なぜロックはヒップホップに取って代わられたのか?~ロックとヒップホップの歴史編~
こんにちは。
僕の書く記事ってのは、まだ歴が浅いのですが、おおむね以下のカテゴリです。
1. 東大生ならではの記事
2. 相撲
3. 洋楽
この中で一番人気がないのが3.洋楽なんですが、今日も懲りずに書きます!
仕方ないよ、一番筆が進むから。
さて、今日は洋楽界隈では語りつくされている、なぜポピュラー・ミュージックを牽引する存在がロックからヒップホップに変わったのか、僕なりの意見を書いていきます。
この記事は長くなるので、いくつかのパートに分けて更新する予定です。まずは「ロックとヒップホップの歴史編」です。
日本は違う
さて、世界的にヒップホップの人気はロックの人気をとうに追い越しているわけですが、日本だけは大きく異なります。
なので、読者の中には違和感を持つ方もいるかもしれません。
日本は今音楽的な土壌がかなりユニークで、これは誇らしいことです。
素晴らしきロック文化を堅牢に保持している数少ない国の一つで、これはまだまだ続くと思います。
理由としてはいくつか考えられますが、個人的にはカラオケの存在が大きいです。
もちろん、諸外国にもカラオケは存在しますが、所謂カラオケボックス的なものは少なく、多くは飲み屋に付属しているものです。
人気な曲は必然的にカラオケでもイケる必要があるため、これはヒップホップと絶望的に相性が悪いです。
さて、ここからはアメリカ、イギリスが話の中心となります。
理由に入る前に、ロック・およびヒップホップの歴史をさくっと追う必要があります。それが本記事です。長いですが、お付き合いください。
40~70年代:ロック誕生から黄金期まで
40年代、アメリカ黒人界隈でブルースが発展します。このころのブルースは、ギター一つで労働に対する不満をぶつける、というものです。
50年代、ブルースが表に出始めます。LP・ラジオ・テレビのおかげでより人気になります。そして、ブルースをより発展させたロックンロールが誕生します。
50年代後半にはアメリカNo.1のスター、エルヴィス・プレスリーが登場。ポピュラー音楽を牽引する存在になります。
60年代、アメリカのロックンロールを聞いて育ったビートルズがイギリスからデビュー。多数のロックバンドがイギリスから誕生し、アメリカのチャートはほとんどイギリス勢が占めることになります。
ビートルズはその活動中に音楽性を広げまくり、のちの音楽の方向性を築きます。また、ローリング・ストーンズやボブ・ディランなど、多くのレジェンドがデビューします。
60年代後半はロックは黄金期で、多種多様なジャンルに刺激的なバンド・アーティストがいろんな作品を発表します。
70年代、イギリスについては、前半はハードロックとプログレッシブロックが二大巨頭になります。
70年代中ごろにそれらを否定する、シンプルかつ過激なパンクロックが台頭します。
一方アメリカでは、ロックを土台とした、イギリス勢よりももう少し馴染みやすい音楽がポピュラー音楽が中心になります。70年代後半にはディスコが登場し、踊れる音楽の需要が高まります。
80年代:MTV大ブーム、イギリスとアメリカの差異およびラップの誕生
80年代、アメリカではMTV(ミュージックビデオめっちゃ流すやつ)が発展し、マイケル・ジャクソンやマドンナなど、絢爛なポップスターが多数誕生します。ポピュラー音楽の多くがこうしたポップソングで、こういう曲はミュージックビデオが豪華かつ踊れるものが多いです。
そして実はヒップホップそのものは70年代にアメリカで誕生していますが、ラップが表立ってアメリカでヒットし始めたのが80年代です。特に80年代後半に出てきたN.W.A.はアメリカで大ヒットします。N.W.A.は、所謂ギャングスタ・ラップと言われるジャンルで、ヒップホップ=悪い奴らというイメージを確立させます。
一方イギリスでももちろんアメリカのポップスターは大流行しますが、ロックも依然強く、ポストパンク、ニューウェーブというスタイルのロックを中心に発展します。この頃になるとアメリカとイギリスの音楽事情がかなり変わってきます。
イメージとしては、アメリカ:ポップ(+ヒップホップ)、イギリス:ロック。
またアメリカでもロックは決して消えておらず、ヘビーメタルが大流行します。さらにロックをポップ風にアレンジした曲が多くヒットし、日本では産業ロックと言われたりします。
90年代:グランジムーブメント、ヒップホップ東西抗争
