ミルクをぜんぜん飲まない娘と、悩んでいた私へ

娘が産まれてからずっと、母乳を飲まない、ミルクを飲まない、離乳食を食べない、と悩んでいた、ちょっと過去の私へ。


母乳もミルクも飲まない

娘は全然飲まなかった。
母乳もミルクも、平均と言われる摂取量にはほど遠かった。


2017年初夏の深夜2時前、娘は元気に産声を上げた。

産院の授乳室では、お母さんたちが横並びで座り、揃って膝に赤ちゃんを乗せ、我が子に母乳を与える。

どれだけ母乳を飲んだかを毎回記録するのよ、と慣れた手つきの看護師さんから説明を受ける。母乳を飲ます前に赤ちゃんの体重を計り、記録表に記入する。母乳を与え再び計ると、飲んだ量がプラスになってわかる仕組み。
へー、なんてのんきな顔をしていたのは、その時だけだった。

この、「どれだけ飲んだか」を数値としてはっきりと突きつけられる体重計測で、私は底の底へ落とされる。


娘の体重はほぼ毎回、増えないどころか減っていた。つまり、ぜんぜん飲んでいなかった。
どれだけマッサージしても、母乳はじわりと滲む程度しか出なかった。知識として母乳が出ない母親も居ると知っていたので、初めはあまり気にならなかった。
けれど、後々ボディーブローのごとく、私はその事実に、じわじわと。
娘も吸うことがあまり得意でなかった。
3回目で看護師さんに相談した。母乳にしても、哺乳瓶にしても、吸いつきが上手でない子のかも、と看護師さんが言う。
どうすればいいですか?と聞くと、くわえさせ方を教えてくれたが、全くうまくいかなかった。


退院までの約1週間、ナースコールで昼夜問わず2、3時間おきに呼び出される。
出もしない母乳のためにくわえさせ、飲まないミルクを哺乳瓶で与える。
隣で授乳していた知らないお母さんが、子どもを体重計に乗せていた。看護師さんと話している姿を横目に見る。
「どれくらい増えていましたか?」「25g飲んだみたい」「全部母乳?たくさん飲んだね、えらいねぇ」
ふふふ、と笑っている声が遠い。

全部母乳? 25g? たくさん飲んだ? えらい?
ぜんぜん飲まない私の娘は、えらくない?飲ませることのできない私は、えらくない?

否応無しに私の耳に飛び込んでくる幸せな笑い声は、私の丸まった背中にざくざくと刺さって、たくさんの血を流した。


看護師さんや実母に悩みを打ち明けた。

「いつか飲むようになるよ」

いつかっていつだ。
今、今すぐ飲めるよう具体的なアドバイスが欲しい。
小さな頃にしっかり栄養を取らないと、って言ってたじゃない。

産まれた時がいちばん小さくて、そこからは、どんどん大きくなるものだと思っていた。けれど現実は違った。だって、娘は母乳もミルクも十分に飲んでいないのだから。

誰の言葉も、自分で調べてたどり着いたwebコラムも、体験記も、ぜんぶぜんぶ、信じることができなかった。けれど、調べる手を止めることは、もっとできない。スマートフォンが熱を持っても、答えの出ない暗闇を泳ぎ続けるしかなかった。


退院前、娘がミルクを飲まないことへの不安が爆発しそうだった私は、看護師さんに何度目かの相談をした。年配の、ベテランという言葉が似合う女性の看護師さんが、笑いながら言う。

「きっと離乳食になったら食べるよ」

これは優しい嘘。
娘は、離乳食になっても、ぜんぜん食べなかった。


あの頃の私へ

よく、娘がやっと寝た薄暗い部屋で、うつらうつらとしながら、こうこうと光るスマートフォンに目をしかめた。

娘はよく泣く子だった。抱っこで揺らさなければ寝ることができず、ベットに寝かすと泣いて起きた。自動車の走る音や、遠くでトイレの水を流す音でも泣いて起きる。自分で勝手に寝ていたことは、3歳になった今も経験がない。1歳すぎるまで、私は連続して3時間以上寝れたことがなかった。とにかく娘は敏感だった。

小さな子どもを前にして、何をするにしても立ち止まった。これでいいのか、最善の方法はないか、自分は娘に対しておかしなことをしていないか。一日100回は立ち止まった。たくさんの小さな不安を、一つ一つ潰そうと、瞬きをする間も無く読み漁る。どれだけ調べても、何を読んでも安心なんかできなくて、ただただ不安になった。

寝たほうがいいよ、と夫は言った。スマホなんか触らずに。

激昂した。私が調べなかったら、私が納得しなかったら、誰が、この子が、今、きちんと成長できていると教えてくれるんだろう。まわりから入る情報は、精査され、研ぎ澄まされ、絶対に、間違いがなく正しいと言えるのか。誰が正しいと言ったら自分が納得できるのか。基準を持ちたかった。娘が、今、成長できている事実が欲しかった。ただそれだけなのに。

今なら、夫の言ったことは当然だとわかる。夫は、ほぼ寝ていない私を心配して言ってくれたんだ。

でも、私はあの時間が無駄だなんて思わないし、”あの頃の私”に、手を止めてゆっくり休んだ方がいいよ、なんて絶対に言えない。タイムマシーンで、″あの頃の私″と会えたとしても、何も言えないし、言うつもりもない。止めることはできない。

結局、不安は不安のまま、何か解決したわけでなく、私の心を凪にしたのは「時間」だった。飲まないことに慣れ、食べないことに慣れ、寝ないことに慣れ。私が、たくさんの不安に慣れて、不安に思いながらも、時に病院に頼り、時に先輩方の話を聞き、ぜんぶぜんぶ吸収した私が、娘と過ごす時間の中で「ああ、娘は成長している」と思うことが、たった一つの解決方法だった。
そして、それに慣れた2歳の誕生日を迎えた頃、娘は少しずつ食べるようになり、私の戦いは終わりを迎えた。

赤ちゃんは泣かせておけばいいんだよ。抱っこしすぎは甘えん坊になるよ。だいたいでいいんだよ。とか、よくそんな言葉も聞くけれど、私はやっぱり”あの頃の私”に、その言葉を投げかけることはできない。

だって、いちばん真剣に、いちばん大切に、″あの頃の娘″について考えていたのは、間違いなく″あの頃の私″だった。

誰かに寄り添ってもらわなくていい。気の済むまでさせてくれ。
あの時、私は、ああやって身を削って、だんだんと心が母親になっていったんだと思うから。

それは、娘が3歳になった今も同じ。
納得するまで、走りきらせてくれ。

頑固なんだ、私は。
曲がっていたとしても、遠回りだとしても、たぶん、愛なんだそれは。






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