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【SS】断尾

少年は山中の小さな町に、母と猟師の父と年子の妹、そして雑種の犬と一緒に暮らしていた。
その村では昔からの風習で犬の尾を断尾させる習慣があった。
狩猟を生業としている人間の多い地域では野生動物につかまれたりかまれたりするのを避けるために狩猟犬を断尾させる習慣があり、おそらくそれが町全体に根付いているのだと思われる。

少年の父親は猟師だったが、愛犬であるラッキーは断尾を行っていなかった。
都会からこの小さな町にやってきた母はいわゆる活動家で、犬の尾を切ってしまうことにとんでもない嫌悪感を持っていた。
少年も妹も難しいことはわからなかったが可愛い子犬だったラッキーのしっぽを一太刀したり、ワイヤーで根元を縛って自然に壊死して落ちるのを待つなんてむごいことはしたくなかったため、ラッキーは町で唯一のしっぽのある犬だった。
それを母親と兄妹はまるで我が家の犬こそがこの町で唯一倫理的であるかのようにふるまった。

ある時少年とその妹、そしてラッキーの二人と一匹は山中に弁当を忘れて入った父のためにお使いへ行くこととなった。
二人は上機嫌で鼻歌など歌いながら山道を上がっていく。
ラッキーは雑種だったが、父親の猟師仲間のうちの優秀な狩猟犬同士の子供だけあり、力強くその隣を上がっていく。

15分やそこら歩いただろうか、猟師たちが休憩をする山小屋まであと少しというところでなにか30m離れた先の茂みががさがさと動いた。
勇敢なラッキーは二人の前へ歩み出て身を低くして様子を見ている。

猟師だったら撃たれては困るため少年と妹はカバンをゆすって鈴の音を鳴らした。
警告が幸いをなしたか、茂みからはのそりと男が現れた。

毛皮を全身にまとっているように見えたため、少年は思ったままを、30m先の男にぶつけた。

「毛皮なんか着て、茂みに入るなんて危ないよ、鹿と間違えて撃たれてしまうよ」

少年の声を聞いているのかいないのか、男はこちらへ近づいてくる。
妹がヒッと声を上げた。
毛皮を着ているわけではなかった。

男はソレの下は裸だった。
ソレとは、おびただしい数の獣のしっぽの塊だ。
きつねやたぬきだけでなく、鳥や馬や、太いミミズの大群のように見えるのはネズミだろうか、体中に獣のしっぽをまとった裸の男がいる。

髪は長く、髭も潤沢で、どこが髭でどこが髪でどこが眉かもわからない。
確かにわかることはそれが異常な人物であるということだけだ。
少年は妹と手をつなぎ、ラッキーの手綱を引っ張って後ずさりをした。
勇敢なラッキーは後退を知らない、ラッキーのかかとが土を盛り上げながら引きずられる。

男がこちらに大股で近づこうとしてくることが分かった瞬間少年と妹は駆け出した。
父親の弁当がぐちゃぐちゃになることなど顧みず、山を駆け下りる。
とにかく振り返らずに走り続ける、年子の妹故、遅れたりペースについてこれずに腕を振り払ったりなどをしないことが助かった。
少年と妹は家に帰り母親にしがみついた。
父親の弁当袋をそのまま持って帰ってきた兄妹を最初は訝しんでいた母親も、子供たちの泣きようがただ事でないと気づき、慌てて慰めにかかった。

「大丈夫よ、その道はお父さんがお弁当がないことに気付いたら山を下りるときに使う道だから、怪しい人がいたら捕まえてくれるわ」

「でも、ラッキーのしっぽが」

そう妹が口にした瞬間に少年の脳内は恐ろしいほど冷え切った。
ラッキーがいないのである。
勇敢なラッキーはきっとあの男に嚙みつきを仕掛けたに違いない、そしてそのキュートなおっぽを鉈で切り落とされたりなどしたに違いない。
尻尾を切り落とされただけならまだいい、男が犬を殺してから尻尾を切り取る可能性だってあるのだ、少年は罪悪感と恐怖で母をさらに強く抱擁した。
いつもは気丈な長男がしがみついていつまでたっても離れないのだから母はひどく困った。


