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モノ持ちが良い象

どうも、象です。

三日坊主にならないようにつまらないことでも書いていく。

本日は散髪へ。
髪はいつも実家から徒歩1分の場所にある理髪店で切ってもらっている。

散髪するときはついでに実家に寄って母象の様子を見て帰るのがマイルール。
先日の母の日は何もしていないと気づき、最寄駅で花を買ってプレゼントした。
やさしい象。

花のプレゼントだけでなく、手間のプレゼントもした。
ペンケースのジッパー部分を留めている縫糸が切れてしまったので、それのリペアを頼んだ。

子はいつまでも子なのだ。
だけど私の場合は、親はいつまでも子に手間をかけられたいと言うことを知っており、あえて手間を与えている。パオーン。

そのペンケースは私が小学6年生の頃に買ってもらったもので、使い始めて余裕で20年は経つ。(齢がバレるので細かくは書かない。)

全然高いものではなく、1,000円くらいのペンケース。
全然皮っぽさを再現できていない型押しの模様が入った合成皮革でできていて、どっちかというとダサい。

でも年を増すごとに手放せなくなってしまった。

昔、仕事でモノの価値について研究した。
モノを評価する際、機能的価値と情緒的価値の二つの側面に分けて考える。

ここまで書いたらその説明をしっかり記述するのが相場だが、急にやる気がパオーンしてきちゃったのでやめにする。

何が言いたいかというと、どんな高級ブランドの高くてカッコいいペンケースよりも、昔、母象に買ってもらった安物のペンケースの方が情緒的価値があるということ。そしてその価値は自分で積み上げていったということが言いたかっただけだけでこんな展開 NO PLAN すぎた。

本当はエイジングが楽しめる本革のペンケースとか欲しい気もあるけど、まだまだ使い続けていきたいと思う。

他の人の投稿見ているとタメになるようなものや読みごたえのあるような投稿が多いが、私はこんなゆる〜い感じでパオーンしていくんでよろしく。

ではまた。

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