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【日記】澁澤版ソドム120日読了

※感想や考察ではありません。

私、マルキ・ド・サドが好きなんですけど、澁澤龍彦の翻訳がまじでムズすぎてソドム120日の澁澤版に収録されてる短編がずっと読めずにいたんですよ。
読めねー単語が出てきて調べたら「澁澤龍彦のオリジナル語彙、アナルセックスのこと」ってのが3回ぐらい別の単語であって嫌んなって。
ソドム120日自体は他の翻訳版もあるので目を通したのでまあいいんですけど、澁澤版はなぜか一章が丸っとカットされていて、短編が2本入ってるんです。悲惨物語と、ゾロエと2人の待女。
(悲惨物語は目を通したが、ゾロエは頭がいっぱいいっぱいになったので止めてしまった)
そんで今積読をめちゃくちゃ消化してるんですけど、今日その読みかけだった最後の短編、『ゾロエと二人の待女』読んだんですよ、約1年ぶりに。

内容は読んでほしいので言及する気もないんですけど、なんかサドっぽくない作風で、はらゆたか先生みたいなノリ。(読者への語りかけ、あえて描写しないことへのあえての言及など)
狂乱の性描写は一切合切なく、なんとなくキャラもつかみづらい。

はにゃ?なんか検閲されたか?ってなって調べたらどうもサドが書いたっぽいけど実際はわからんみたいな作品だったらしくて。
なんか強い圧力で書きたいとこを書かせて貰えてないか、サド書いたものじゃない。なんかそんな感じがした。

なんとなくサド文学独特の肯定感?全力感?がなかったし。
(私はサド文学のサドの性に対する情熱やそれを世間にお出しするメンタル、そして美しい語彙を高く評価している)

ソドム120日は元気をもらえて好きで、澁澤訳以外にも翻訳版淫蕩学校は2冊ほど持ってるんですけど、なんか、エネルギー?サドの文章ってエネルギーに満ちてるんですよね。
俺の性癖はこれやーーー!書かせろーーーー!っていう、全力の性癖をぶつけてくる感じ。
でも文章はとにかく綺麗でスラスラ読めちゃうし。
それが何となく、『ゾロエと二人の待女』は違う感じがする。
censoredされたのかなぁ、出版社から。時代から。権力から。
なんか悲しいなぁ、創作者がねじ曲げられちゃうの。
フジに買収された紙兎ロペのこと未だに悲しく思っている…。


そんでまぁゾロエと二人の待女の話はこの辺にして、ツイッターでも一人でシャドウボクシングしてたんですけど、

ソドム120日に限らず『アングラ作品、ファスト接種奴におもちゃにされ過ぎ問題』の話です。
これはサドに限らずというか本題はこっちなんですけど、ムカデ人間とか、裸のランチとか本当に見たことありますかっていう話です。

昨今ゆっくり解説動画の流行とか、サブカルチャーのポップカルチャー化もあって、なんとなくグロすぎる映画といえば「Salo(ソドムの市)」「ムカデ人間」みたいなイメージないですか???
別にこの二つに限らず、アングラ界隈のものをなんとなく引っ張ってきて見てもないのに「時計仕掛けのオレンジは失禁もの!」とか「この世界には機械人形がいるがやばすぎる!閲覧注意!」とか言っちゃってませんかっていうことですよ。(機械人形手に入らないんですけど誰か譲ってください…)
これは別に何でもいいんですけど、それらの作品を私は普通に評価してるわけで。

これからお話しするうえで大事なのは、グロ大丈夫アピールキモって思うのは短絡的だよっていうことですよ。

そもそもなにと私がシャドウボクシングをしたのかというのがさかのぼること数年前、ダンガンロンパV3が発売され数か月たった時のことです。
私は2まではプレイ済みで、V3をプレイするまでに別ジャンルにはまっていたのもあり、ダンガンロンパを私が好きだと知らないフォロワーも結構いたわけです。
で、やっとこさV3をプレイして私が出した感想っていうのが「ムカデ人間3みたいだった!スーダン(ダンガンロンパ2のこと)はムカデ人間2みたいだったからもしかしてパロディなのかな~?」

ってな具合でした。これ全然悪気はなくて、ダンガンロンパはいろんなジャンルのオマージュやってますし、実際似たところが多くてそうなのかな~って思っていったぐらいのことです。
そもそも私はムカデ人間は映画としても結構面白いと思っていますし、似ているなと思った部分として、前作の視聴者の感想を作中で出すとか、1は実際にあったことではなく物語だったという設定にあとからして、それに影響を受けたキャラクターを主軸に物語を展開していくとかそういう手法のことを言ったわけです。

そしたらおつむのたりてねえくそバカファスト映画奴が寄ってたかって集まってきて「ムカデ人間なんかと一緒にしないで!」

かすがよ!!!!!!!!!!!!ぶっとばすぞ!!!!!!!!!

