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第26週:タズリア(身重になる)・メツォラ(ツァラアトの病人)

基本情報

パラシャ期間:2023年4月16日~ 4月22日
通読箇所
トーラー(モーセ五書) レビ記 12:1~13:59・ 14:1~15:33
ハフタラ(預言書) 列王記第二 4:42~5:19・ 7:3~20
新約聖書 マタイ 8:1~4・ ローマ 6:8~23
(メシアニック・ジューが合わせてよく読む新約の箇所)
 

イェシュアの物語の下敷きにあるパラシャー
ヨセフ・シュラム

ヨセフ・シュラム
ネティブヤ エルサレム

導入―

今週のパラシャ(通読箇所)もレビ記の祭儀的な規定であり、骨の折れるものだ。
このパラシャに出てくるトピックは、一見クリスチャンやメシアニック・ジューの世界には関連がなさそうに思える。私自身、60年以上イェシュア(イエス)を信じ仕えてきているが、このトーラーの箇所に関する説教は、ほとんど聞いたことがない。おそらく、ここの主要な題材が、女性が出産してからのきよめの過程と、ツァラアト/らい病のきよめの規定という1つであり、私たちには異質で遠い存在だからだろう。
しかしツァラアトは、トーラーや聖書に見られるように、古代イスラエル社会における最も主要な汚れの原因のーつだった。それは旧約聖書時代も新約聖書時代にも、共通する。しかしほとんどの読者はそれをあまり知らず、理解もしていないのだろう。 

レビ記から見る、ルカ2章

2「イスラエルの子らに告げよ。 女が身重になり、男の子を産んだとき、その女は七日の間汚れ、月のさわりの不浄の期間と同じように汚れる。3八日目には、その子の包皮の肉に割礼を施す。4彼女は血のきよめのために、さらに三十三日間こもる。そのきよめの期間が満ちるまでは、いかなる聖なるものにも触れてはならない。また聖所に入ってはならない。

レビ記 12章 

この教えは21世紀のクリスチャンには、何ら関係のないように思われるだろうが、ユダヤ人にとっては、大いに関係があり、現在でも有効なものになっている。なぜなら私たちの民族は、未だにトーラーのきよめの規定を守っているからだ。
そして新約聖書を見てみると、ユダヤ人がきよめの規定を遵守していることを基本とした、戒めがいくつかある。
女性が男の子を産んだなら、八日目にその子は割礼を受け、女は33日間汚れる。それから彼女は神殿に行ってきよめを受け、ミクベ(沐浴・洗礼)を受けるのだ。彼女は身を洗ったところできよめられ、夫との日常生活・営みに戻ることができる。 

そしてこの箇所は、(深く掘り下げて読まれず見逃されがちだが)新約聖書の中でとても大切である。ルカの福音書にこうあるからだ―

21 八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子はイエスという名で呼ばれることになった。胎内に宿る前に御使いがつけた名である。
22 さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムへ連れて行った。
23 —それは、主の律法に「母の胎を開く男子の初子は、すべて、主に聖別された者、と呼ばなければならない」と書いてある通りであった—
24 また、主の律法に「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」と定められたところに従って犠牲をささげるためであった。

ルカによる福音書 2章

イェシュアが胎内に宿る前のマタイ1章で、御使いが来てマリヤにこう言った。「その名をイェシュアとつけなさい。なぜなら彼はその民族のイェシュア(救い主)となるからだ。彼は救い主となり、その民を救う。」
そしてベツレヘムで実際に子供が生まれた時、彼らは御使いが告げたようにその名をイェシュアとしてつけた。ルカはその話をもちろん知っていて、それを繰り返している。そしてルカはここで、「誕生して八日目に、彼が割礼を受けた」と書いている。 

