なんでもない火曜日の朝


 今日は、朝刊が休みである。

 例え、朝日新聞のようなねつ造・偏向だらけの新聞であっても、来ていないとなんとなく物足りない。ブリリアントな朝食の風景が色あせ、「巨人の星」の星家の朝食的な風景になったような感覚である。

「姉ちゃん、どうして今朝のおかずは、めざしが一匹なんだ!?」

 いや、「巨人の星」にそんなシーンはなかったな。休刊の朝日新聞に代わって、私がねつ造してしまったようだ。お許しいただきたい。

 最近は、新聞を取っていない人も多いらしいのだが、この物足りなさをどう言えば的確に伝えることができるのだろう。

 例えば、パンツをはき忘れたまま外出してしまったような感覚か。

 いや、以前女性に聞いたことがあるが、あれは結構スリルがあって楽しいんだそうだ。物足りなさを表す表現とは言えないだろう。

 かわいがっていたハムスターが死んでしまったような喪失感か。いや、そこまでショックではないだろう。前に、ペットのハムスターが死んで、会社を三日ほど休んだ男のことを思い出し、私はこれも否定した。

 では、この物足りなさを、何に例えればいいのか。

 コーラをがぶ飲みして、ゲップが出そうになったのに出ずに終わった。回りのみんなが面白いと絶賛していた映画が、あまり面白くなかった。思い切ってカツラをかぶってみたら、思っていたほど変化がなかった。

 考えれば考えるほど、いつも来る朝刊がないことによる物足りなさという感覚から離れていくのである。いや、待て。そもそも例える必要などあるのか?

 私は、どこかで読んだ言葉を思い出した。

「的確な表現とは、常にシンプルなものである。そこに行き着くまで、削りに削る勇気を持たねばならない」

 私は、考え違いをしていたようだ。言葉に遊ぶ者は、言葉の海で迷い、最後には溺れ死ぬのだ。

 私は、ブルッと背筋を震わせた。危うく言葉をいじくりまわして「おれ、すげえ」と自画自賛する自己中ジジイになるところだった。

 本日の記事、最初から、書き直そう。

 今日は、休刊日で朝刊がなくて物足りない。おわり

 あれぇ……?




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