ってな具合でいつでも再燃できる位置にこの腹立たしい無知のファスト映画奴が焼き付いてしまっていてシャドウボクシングしたわけです。

ファスト映画はよくないって一時期話題になりましたけど、映画に限らないんですよこれはサド文学も同じ目にあってますし、漫画やアニメもなぜかファスト消費される。ウィキペディアだけ見てみた気になってませんか???

まあ最悪ファスト消費は仕方がないとしても、

『読まない方がいい!』とか『閲覧禁止!』とかの言葉をつけんじゃねーーーー

ってことですよ。

見てその結論ならいいですよ全然。
全然見てそう言ってるんならいいんですけど、たいがいそういった強い言葉を使うやつは「私は怖すぎて見れんかった;;;」とかいうわけです。

SaloはDVDがくそ安く売ってて、現時点だとこれしかフル尺で見ることはできないんですけど、これほんまにお前見ようと思って買ったんか???
ムカデの2の食糞シーンなんか物語の後半も後半ですけどそこまでは見たんですね!!!!!!!!!!!?????????????

っていうむかつきがあるですよ。
何でも好きな人がいるってことが全然わかってね―――って大変腹立たしく思うわけです。
なんとなくこういうアングラ系のものには知ってなくても言ってもいいみたいな感じないですか?私はめっちゃそういうの感じます。

やだなー気持ちのやり場がないし大概の人はムカデ人間見ないもんな~…誰も私を理解してくれない…とまあしょっちゅう悲しくなるわけで、思い出すたびに仮想敵と戦ってるんです。

で、まあソドムをやっと読み終えたから次は何を読もうかなーって思って手に取ったのがこれです。

友成純一先生の映画評論とエッセイの間の子みたいな本です。
キネマ旬報とかで連載してたコラム集です。
試し読みができるサイトを探したんですけど見つからなかったので買って読んでください。

私最近友成先生にめちゃくちゃはまってまして、ざーーーっとまとめていろんな文庫本を買ったんです。新品はもうないので中古で…。
友成純一先生といえば猟奇系の官能小説を書かれることで有名だと思うんですけど、この本で北斗の拳について言及してるところで、

しかし残酷描写に満ちているという理由で、この作品をろくでもない映画のように決めつけるのは絶対に止めてもらいたい。
グロ描写もまた、人間の精神の様態を表現する一つの手段なのだから。
(一部省略)
何かを描くのに、残虐描写という現在最もインパクトの強い手段を利用して、激しく誇張してゆくやり方だってあるのだ。
残虐描写=悪と決めつける態度は、愛や友情や正義を空疎に絶対化して観客に押し売りするPTA的偽善と無縁ではない。

友成純一
びっくり王国大作戦
第一章:日常生活はかくドラマとなったより引用

読んだ瞬間それだよ!!!!!!!!っておもったんです。
この本めちゃくちゃよくてですね、友成先生の素の文って私初めて読んだんですけど、大変に読みやすく、めちゃくちゃコミカル。
変わった方なのはわかるんですけど自分の趣向に誇りを持ってらっしゃる。

エッセイや名作過ぎる昔の作品は読了記事書きまいと思って今までも何回かそうしてるんですけど(最近やっと十角館の殺人を読みました面白かったです)これはまじでめちゃくちゃよかったので紹介する意味で書いてるんです。そう、そうなんですよ。

いわゆるスプラッタ映画の、うわべの肉体表現のみをとらえて「残酷だ」としか見ないのは、特撮やアニメーションが可能にした誇張の技法を無視する暴論である。

友成純一
びっくり王国大作戦
第一章:日常生活はかくドラマとなったより引用

仕事の待ち時間に読んでるんですけど、めちゃくちゃさっきまで腹を立ててた仮想敵へのこぶしを下げることができたのはこれのおかげですよ。
多分これ読まなかったらずーーーーっとタイムラインで暴れてたと思います。友成先生ありがとう。

この一章の内容の最後も、自分がグロが好きだっていうことを肯定したうえでおすすめしてた映画(北斗の拳)が大盛況らしい、仲間が増えてうれしいねって形で終了するんですけど、本当に…いろんなことの留飲がおりていい加減あのクソアマ許してやろうかなという気になりました…。
ありがとう友成先生;;;
でも肉の天使がどこにも売ってないです読みたいです;;;
紙の本しか無理なんです;;;よろしくお願いします;;;

以上


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