イエス一家のユダヤ的・経済的な環境

イエス(イェシュア)一家

親愛なる日本の兄弟姉妹の皆さま、この点は特に理解してほしい。

イェシュアは、アブラハムが神に命令を受けた通り、八日目に割礼を受けた。それはシナイ山でモーセに律法が与えられた時より、ずっと以前。創世記17章で、アブラハムに、宿営のすべての男子に割礼をするよう、神はすでに命じられている。それでアブラハムは、自分とイサク、そしてその他の彼の子供たちすべてに割礼を施したと書いてある。そしてイェシュアは、ルカが書いている通りに、割礼を受けた。 

そして割礼後の母マリアのきよめの期間が終わった三十三日後に、彼らはベツレヘムからエルサレムにやって来た。ナザレからではなく、彼らはまだベツレヘムにいた。ベツレヘムから10キロ弱離れたエルサレムに来、彼女はきよめを受けた。マリヤはきよめられ、幼子イェシュアは主の定めに従って捧げられた。ルカには「すべて母の胎を開く男子の初子は、主に聖別された」とある。聖である/聖別されるためには、いくつかの手続きを踏まなければならない。それはトーラーに規定されたいけにえを捧げることであり、マリヤとヨセフはそれを守りいけにえを捧げた。 

24節に彼らが捧げたものがあるが、それは二羽の鳩―「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」だった。これは彼らの経済的、社会的な立場・地位を暗示している。なぜなら、裕福な上流階級またはそれに近い中間層であれば羊を持ってくるからだ(レビ12:6)。中間層の下より下であれば、トーラーに規定されているように、家ばと二羽かひな二羽を当時神殿に携えて来たのだろう(8節)。 

そして、ヨセフとマリヤは後者を持って来た。その意味するところは、彼らが裕福ではないが、極貧でもなかったことだ。極貧なら一握りの挽いた粉に、オリーブ油を添えて捧げる。マリヤとヨセフがおこなったこのきよめの手続きを、主は満足して受け入れられた。それらはすべて主の規定に従って行われたことが、ルカの福音書に明らかに書かれている。 

これらが告げている事は何か。
まず第一に、ヨセフとマリヤと幼子イェシュアが、トーラーに従順な生活をしていたこと、という点だ。現代の言葉で言うなら、非常に伝統的なユダヤ人の生活スタイルだ。彼ら一家はすべてを御言葉の通り、戒め・主の律法通りに行っていた。それは私たちが覚えておくべきことだ。イスラエルに住むユダヤ人はもちろん、小アジア、ギリシャ、ローマ、北アフリカ、メソポタミアと、世界中に住むユダヤ人たちは、歴史的にトーラーについて討論し、その意味を見極め、正しく解釈するために、古代の書物を少しずつ収集して、またそれらが自分たちの時代にどのように当てはまるか、議論するのを常としたし、現在でも多くの宗教的なユダヤ人はそうである。 

そんな大半の歴史的なユダヤ人と同様、きよめの期間が終わった時にヨセフとマリヤは神殿に行き二羽の家ばとを捧げた。これは私たち読者がよく知り理解すべきであり、福音書内に書き残す価値があるとルカは考えた。これは非常に、興味深い。ここにはレビ記とルカとの深い関係があり、レビ記12章の知識がなかったら、ルカ2章に書かれている産後のきよめと割礼の話を理解するのは困難なのだ。 

ルカのみが記録している意味

そして驚くことに、これを書いたルカはただ1人である。ちなみにルカは福音書の著者の中では、ユダヤ人でない福音の著者である。もしこのルカが、使徒パウロの弟子のルカで、使徒行伝 21章で、パウロがエルサレムに連れて来た7人の異邦人の信者のうちのー人なら、彼は異邦人の医者で、使徒行伝とテトスへの手紙、ピレモンへの手紙の中に書いてある通り、他の6人の異邦人信者と共に小アジアからパウロについてイスラエルの地にやって来たそのルカだ。

その異邦人信者のルカが、イェシュアの誕生のいきさつとイェシュアのきよめと母マリアのきよめを詳細に私たちに告げている。そしてマタイ・マルコ・ヨハネはその反面、このことを書いていない。なぜだろうか。私が考えるに、彼らはユダヤ人なので、これらのしきたりはユダヤ人なら誰もが知っていることなので、わざわざ書く必要はないと考えたからだ。しかしルカは異邦人だったため、レビ記12章から引用し、読者たちに律法の定めを詳細に告げている。ルカは、ユダヤ人以外の人々・異邦人が彼の福音書を読むことを考えていたからだ。 

