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なぜ大学サッカーを辞めて、RIZINを目指すのか。

2024年5月18日の試合を最後に15年間続けたサッカーを卒業した。
小学生の時にプロサッカー選手を志し、中学生になると同時に親元を離れて夢とボールを追いかけ続けた。

中学を卒業し、V・ファーレン長崎のユースに入ってからは挫折ばかりのサッカー人生だった。
トップチームに昇格なんて考えられないくらい、試合に出れなかったし、ベンチにすら入れなかった。
みんなよりたくさん練習して、誰よりもサッカーの勉強をしてサッカーIQは1番高いのに1番下手。
本当に悔しかったし情けなかった。

大学に入っても、プロを目指してサッカーに打ち込んだが大学のTOPチームには全く上がれなかった。

本当に苦しかったし、悔しい思いをすることが多かった。
もちろんたくさんの人に馬鹿にされてきたし笑われてきた。

年齢が上がるにつれて、「現実的に厳しいから」とか「試合に出れていないから」という理由でサッカーを辞めたり、プロを目指すことを諦める仲間が増えていった。
僕も自分が現実的にプロサッカー選手になる事が厳しいことはわかってたし、コーチにも「現実を見ろ」と何度も言われた。

それでも、僕は自分の可能性を信じていたから、全てをサッカーに懸けて努力してきた。

ちょうど1年前。
僕は自分と「大学4年時までにTOPチームに昇格出来なければJリーガーを目指すのを諦める」と約束をした。

小学生の時から追いかけてきた夢を失うかもしれないという恐怖を自分に背負わせた。

この約束には2つの意味があった。
1つ目は、九州の大学で大学4年の段階でIリーグに出ている時点でJリーガーには間違いなくなれないからこそ、最低限TOPチームで試合に出続ける必要があったこと。

2つ目は、2ndチームでプレーしていた自分にとって、この約束は死に物狂いで正しく努力すれば守れて当然だったこと。

特に2つ目の約束の意味合いは大きく、自分の「Jリーガーになる」という夢への本気度と覚悟を夢を失う恐怖を自分に背負わせて試した。
僕の中では、この約束が守れない=本気でJリーガーになりたいわけではない。という解釈をしていた。

今まで当たり前のように、サッカーで夢を追いかけてきた自分にとっては怖すぎる決断だったからこそら昨年はサッカー人生で1番サッカーに向き合ったと自信を持って言える。

具体的に行っていた事はこちら
https://note.com/zoe_would54/n/nf179f367aa56?sub_rt=share_pw

結果、僕は約束を果たせなかった。
本気だったけど、狂えなかった。

正直もうサッカー人生に後悔はなかった。
後悔はないがもちろん反省はある。
そして何よりサッカーは大好き。

夢を諦める事を決めてからも、サッカーは大好きだから今まで通り毎日練習に行った。
サッカーをしている時はめちゃくちゃ楽しかった。

でもどこか満たされない感覚があった。
夢を諦めてから、本気で自分の人生を生きていない自分を心の底から誇りに持つことが出来なかった。

僕がやりたいサッカーは、楽しいからやるサッカーではない。
自らの可能性を信じ、24時間全てを懸けて上を目指し続けるサッカー。
だけど、自分との約束を守れなかった自分の可能性を信じる事は出来なかったし、信じようとしなかった。

どこか本気で生きることが出来てない自分に違和感を感じて、燻っていた自分は4月の段階で5月18日にサッカーを辞める決断をした。

そして残りの期間は、過去最高の自分でサッカーを卒業出来るように全てを懸けてサッカーに向き合った。

最後の試合は家族やパートナーにも見守られ、負けてはしまったが、自分の全力を出し尽くすことが出来た。

決して順風満帆なサッカー人生ではなかったが、僕は自分のサッカー人生を誇りに思う。
俺は諦めなかったから。
サッカーを愛し続けたから。

サッカーを辞める最大の理由はサッカーが大好きだからです。
大好きだからこそ、中途半端にサッカーをやるのは俺の大好きなサッカーにリスペクトがないと思ったから。

そして、大好きなサッカー、そして今までのサッカー人生を1番近くで支えてくれた家族にこれから始まる人生の第二章で恩返しするため。

サッカーありがとう。これから期待しててくれ。

正直、サッカーを辞める旨をサッカー部のみんなやスタッフに伝える時は次の人生の明確な夢はなかった。

ただ、「男として強くなりたい」という軸はあったから強くなることに時間を使ったり、世界を旅して自分の世界観を広げることに時間を使おうと考えていた。

サッカーを卒業してから、とにかく手当たり次第行動した。
格闘技のジムに入ったり、山を開拓したり、ヒッチハイクをしてみたり。

そんな中で、やっぱり僕は「強くなりたい」この欲望を我慢できない自分がいる事に気づいた。
僕にとって強さとは、人を守れること、そして自らの意思を実現する力のこと。

僕の定義する強さの構成要素は3つ。
①戦闘力→生物として物理的に強いかどうか。

②資本力→資本主義社会の中でどれだけの資本を持っているか。

③求心力→影響力とも言い換えることができる。どれだけの人を巻き込む力があるか。

この3つにおいて強い男は自らの意思を実現できるし、何より人を助けることができる。

強さを追い求めることが、人生の本質だと僕は思う。

僕はもともと格闘技がめちゃくちゃ好き。
そして、「RIZINに出たいな〜」とはうっすら思ってた。
だけど心のどこかで「俺多分向いてないなぁ」とか「今から始めても遅いかなぁ」なんで思って勝手に蓋をしてた。

そんな自分に気づいた時に「いや、やれよ」と自分の中でスイッチが入った。
普通の人生なんてクソ喰らえだ。
自分の人生を映画にした時に面白い人生にするためには、他人に笑われて反対される夢に挑戦する事だ。
多くの人は似たような映画をみんな創ってる。
面白くない。
それっぽいことに挑戦することは正直誰にでも出来る。
だからおれは、たくさんの人に笑われるような挑戦を求めていた。
どんな物語の主人公だって最初は笑われるくらい大きな夢を語り、実現していった。
俺も心の底からそんな生き方を求めていた。

どう考えたって、これからRIZINを目指して挑戦するのが映画にした時に1番おもろい。
ならやる。だからやる。

本当に人生は1回しかない。そして間違いなく人は誰でも、いつからでも、やれば何だって出来る。
なら、やるしかない。

RIZINに出たいから、RIZINを目指す。以上。
これ以外に理由はいらない。
他人の意見も常識も関係ない。

俺は男として強くなりたいんだ。
そして、1人でも多くの人を守りたい。
孫悟空が地球を守ったように、俺も1人でも多くの人を救いたい。

男としての強さを追い求める事はもちろん、僕は格闘技を通して「やればできる」という事を体現する。
そして、1人でも多くの人に挑戦する勇気ときっかけを与える。

俺は格闘家でありアーティスト。
勝ち負けを超えた生き様をリングの上で表現する。

「やればできる」

サッカーでは夢を叶えることが出来なかった。
だけどそれは、松添大輝のサッカー人生の第1章が終わったにすぎない。
まだおれは、21歳。
可能性と伸び代しかない。

第2章「Road to RIZIN」
次こそは必ず夢を叶えるぞ。

俺ならできる。なぜなら俺だから。

そしてみんなも必ず、「やればできる」