南海がスキだった。

皆様こんにちは、現在は、パリーグ 特にロテが大好きなZKです。
皆さんは、どのチームが好きですか?そのチームはずっと変わりませんか?

今日は野球ネタです。 しかも長くなりそうなネタです。
今、ZKは胸を張ってロテファンを名乗っていますが、ファンになったのは、ZK社会人1年目。
そのきっかけは、来年2023年度からマリーンズ投手コーチに就任される
黒木投手が投げている姿を球場で見たときでした。

それより前は南海ホークスファン(現ソフトバンク)でした。
しかし、ホークスはZKが中学生に上がるタイミングで身売りとなり、
そこから数年間はパリーグは好きだけれど特別応援する球団はないなぁ
という感じでした。

今日は、ZKと野球の昔話を つらつらと書いてみようと思います。
思い出話ですから、少し歪曲があったり 誤認があるかもしれませんが、
ご容赦ください。
それでは はじまり はじまり~~

ZKが物心ついた時のプロ野球といえば、パリーグでした。
関西人で野球好きと言うと、ほとんどの人は「タイガースファンね。」と
思われるるようですが、自称アマノジャクなZKは 
パリーグが好きな少年でした。ZKが小学生の頃のプロ野球球団の本拠地の
勢力図は今よりもいびつで、関東に6球団、関西に4球団、
名古屋と広島に1球団ずつという構成。関西に4つですよ。
そしてそのすべての親会社が私鉄でした。考えられないですね。

当時は阪急ブレーブス、近鉄バファローズ、そして南海ホークス。
パリーグの半分、3球団が在阪でした。
全国的な知名度は、パリーグの在阪球団と言うことで低かったのでしょう。
当時の野球ゲームでは、近鉄・阪急・南海を合わせて「レイルウエイズ」と
いうチームがありましたね。 懐かしい。今思えば、ひどい話。

そういえば、ロッテは日ハムと合体してフーズフーズだったかな?
ファミコンの容量の問題で、チーム数を削らなければいけなかったらしい
ですが、
「なんでユニフォームは緑色なのに、チーム名はRで、
『ぶうま』『まつなが』とか阪急っぽいの選手がいるの??
そしてなぜ緑色のユニフォームなのに、ホークスの選手は少ないの?」
大人の事情をしらないオコチャマZKは、首をひねりながら強い強い「R」を
選んで、ホームランをかっ飛ばしてました。

1980年代 南海ホークスは子供の目から見ても弱小球団でした。
そして決して裕福な球団でもありませんでした。
自転車(それもママチャリ!!)で球場に通っている選手を見たことがあるくらいですから。

なぜ南海ホークスのファンになったのかの理由は単純明快。
子どもの頃に住んでいた家から一番近かったチームが南海だったから。
しかも南海沿線に住んでいたので。
今はなき大阪球場に、よく従兄に連れて行ってもらいました。
連れて行ってくれた従兄は、ジャイアンツファンだったっけ?

電車の終着駅から徒歩5分圏内。日本一交通アクセスのよい球場だと
今でもZKは思っています。(今はショッピングモールにかわりました。)
アクセスはいいのになぜか観客の入らない球場でした。発表される
観客動員数はザクっと数千人。絶対にそんなに入ってませんでしたが。
土曜日・日曜日のデーゲームでは、隣の場外馬券売り場のほうが
ごった返していて、野球の試合をつまみにラジオの競馬中継に
集中しているおじさまがビール片手にいらっしゃった記憶があります。

清原がホームラン打っても、ブライアントがホームラン打っても
門田がホームラン打っても、山田が抑えても、何があっても
閑古鳥が鳴く球場、それが大阪球場でした。

いつしか大阪球場は、いつ行っても のんびりと野球を見ながら
走り回れる遊び場のイメージでした。
当時小学生でしたから、1人で球場に行くことはできませんでしたが、
中学生になったらファンクラブに入って、もっと球場に通おうと思っていたところへ飛び込んだのが、「ホークス 福岡へ!」のニュースでした。

かねてから赤字経営が報道されていたので、仕方ないかもしれません。
いまでも心残りなのは、ホーム最終戦を観戦できなかったこと。
その前の日までは、お客さんいなかったので、最後の試合だけ試合開始前に
満員御礼。当時は直接球場に行かないとチケットが買えなかったのです。
球場へ向かう電車の中で、「今から行っても球場へは入れません」
というアナウンスを聞いたのを覚えています。

うーんホークスが福岡に行くならどこのファンになろうか?悩みました。
ずっとパリーグを見てきたので、今更タイガースはよく知らないし。
近鉄は、南海がなかなか勝てなかったし。と言うことで
阪急を西宮球場へ応援しに行こうと決めたのです。

ところが・・ホークス身売りよりも衝撃的な、阪急も身売りの一報。
最初は冗談だと思いました。なぜなら、阪急は南海よりも路線が多く、
宝塚の歌劇団もあって、当時は南海よりもずっと強かったから。
そんなはずはないと思っていたのですが、オリックスブレーブスになると
報じられました。事実でした。

それまで応援していた南海の選手が多く在籍しているというだけで、
しばらくはダイエーホークスを応援していました。
ご存知の方もいるかもしれませんが、ガッチャマンユニフォーム時代の
ホークスです。弱さは変わりませんでしたが、チームカラーが変わったりで
親近感を持てず、いつのまにかホークスから気持ちが離れていきました。

学生時代までのパリーグの記憶でした。

この後、社会人時代から現在のロッテファン時代があるのですが、
それを書き始めると、終わらなくなるので、本日はこの辺で。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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