ツァラアト・らい病

ツァラアト・らい病/ハンセン病

さて、次のトピックは古代では最悪の伝染病である、らい病/ツァラアトだ。らい病はハンセン病という名でも知られ、現代ではほとんど根絶され身近なものではない。しかし私はエルサレムにある、ハンセン病患者の集団居住地に近い地区で育った。エルサレムのハンセン病患者のための病院には、患者の数より多い看護婦と医者が治療に当たっており、最後に残った患者はー人で、廃院となった。

抗生物質と現代的な医薬品によって解決されたが、3000年前に書かれた律法も、解決案を提示した。トーラーでは、数章に渡って診断と対処法について書かれている。

もし傷口が白ければ、あるいは白くなく赤ければ、そこに毛が生えていれば、その毛が白ければ、あるいはその毛が白くなければ、その毛が黒ければ、その場合どのように診断すべきか、そしてどうするべきか、どう治療するか、あるいは治療しないか―
聖書には、当時の知識や技術に沿った診断基準があったのだ。 

ツァラアトがいやされた10人

新約聖書のルカ17章を読むと、この箇所に関連のある興味深い話が見られる。

そのころイエスはエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた。

ルカ 17:11

イスラエルの地理を知らない人々には理解しにくいだろうが、私はその道を何度も車で通ったことがあり、徒歩で歩いてみたこともある。
ガリラヤ地方やナザレからエルサレムに行くのに、わざわざこの場所を選んで旅する人がいるだろうか。その道はヨルダン渓谷を通って行くよりも、ずっと困難な道だ。ヨルダン渓谷のルートで行けば、ナザレを出てイズレエルの谷を横切り、ベトシャン(ベト・シェアン)の谷を進む。するとヨルダン川に出て、あとはエリコまでずっと、ほとんどが平らな、大きな山や谷のない川沿いの道だ。そしてエリコに着いたらそこから右(西)に曲がる。その坂を上れば、エルサレムだ。それで一般的に人々は、ガリラヤからヨルダンの谷を通ってエルサレムへ行っていた。

なぜ人々はサマリヤを通って行かないのか。いくつか理由がある。理由のひとつはそこが山岳地帯で、登ったり下ったりして険しい道だからだ。しかし、それでもサマリヤを通ってエルサレムに上りたい時期がある。それはいつだろう。ー年にただー度、春のサマリヤの山々と谷がとても美しい季節だ。2月の初めから中旬にかけて、それはとても美しい季節だ。ネティブヤの中に世界的に有名な植物生物学者がおり、降水量の多かった年の冬に、(サマリヤではなく)ユダの荒野で一緒に草花の調査をしたことがある。少し歩いただけで、なんと100種類以上もの花が咲いていた。

サマリア地方のみに生息する、
サマリア・アヤメ

ちょうど今頃でも、サマリヤの山々は美しい赤い花に包まれている。イェシュアはその花を、野のゆりと呼んだ。ケシ・ポピーの一種で、辺りが赤ー色になり本当にきれいな季節だ。イェシュアはその場所を通ってエルサレムに行こうとした。なので、この出来事は春だっただろうと、私は考える(また、夏は暑すぎる)。 

そしてそこで、イェシュアは10人のらい病人に出会った。そこで10人のらい病人がイェシュアに出会い、その名を呼んで言った。

「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください」

ルカ 17:13

この10人のらい病人は、どうしてイェシュアの名前を知っていたのか。イェシュアが先生であることを、なぜ知っていたのか。そして不治の病らい病のために、どうしてイェシュアに神の恵みを願い求めているのだろうか。
私たちの多くは、イェシュアが貧しく、迫害され拒否されたメシアだと考え、見る傾向がある。しかしそれは断片的であり、そんな面だけではない。新約聖書、特に福音書を読むと、イェシュアは人々によく知られており、尊敬を集めていたこともわかる。 

