見出し画像

『バービー』を観た

 新宿で『バービー』を観た。気合いを入れるために、蛍光色に近いナイキの緑のバスパンを履いて行った。ポップコーンもドリンクもLサイズを頼んで、準備万端。期待を胸に席に着く。
 以下インスタに載せた文章を転載する。

 今学校で習ってる良くない脚本のお手本のような感じだった…。
 1年前から期待していただけに、肩透かしを食らった感がすごい。ルックが良いだけにねえ…というかルックしか良くない。最初のワーナーのロゴがピンクで、まじグレタガーウィグバチバチやんって思って期待値マックスまで上げておいて、観ているうちにどんどんその気持ちがしぼんでいって、エンドロール終わってからのまたピンクのワーナーロゴを見ている時の、何だったんだろうこの時間という気持ちを、どうすれば良いんだろう。
 全く話が盛り上がらないし、その話の進め方も観客の側が努力して歩み寄って理解するような作りになってることに全く自覚的じゃない。実験映画だったら良いかもしれないけど、バービーでございと大見得を切って劇映画でこれは無いよ…。どうやら山場らしきバトルオブセックス(なのか?)もなあなあで終わって、旧態依然とした男しかいない経営陣に何かケリをつける訳でもなく、母娘も理由もなく仲直りして、最後バービーが人間の雌(言い方すいません)になって…。これで誰かがエンパワメントされるんですかね。
 物語の始まりと終わりで結構大きな心情の変化が起きていると思うんだけど、その過程の説明がよく分からなくて、というかしていない。三宅隆太の言葉を借りると、女のバービーが歩む男性神話と男のケンが歩む女性神話とか、男の持つ女に対する偏見を逆手に取ったり、構造としての面白さはあるんだけど、それも、これ面白いかも!というアイデアだけで止まっている。ノリでしか作ってないんじゃないかと思う。
 やりたいように好き勝手やれているかというとそうでもなくて、観念的な言いたいこと(らしきもの)をセリフで全部説明しようとするのにその言葉に全く力(厚み、凄み、リアリティと言っても良いかもしれない)がない。Twitterの言説をそのまま喋ってるみたいだった。また三宅隆太の言葉を借りると、お気持ちの表明が延々続く。なんか雑なんだよな…。
 人間てこんなもんじゃないでしょ。いや、バービーはお人形だから良いのか…?いやでもこれ人形だったバービーが人間として目覚めていくってことが言いたいんですよね?うーん…。小手先の遊びに比重を置きすぎて芯がブレブレというか、そもそも芯があるのかも疑問。
 比べるもんでもないが、ファスビンダー観た後だと弱者に対する眼差しのヌルさに😓となる。更に言えば、男のタランティーノが結局男性的な暴力で解決させたデスプルーフの方がよっぽど女性映画として良いと思うのだが、その辺りを彼女はどう思っているのだろうか。どうも思ってないかもしれないが…。
 グレタガーウィグの一存でこのようなものが出来上がったとは思わないけど、でも所詮は彼女も金持ちの(その特権的な自身の立ち位置に無自覚な)白人なのだと思った。彼女の周りには同じような白人しかいないんだろうなと思う。なんなんマジで。
 鑑賞後女子二人組が「ライアンゴズリング筋肉ムキムキで超かっこよかったー❤️❤️」と大声で話しているのが聞こえたんだけど、あなた達何観てたんすかと言いたくなった。映っているものが全てである映画の持つ宿命ではあるが、結局かわいいとか、そういう消費のされ方しかされないのは、嫌いな映画とはいえ悲しい。これはもちろんアステロイドシティにも言えること。気が滅入る。(転載終わり)

 友人が『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』はホワイトフェミニズム映画であり、グレタ・ガーウィグは白人至上主義者だと言っていたのだけど、今回『バービー』を観てその指摘に納得した。
 グレタ・ガーウィグのタチの悪いのは、マイノリティに配慮している(少なくとも彼女はそう思っていて、なんならエンパワメントさえしていると考えていると思う)ようで、実はヌルい目配せをしているだけに過ぎない所だ。こういうとこがアカデミー賞と相性抜群なんだよなー。多分アカデミー賞取るでしょこれ。下らねえなあ。この映画を社会的な作品だと言う人は結構いるけど、その社会って多分白人しかいないよ?
 多分グレタ・ガーウィグはこれからもこういう映画を作り続けるんだろうけど、俺はもう良いッスって感じだなあ。

この記事が参加している募集

#映画感想文

67,269件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?