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娘の服と別れる話

サイズアウトして着れなくなった服とお別れする話。



長袖が寝苦しくなってきた5月下旬、あと数週間で3歳になる娘の衣替えしようと思い立った。厚手の長袖を片付け、昨年着ていた半袖の服を箪笥の引き出しからそっと出す。

畳んであったそれを広げ、おや、と思い、目線の高さまで掲げる。

こんなに小さかったっけ。



着れないものは仕方ない、捨てるかリサイクルに回そう。もう着ることができない服を袋にまとめる。くくっておこうと、ビニール袋の口に手を近づけた。

ふと、鮮やかな、けれど首元がよれた黄色いTシャツが視界に入る。はっとした瞬間、お腹のあたりから頭の先まで、熱い波が打ち付けた。これは娘のお気に入りの服だった。

この服を着てよく公園に行った。「帰るよ」と、何度声を掛けても砂場から離れず途方に暮れた。ミンミン鳴くセミの声がじんわり遠くに聞こえる。真上から照りつける太陽のせいで、頭の先から爪先まで暑い。もう20分以上砂場から動かない。諦めてお茶を飲ませた後、黄色い背中を後ろからじっと見つめる。小さな背中は、音の聞こえない世界にどっぷりと浸かって、無心で砂を掘っていた。



ああ、娘のかけらを、見つけてしまった。


ビニール袋に入れた服を、全て取り出す。


ワンポイント、クマの刺繍が入ったTシャツ。
よく見ると、この服はスパゲッティソースの跡がうっすら残っている。
フォークでうまくスパゲッティをすくうことができず、癇癪を起こしたあの日。顔も手も足元も、服も机も、私の服も、ぜんぶ真っ赤なソースまみれになった。
私の心はあの日、折れそうになった。ごはんの後、すぐに落とそうと石鹸でごしごし擦ったけど、結局取れなかった。娘はごはんを食べない。大きさを変え、味付けを変え、食材の種類を変え。調べて、できることは全て試した。それでも口から吐き出される日々。その日の夜、堪えきれず少し泣いた。


お気に入りだったチェックのパンツ。
あの日、どうしてもこれを履きたいと言って、上はピンクのボーダー、下は青のチェックと、ちぐはぐな格好でスーパーへ行った。人とすれ違うたび、心の中で、(娘がどうしても、これでないとイヤって言うんです…)と呟いた。レジのおばさんに、「あら、おしゃれだね」と声を掛けられ、「大変でしょう」と、買い物かごを台まで運んでもらった。
妊娠中からまわりに迷惑を掛けないように、と常に気を張っていた。知らない人の優しさが胸に刺さって暖かく、涙を我慢しながらベビーカーを押して帰った。


小さくなった半袖短パンのパジャマ。
去年の夏、すやすやと寝ていた娘が深夜に突然泣いて起きた。どうしたの、大丈夫?と触ると、カッと熱い。初めて40度以上の熱が出た。暗闇で夫とあたふたしながら受け入れ先の病院を探した。夫は救急電話相談に連絡し、娘の症状を説明した。「○○病院、わかりますか?」はい、と伝え、すぐに準備をした。ぐったりする娘に、パジャマのままブランケットをぐるぐるに巻いて連れて行った。
火照ったほっぺたを何度も触る。熱い。わかっているのにもう一度触る。やっぱり熱い。やけに眩しい診察室の明かりを見るまで、不安に胸が押しつぶされそうだった。


ひとつひとつ、小さくても、汚れていても、楽しくて苦しくて、そして家族の記憶がある。

鼻の奥がツンとする。

もう着れなくなった服を握りしめ、私はその場で動けなくなった。



衣替えをはじめて、気づけば1時間も経っていた。

もう一度、ビニール袋に、その着れなくなった服をひとつひとつ、できるだけ綺麗に畳んで入れる。思い入れが強いものは残しておこうかと思ったけれど、それをすると家が服の山に埋もれてしまいそうで、堪える。

袋の口を、今度こそ、と意を決してぎゅっと締める。半透明の袋から、色とりどりの服が透けて見える。

たくさんの記憶をありがとう。

そして、さようなら。




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