑な実験やら見える化(笑)やらして、ずっとコミュニケーション能力が要ると思うし。

ないもの

 何度だって言うけど、「亡き妻を思い、失った命を再生させるためにたった一人で屋敷にこもって被人道的な実験を繰り返していたために学会を追放されたマッドサイエンティスト」はそもそも存在しない。シチェーションは好きだけど…。多分一般的な学会に追放という対応はないしあったとて、学会を退会させられたところでどうということもない。それに多分理系だし、理系のほうが文系以上に一人ではできない実験などをチームでこなしており、コミュニケーション能力が高いと思う。会費を未納にし続ければ勝手に追放される。
 あと苗字+教授とか役職では呼ばない。苗字+博士とかも言わない。テレビの見過ぎです。


*この記事に出てくる人物、団体はおおむね架空のものであり、実在する自動車メーカーなどとは一切関係がございません。大学関係者が関わりがちな軽犯罪等については稿を改めたいと思います♪

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