いじめられる側にも問題はあるのか?という話。

「いじめるアイツが悪いのか?いじめられた僕が悪いのか?」という漫画を、ガンガンオンラインでずっと追っかけてる。
いじめ問題について深く追求している神作品。
悪役が清々しいくらいの悪役で、単純にストーリー展開も面白い。


今回は、私が過去にいじめを受けたことに対して
個人的な話を書きます。個人的な話です。


元いじめられっ子の私としては、いじめた方が問答無用で100%悪いに決まっている!!と長い間思っていた。

いじめられたのは20年以上前のことでも、去年だか一昨年…?本当につい最近まで復讐心が消えず、頭の中でなんども復讐してきた。
20年は恨みが消えなかった。


最近の自分は、当時とは別人なほどに自己肯定感を身につけることができていて、そんな今だからこそ感じること…
少なくとも私の場合においては
「いじめられる側にも原因はゼロじゃない」という考えに至った。


あの頃の自分の自己評価の低さと被害者意識、
精神的な弱者メンタルは異常だった。

受け身すぎて自己解決能力がない。
自意識過剰で他者の目線を気にして、自分で自分の軸も作れない依存心の塊。
繊細すぎて、言われたことを気にしすぎる。しかも自分が被害者になる受け止め方をする。
申し訳ないが当時の自分はおぞましいほどに弱者。

いじめから抜け出してからも、すでに被害者意識と依存心を拗らせまくっていて、他人に配慮のできないクズだった。
自分の中に愛がないから、他人のことを考える余裕がなく、友人たちにも無自覚で酷いことをしてきた。



いじめられていた学生時代、当時の友人から聞いた話。
マラソンで走っているとき、隣にいた女子が「抜かさないでよぉ〜」と嫌みたらしいイントネーションで言ってきたので、わざと抜かしてやった。
しかもその「抜かさないでよぉ〜」の言い方がなんか笑えたww
…なんて話を聞いた時に「いじめられない人はこうなんだ」って、自分との違いを痛感した。

当時の私だったらその嫌味を真に受けすぎてただ傷ついてただろう。
あ、ごめんなさい…みたいに抜かせなかったかもしれない。
とにかく繊細にも程があった。

…というか「抜かさないでよぉ〜」でなぜ傷つくことができるの?なにが嫌味なのかいまとなってはよくわからないぞ笑



当時、私をいじめる人間と傍観する人間に分かれた。
いじめる人間は、性格の悪さが顔に出ていたり、体型など容姿の悪い人間も多かった。
傍観しているタイプは、成績が良かったり、大人っぽいタイプだったり、いじめるタイプより人間レベルが高そうなイメージだ。
人相的に人柄の良さそうな人は、庇ってくれたりすらした。

比べてみると、いじめた側もまた闇があるというかレベルの低い人間だった。いじめる側の人間性には確実に問題がある。
いじめられっ子がクラスにいても、いじめをしない人だっているんだから。


でも、当時の私のヤバさは援護できない。
過去の自分を受け入れられた方が、より精神レベルは上がるのだろうか?
どちらかというと「受け入れられない自分を受け入れてる」状態。
だって救いようのない劣等感と被害者意識のバケモノであることは間違いない。


被害者かそうでないか、というのは、実は主観的な感覚で決まるものではないだろうか?
「私は被害者だ」と感じた瞬間から被害者になる。
その意識すら無ければ、自分がなにをされても被害者にはならない。

同じことされて、傷つかない人間と、傷つく人間がいる。

一定の自己評価と自尊心がしっかりある人間は被害者意識を持ちにくいと思う。
自分を一定レベルで価値のある人間、守るべき人間だというのが根ぞこにあるから、悪意や危害を向けてくる人間から自分を守ることができる。
そういう人間はいじめられない。

逆に、自己評価が低く自分は価値のない人間だと思っていると被害者意識はモリモリ湧いてくる。
いじめられることが、ある意味自己イメージと一致しているのだ。自分は価値のない人間だと思っていると、ひどい仕打ちを受けても自分を守らない。やられるがままになるのだ。


自分は弱い、自分は価値がないと思っていると、深層心理で「自分なんて守らなくていい」という発想になるわけだ。
だからやり返さない。
虐げられている自分は無意識の自己イメージと一致している。

もちろん当時の自分にそんな自覚はなく、なんでこんな目にあうんだ。辛い。という気持ちがあっただろうが。
1番辛かったのは、きっと自分で自分を低く見てきた、自己評価を得られなかったことだと思う。当時は知るよしもなかったが。



少なくとも、私の場合に関しては
いじめられる自分にも問題があったのでは?と今では思っている。
もちろんこの考えはあくまで私個人に対する結論であり、全てのいじめられた人に当てはまるわけではない。

ここまで私が書いてきたことは
「受け取る側のメンタル次第で、いじめは成立したりしなかったりする」
という内容になるんだけど
いじめる側に問題がないなどということは断じてない。

いじめられっ子になる人間と、ならない人間がいるように
いじめっ子になる人間と、ならない人間もいる。

たまたまいじめる人間といじめられる人間が鉢合わせてしまうと
悲劇の始まりになる。

他人の人権を尊重しない行いは、人を傷つける可能性がある。
自覚があろうがなかろうが、それを行うと加害者になる可能性がある。
度を過ぎれば、人権侵害、暴行罪などの犯罪者になる。
許されることではない。

…世の中のいじめ問題そのものについて語ると、私のキャパを超えるので
この辺にしておきます。
この記事ではあくまで私の個人的なことを語っているので。



話を戻しまして

私がいじめられた原因に関しては、当時の私の性格にも一部問題があった、と自分で思うのは
今の私自身が、当時の自分をおぞましいと思っているし、イライラする存在だと思っているから?
今の私は、昔の私に対していじめっ子のメンタルにすらなっている??
「お前イライラするからいじめられても仕方ねーよw」と…。
嫌なら抵抗してみろよ。と。

