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ルールの起源

ルールの起源・成り立ち・存在理由


伝統、宗教、法律、マナー、常識、暗黙の了解、空気は広義にはルール(=人間の行動を縛る規則)に該当するものだ。

そして、伝統、宗教、法律、マナー、常識、暗黙の了解、空気と呼ばれるルールの概念はかなり昔から世界中に存在(宗教に至っては紀元前から存在)していることから、ルールは人間が集団生活を営むにあたり重要な要素であると考えられる。

なぜ人間をルールで縛り付ける必要があるのか。

私は「人間をルールで縛り付けるのは、ルールを規定しなければ集団が存続せず、絶滅してしまうため」と考えている。

例えば宗教。

中東が発祥のイスラム教の、聖典・コーランには「豚は不浄の生き物であり絶対に食べてはいけない」と記載がある。表面上神からの教えという形を取っているが、俯瞰でみればルールの規定である。そして、科学が発展した現代では、豚を食べてはいけないというルールがなぜあるのかが解明されている。それは「中東のような砂漠が多い熱帯地域では食に対する危険性が非常に高く、その中で豚はさまざまな病原菌を保有していることから、伝染病の原因となることが多かったため、豚を食べたら伝染病で死んでしまう可能性が高いから」である。

同じくイスラム教では「酒などのアルコールを禁止」しているが、これもなぜそのようなルールが存在しているかというと「中東のような砂漠が多い熱帯地域では水は大変貴重なもので、アルコールを飲んでしまうと利尿効果で水を外に排出しやすくなってしまい、水が無駄になってしまうため」や「酔ったまま砂漠の上で寝てしまうとそのまま脱水症状で死んでしまうため」である。

これらの宗教戒律で人間を縛り付けなれば、長期的に集団が存続せず、絶滅してしまうので宗教というルールが存在しているのである。


例えば法律。

どの国の法律にも殺人罪が規定されているが、これがなければ長期的に人間同士の報復合戦が起きてしまうためそういったルールを作ったといえる。

法律を作り人間を縛り付けなければ、長期的に集団が存続せず、絶滅してしまうので法律というルールが存在しているのである。


例えばマナー。

明治以前の日本人は左側通行で歩いていた。これは多くの武士が左側の腰に刀を差していたためだ。狭い道を歩いているときに、お互いに左側通行を守れば刀の鞘の部分が当たらずに済むので、スムーズに通行ができるようになる利点がある。逆にいうと鞘が当たることで喧嘩に発展してしまい命が失われる(=無用に命が失われることで人口が減り、集団が存続せず、絶滅してしまう)ため、自然と無駄な喧嘩を防ぐためにルール化されていった。

また、会社の面接で協調性・コミュニケーション能力・カルチャーフィットを求められる傾向にあるのは、「会社規則・文化に適応的か、会話や集団行動における最低限のルールを遵守・実践でき、円滑に業務が進められている人材かどうか」を判断したいからである。そうでない人材が入ってきた場合、輪を乱したり、無用なトラブルを生んだり、余計な仕事が増えたり、職場の雰囲気が悪くなることから離職率が高くなったり、横領があったりするので、長期的に会社の存続ができなくなり、倒産。お金が入ってこないので、食料を買えず餓死して絶滅してしまうのである。

また、日本以上にメンツを重んじる中国において「人前で叱ること」はマナー違反とされているが、それは「人前で叱ることで人間の自己重要性・プライドを毀損したりすると、それが報復につながり物理的に殺される恐れがあるため」マナーで縛る必要が出てくる。

マナーを作り人間を縛り付けなければ、長期的に集団が存続せず、絶滅してしまうのでマナーというルールが存在しているのである。

例えば、常識。

表面的でない深い意味での異文化交流が難しかったり、国が分かれていたり、国際結婚の離婚率が高いのは、育ってきた環境によりルールが違うためだ。片方が育ってきた環境に合ったルール通りに振る舞うとした時、もう片方はルールを破られているという感情を抱く。すれ違いに過ぎないのだが、ルールを破られていると感じた人は、自分の価値(=自己重要性)を毀損されていると感じ、それが積もりに積もって反発・訣別してしまうのである。余談だが、人間は「お互いを深く理解することができれば自分の考えが必ず受容される」と思い込んでいるが、理解の先が必ず受容になるとは限らない。理解の先に訣別や反発を生む場合の方が多かったりする。だから深い人間関係を築くというのはそもそもがとても難しいことなのである。

例えば、暗黙の了解、空気。

人間の集団活動において、暗黙のルールの把握や空気を読むのが苦手な人が集団から孤立する傾向にあるのは、暗黙のルールを理解できない故に空気の読めない発言をして集団の輪を乱すため。広義的にはルールを守れない個体だと認識される傾向があるためだ。ルールを守れない個体が許されれば、割れ窓理論でルールを守らない個体が増え、組織・集団が瓦解していく。長期的に集団が存続せず、絶滅してしまうので暗黙の了解、常識、空気という裏ルールが存在しているのである。

特に日本において没個性的な人材が求められ、個性的な人材が避けられる(=出る杭は打たれる、郷に入っては郷に従え)のも、集団行動ができない個体だと認識され、それが集団の輪を乱すと認識されるため。つまり広義的にはルールを守れない個体だと認識される傾向があるため。ルールを守れない個体が許されれば、割れ窓理論でルールを守らない個体が増え、組織・集団が瓦解していく。長期的に集団が存続せず、絶滅してしまうので暗黙の了解、常識、空気という裏ルールが存在しているのである。


つまり、ルールが存在し遵守を求められるのは「人間をルールで縛り付けなければ、集団が存続せず、絶滅してしまうため」である。


余談だが、私自身は先天的に暗黙のルールの把握や空気を読む行為が不得手で、相対的にみて個性的な人間であると自分を解釈している。ルールから外れたことをあえてやることも好きだ。このような人間が一般社会に受け入れられるには、社会に対して「私は常識やルールを理解しているホモ・サピエンスですよ。ウホウホ」というアピールをする必要があり、それが今回この記事を書くに至った最も大きな理由である。常識を知らずに非常識なことをすることと、常識を知った上で非常識なことをするのには大きな違いがあるのだ。

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