イェシュアは、サマリヤ地方でよく知られていたし、エリコなどの渓谷部でもよく知られていた。イェシュアが来ると知った盲目の男は、イェシュアに癒してくれるように懇願したが、これは彼がイェシュアについて聞いて、知っていたからだ。テレビもラジオもSNSもない時代、イェシュアの名前はイスラエルの広い範囲で知られており、特に地元・拠点だったガリラヤでは、特によく知られていた。ルカ4章には、イェシュアがガリラヤにある多くのシナゴグで説教をしていた、とある。ということは、拒絶されてもいたが、喜んで受け入れるシナゴグ・コミュニティーもあったのだ。 

そしてイェシュアの説教を聞いた、多くの人々は主を賛美した。少なくとも偉大/カリスマ的なラビとしては、少なくないユダヤ人たちが彼を認知していた。安息日には偉大なトーラーやタナハ(旧約聖書)の教師としてシナゴグで、そして各地で癒しなどの奇跡を起こした。 

イエスのトーラーと祭司に対するリスペクト

神殿で教えるイエスを祭司たちは妬み、嫌っていたが…

しかし癒しの奇跡を行った際、『癒しの宣言』をすることはなかった。これはイェシュアが、トーラーを尊重していたからだ。
なぜなら彼はユダ部族の出身であったため、レビ人=祭司ではなかった。そこでイェシュアは、ツァラアトを癒した後にこう言ったのだ。 

「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中できよめられた。

ルカ 17:14

このイェシュアの言葉は、このパラシャに書かれてある、祭司によるきよめの手順・工程を指している。もちろんイェシュアは主であり、神の子・メシヤだった。しかしイェシュアは祭儀的なきよめ・汚れを神の前に認定する、祭司ではなかった。イェシュアは自身の権威によって、神のトーラーが与えているアロンの家・レビ人・祭司の権威を取り上げることは、しなかった。 

イェシュアはトーラーだけでなく、イスラエルにおける祭司の役割も尊重していた。そこで、行って自分を見せて祭司のチェックを受け、いやしときよめを宣言してもらうように、と彼らを送り出したのだ。
この1コマも、レビ記12~15章が下敷きになっているのだ。

 さてその道のりの途中でいやされた彼らは、みな「きよい」と診断してもら
う(そのチケットの)ために大急ぎで、祭司のもとへと行った。しかしそのうちの1人、ユダヤ人ではないサマリア人がイェシュアのところに戻ってき、彼を見つけた。 

15 そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、
16 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。
17 そこでイエスは言われた。
「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。
18 神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」

ルカ 17章

10人のうち9人がどこに行ったのか、私の考えはこうだ。
彼らは典型的な、サブラ=イスラエル生まれのユダヤ人だったのだろう。彼らはその喜びから大急ぎで祭司のところに見せに行き、祭司からきよいと宣言された後、お礼を言うのをすっかり忘れたのだろう。(自虐的だが)この記憶力・何かをコロッと忘れる姿は、現代のイスラエル生まれのイスラエリー(サブラ)によく見られる傾向であり、おそらく聖書時代からそうだったのではないだろうか。

サブラ(ヘブライ語で「ツァバル」)は、
サボテンの実から来ている。

彼らが心の中で感謝していたのは確かだが、彼らはそれを表現しなかった。これは私たちが学ぶべき、もうひとつの普遍的な教訓だ。
 
あなたがたすべてに、主の祝福があるように。
律法の書(トーラー)を、ぜひ読んで欲しい。たとえ理解できないと思っても、とにかく読み、祈って、理解できるように神の助けを祈り求めよう。するといつか必ず、聖霊が働き助けが訪れるだろう。
聖霊は生きており、私たちが求めさえすれば真実に導いてくださる。そして「求める」手段は多くあるが、御言葉である聖書を読むこと以上のものはないからだ。
 
主の祝福が、皆さまにあるように。
エルサレムからシャローム!!

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