いじめっ子のいじめる心理の一つに「相手の反応を引き出したい」というのがあるらしく
いじめられっ子が何も言わず抵抗してこないのが不気味で、反応を引き出そうといじめるんだとか。


でも、当時の私が何も反応したかったのは、圧倒的メンタル弱者で危害を加えてくる人が怖かったり、自分を自分で守る存在と認識していなかったため「自分は抵抗して守るほどの価値のある人間では無い」というのが無自覚の深層心理にあったり、「やめてよ」みたいに抵抗する自己主張すら怖かったり、発言する自分が恥ずかしい、自己主張する自分が気持ち悪い…みたいな。
常人は想像もつかない精神構造の、理解不能なヤツだったんだよね。
そりゃいじめっ子も不気味だと思うだろうよ。不可解でしょこんなヤツ。

(当時のいじめっ子を援護してるわけではありません!今なら言い返したりやり返してやるよ)

そんな自分を散々見て分析してきたからこそ、その性格の問題点も痛いほどわかるし、どうすれば自分が救われるかもわかる。
実際、社会に出ても生きづらくて仕方がなかった。
「生きやすくなりたい」という一つの願いをかなえるため、自分がどういう人間かを分析し、自己評価を上げていくことをしてきた。
20年はかかったけど、自分で自分を幸せにすることができた。

今となってはむしろ、あれだけ「自分には価値がない」と強固に思い込んできたことが凄いことにすら思える。
根拠のない自信は強いというが、根拠のない自虐も強力なパワーだったよwww
何でそんなに自分の無価値を信じられるの!?ってww

他人にとっての私の価値なんて知りませんが、少なくとも私にとって私の価値はある。
だって本能的に人には自己愛がそなわっていて、自分を大事にすると心地よくなる生き物なわけで、自分を幸せにすることは絶対的に自分にとって価値のあることなはずだ。
私が存在することは、私にとっては大事なことという真理がある。
…話がずれた。


「いじめた相手より幸せになることが最大の復讐」なんて言葉もきいたことがある。
いじめっ子の存在なんて今やどうでもいいし、奴らのことを考える時間がもったいないし、相手より今自分が幸せなんて測りようがないし、自分を大事にすることだけに集中したいから復讐すら時間の無駄だと、今では思う。

私の貴重な人生の時間を捧げるに値しない、低レベルないじめっ子のことを考えるのは時間の浪費だし、わざわざ記憶を掘り返して自分を再び苦しめるなんて不毛にも程があった。
が、ほんの少し前までは復讐心が消えなくてそうするしかなかった。


それは結局「自分は傷ついた、被害者だ」という意識を手放せなかったから。


復讐に対する執着は今はほぼ無いように思う。
人生は有限だから、貴重な時間と労力は現在の私と、私を1人の人間として普通に当たり前に接してくれる人たちに使いたい。
自分を労り、周りの仲良くしてくれる人たちに感謝する、月並みだが、1番充足感と幸福が得られる過ごし方だと思う。
改めて、現在私と交流してくれる人たちに感謝の気持ちがわいてきた。



でも、復讐心はその前段階として通る過程だったのかもしれない。
復讐もある意味自分を守るためにやることだから、自分のために動いてる。
私は脳内で当時の記憶を掘り起こしては何度もやり返したし、夢の中で反撃もしてた。

特に夢の中で自分が強くなっていく過程はテンション上がった。
夢というコントロールできない世界で自分の振る舞いががるることは、潜在意識レベルで変化がおきているからだ。

そして「自分は被害者だ」という認識を手放さない限り、この復讐心と悔しさは消えないんだと、無意識の範囲で気づき始めたのかもしれない。
気がつけば、いじめられたことすら忘れて今の人生を楽しんでいたから。

以前、過去の振り返りをしていて気づいたことがあった。
生まれてこの方、友達がいなかった時期はゼロ。誰かしら遊ぶ相手がいた。
そして、趣味を楽しんでいなかった時期もゼロだった。
常にどん底でいた時期はなかったはずなのに、なぜあんなにも自分の世界は地獄だったんだろう???
実際、陰湿ないやがらせや物理的に被害を受けたことは間違いない。
当時の友人にも、友達になる前に傍観されてたとき「あそこまでされても学校に通ってて偉いと思ってた」と言われた記憶がある。
なんで通ってたんだろ。サボる勇気すらなかったのもあるし、学校に行きたくない!と親に言っても、物理的に引きずられて家から追い出されたんだよな。酷い話だよ。

でも、当時が地獄だったのは自分の認識によるところも大きかったのでははないだろうかと思うんだ。
強いていうなら、家庭環境でつねに低い自己評価を植え付けられてきたのが原因なのかな。
また別の話になるので詳しくは書きませんが…。
元凶となる母親と絶縁して1年足らずですが、最近の私の自己評価があがってきたのは、母親との関係を絶ったのも大きかったな。
よくある、親の悪影響ってやつだったのかな。


冒頭の漫画の話に戻りますが
この漫画に出てくるのいじめられっ子の詩織は、私とは違い優秀で明るい性格の子だったが、いじめられてしまった。
恵まれた者に対する、妬みから始まったパターンだと思う。

そして、詩織の父親は元いじめっ子(現在もクズ)
父親の「いじめられる方にも原因がある」というセリフ、自分の娘に対しては同じことが言えるのか??
清々しいクズルートでいってくれるのか、単純に楽しみ。
私の場合は自分なりの結論を出したけど、また別の事例の話として、この漫画の先を楽しみにしてる。

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