90年代、アメリカのロックが大きく変わります。前述のとおり、ヘビーメタルと産業ロックが中心だった中で、Nirvanaがデビューし、それまで流行っていたヘビーメタル・産業ロックを一掃します。
既存の主流だったロックにダサいというイメージがついてしまい、そういったものにカテゴライズされない音楽が出てきます。後のものを含め、まとめてオルタナと呼ばれるジャンルです。しかしNirvanaのボーカル、カートコバーンが94年に自殺したことで、アメリカのロックは完全な自粛ムードになります。
一方イギリスでは、引き続き独自のロックスタイルを維持します。Nirvanaは流行りますが、アメリカほど大きいムーブメントにはならず、自粛ムードにも特になりませんでした。
そして、そんな中出てきたOasis、Blur、Pulpを中心としたブリットポップというロックが大流行します。ビートルズの再来とまで言われましたが、これらはアメリカでは流行りませんでした。他にも90年代にはRadioheadやColdplay、00年代初頭にはArctic Monkeysなどたくさんのロックバンドがイギリスでは生まれますが、いずれもイギリスを中心に流行しました。
さて、ヒップホップです。
先ほど言及したN.W.A.のメンバーのうちの一人、Dr.Dreが驚異的なプロデュース能力を発揮します。N.W.A.は西海岸出身のグループなんですが、この西海岸をヒップホップの町として強烈にアピールしていきます。
91年にデス・ロウ・レコードを設立し、西海岸出身の凄腕ラッパーを数多くデビューさせます。有名どころでは、勿論Dr.Dre本人、Snoop Doggy Dogg、そして2Pacが挙げられます。
一方東海岸も負けていません。実は、ヒップホップが誕生したのは東海岸でして、N.W.A.が登場するまでのヒップホップで売れた人たち、グランドマスター・フラッシュ、Run DMC、ビースティ・ボーイズ、LLクールJといった人たちは全員東海岸、というかニューヨーク出身です。
90年代に入ってからもNasやWu-Tang Clanなどが出ますが、彼らは西海岸とそこまで敵対視せず、リリックもギャングとかではありませんでした。さらにやはり西海岸のDr.Dreのプロデュース能力は圧倒的で、対抗できる人がいなかったのです。
しかしここに、Dr.Dreに対抗しうるプロデュース能力を持った男が現れます。それがPuff Daddyで、彼はデス・ロウ・レコードに対抗するレーベル、バッドボーイ・レコードを設立します。
同レーベルからNotorious B.I.G.がデビュー、爆発的にヒットします。歌詞も悪く、出土も悪いので、ようやく西海岸に対抗できる存在ができます。
西海岸を代表して2Pac+Dr.Dre、東海岸を代表してNotorious B.I.G.+Puff Daddyという構造ができて、ここから両海岸の対立が激化します。
お互い相手を非難する曲を出しまくり、取り巻きも争いまくります。なんせ全員屈指の悪ですから、血気盛んなのです。
どんぐらい悪いかというと、まず東海岸、Notorious B.I.G.はもともと麻薬の売人、西海岸、Dr.Dreはギャングスタ・ラップの大御所で、2Pacはレイプで逮捕、Snoop Doggy Doggは殺人で逮捕、デス・ロウ・レコードの代表Suge Knightは大手ギャング、ブラッズ出身で、現在収監中(懲役28年)です。
そしてお互いがお互いをディスる曲を出しまくり(ビーフといいます)、さらにそれは現実世界でのギャングの対立にもつながっていきます。
結局、この東西対立は最悪の形で幕を閉じます。96年に2Pacが、97年にNotorious B.I.G.が銃撃され死亡してしまうのです。
以降東西対立は西海岸のDr.Dre、東海岸からはNotorious B.I.G.の親友であるJay-Zの協力により、和解されます。
長くなりましたが、この東西対立のさなか、両陣営はヒット曲を出しまくり、特にアメリカ中の不良は熱中、不良じゃない人も、新しい音楽かつ怖いもの見たさで急激にヒップホップが流行ります。
そして90年代アメリカでは完全にチャートからロックは追い出され、ヒップホップがポップスと共に君臨することになり、それが現在まで続いています。
以上の歴史を踏まえ、明日の記事では僕なりになぜヒップホップがロックに取って代わられたか考察していきます。
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