見出し画像

20210512_10年間積んだ小説を読んで紙はいいなと思った

 今日は何となく肌寒かったですね。良い天気だったので窓をずっと開けていたかもしれませんが。こんにちは、ぢぜみです。なんか久しぶりに小説本を読んで心が大変沈んでおり、しかし大変カタルシスされた気分でこの文を書き出しました。


 今日久しぶりに小説本を読んだ気がする。高校受験の時に小説本を手放して、大学に入ったら読みまくってやると思っていたが、そんな気分になれず、結構な時間がたっていた。今日は何となく読もうと自分の本棚を漁ったところ、小学校四年生頃に買った小説本が出てきたのだ。それを手に取って朝45分、夕方に1時間で読み切った。


 とんでもない小説だった。「悲劇」というジャンルにふさわしい、ギリシャ悲劇に並ぶような悲劇だった。心がこうズンと沈み込んで、なんというか酔っているような感覚に陥る。だけど夏の茹だる暑さの中に吹く風のような心地よさを感じるのだ。買った当時にこの小説を読んでいたら間違いなく良い意味でも悪い意味でも私の想像や妄想に影響があっただろうとしか思えない小説だった。


 小説は紙がいいなと今日改めて思った。私はkindleで本が読めなかった。画面の小ささもあるのかなと思ったが、恐らく理由は視覚に本自体が映るか映らないかの違いであると思う。今日は朝起きて、いつものルーティーンをして、1限までに時間があったから本を読んだのだ。講義が始まる前に三分の一位読み終わって、いつか母に貰った栞を挟んで机の端に置いておいた。


 なんとなくそれが眼の端に映ると続きが気になってしまう。あの少女たちはどうなるのか、どうしてあの少女はあんな性格になったのか。そして今日のタスクをすべて終わらせた後すぐに本を手に取った。


 ページの積み重なりは読んだ実感を得られる。残りのページ数で妄想を広げることが出来る。小説本という実物がその場にあると目に入って度々存在を思い出すことが出来るのだ。加えて、電子書籍で買ってそれぞれのサイトにバラバラに存在する本は見つける意思がないと見つけることが出来ない。それは私がガサツなこともあるだろうけど。買った電子データを10年持っていられないと思う。


 1,000年も前の紙が現在も残っているという話は今の話にあまり大げさだけれども、10年もそのままの形で残っている本ってすごいなという話でした。


 余談だけれども、この素晴らしい悲劇が部屋の本棚にずっと存在していた事実が怖いよ。この小説と共にずっと居たんだ私は。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?