数時間後に父親が帰宅した。
猟師の仕事はとにかくエネルギーが必要だ。
獲物を何時間も追い回すこともある、昼飯がないとなっては猟を切り上げるしかないのだ。
父親が帰宅し、ドアを開けたと同時に部屋の中に元気よくラッキーが飛び込んできた。
しっぽは無事で、ちぎれんばかりに振っている。

「ラッキーがひとりで山小屋まで来てたから連れて帰ってきたんだ」

父の言葉を聞き、初めて少年は安堵した。
その後、昼飯の弁当を食べる父に母が兄妹から聞いた話を簡潔に伝えた。

「なるほど、頭のいかれたしっぽ男が現れるという話は聞いたことはないが、うちを見つけ出してやってくるかもしれない」
「私たち殺されちゃうの?」
「なに、大丈夫だ、ラッキーを俺たちの手で断尾させよう、男はしっぽがある犬に目をつけている、ラッキーのしっぽがなくなれば興味をなくすさ」

それを聞いて兄妹と母は顔を見合わせた。
父が町で唯一尻尾を持つ犬のしっぽをいとも簡単に切ってしまおうといったのだ。

「ラッキーの、そして俺たち家族のためなんだ、わかってくれるだろう?」

父が優しく諭すが妹は泣き出し母と抱き合った。
ラッキーがしっぽのない犬になればラッキーのしっぽを自分たちだけの利益のために切っていることにはならないだろうか?
少年は考えた末に、ラッキーのかわいい尻尾を切ることに同意をした。


ラッキーのしっぽは所詮鍵尻尾で家族に幸せをひっかけてくるようにと、5匹いた赤ちゃん犬の中からこだわって少年が選んだ犬だった。
ラッキーのしっぽの付け根に紐を巻くと結び目が気になるのか、そのかわいい犬はぐるぐる回って自分の尻を確認しようとしていた。
母と妹は断尾を行う現実から目をそらすために家の中にいた。
少年と父親、そしてラッキーだけが庭先にいた。

父親が猟師仲間からもらってきた麻酔薬をラッキーの尻に注射した。
ラッキーは最初こそ「きゃん」と声を上げたがその後は伏せをしておとなしくしていた。
父が革をなめすようにラッキーのしっぽを伸ばす、いつもならばしっぽを触れば吠えたりするのだが、麻酔でうつらうつらとしているのかラッキーは怒った様子はなかった。

鉈で一太刀、しっぽが落ちたところでようやくラッキーは吠えた。
尻を消毒してやり、糸で根元をきつく縛り、なめたりしないように襟巻のようなものを巻いてようやくラッキーは解放された。

少年は罪悪感でいっぱいだった。
ラッキーのしっぽをついに自分が断尾してしまった。

ラッキーのしっぽを大事に両手で抱え、自分の宝物箱の中へとしまった。
勇敢な犬ラッキーの功績により、我々家族は守られたのだ。
罪悪感と同時にほっとした気持ちになったのは20時を回ったころで、少年はその日父と一緒に眠ることにした。

少年は夢の中で、家族がラッキーの鍵尻尾にくるまれて眠る夢を見た。
家族全員の無事が何よりだ。
ラッキーのしっぽはとんでもない狂人をひっかけてきたのだが、今はもうない。
夢の中で少年は何度もラッキーにありがとうとごめんを繰り返した。


翌朝、少年を起こしたのは断尾された犬ラッキーだった。
父親は既に猟に出かけたようで一人で眠っていた少年の顔をなめて起こしたのだ。
ラッキーを抱擁し起こしてくれたことへの感謝を述べた。

なんだラッキーは元気じゃないか、家族もみんな無事だろう。
しっぽなんかなくてもラッキーはラッキーだ。
少年は寝巻のままベッドから出て宝物箱を開ける。




ラッキーのしっぽはそこにはなかった。
ラッキーはただの断尾された犬になってしまった。

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