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掌編小説「十五歳の僕は」



 懐かしい仲間たちとのおしゃべりもひと段落がつき、僕は会場を出てロビーのソファーに腰を沈めた。中学校を卒業して三十年目の同窓会だった。当時とあまり変わらない者もいれば、どこの誰だったかと首をひねりたくなる奴もいる。自分とて、彼らの目にどう映ったかは分からないし、そこはお互い様だろう。いずれにせよ、その語らいは楽しいものだ。

 勢いにまかせて飲んだせいか、酔いが一気に回ったようだ。僕はソファーに背をもたせ、眼を閉じた。やがて暗いスクリーンに一つの顔が浮かび上がった。同級生だった森君の顔だ。当時の仲間との再会を懐かしみながら、僕はある悲しみを感じていた。それは森君がこの席にいないことだ。記憶の中の森君は、まだ十五歳の幼ささえ残る顔に笑みを浮かべて僕を見つめている。

 そのとき僕は中学の三年生で、数日前から風邪をひいて学校を休んでいた。布団の中で考えるのは半年後の高校受験のことばかりだった。熱にうなされながら、僕は受験に失敗する夢を繰り返し見た。それが現実になりはしないかとの焦りから、腹ばいになって教科書を開いてはみたが、なにも頭には入らなかった。

 見舞いと称して森君がやってきたのは、ようやく熱も下がり始めた日の午後のことだった。同じクラスになって以来、彼とはなぜが気が合って親しくつき合っていた。なにかと世話好きなところがあり、ときにはそれが煩わしくもあるのだが、そろそろ人恋しくなっていた僕にとって、森君の訪問はありがたかった。しばしおしゃべりに興じた後に話題が来年の高校受験の話になると、森君は口ごもりながら言った。

「俺さ、R高校を受けることに決まったんだ」
「まえに話していたあのR校かい」
「ああ。うちは親父の言うことは絶対だからな。俺も覚悟を決めたよ」

 R校は東北にある全寮制の私立高校で、かなりのスパルタ学校らしかった。森君の家はこの辺りでは中堅の町工場をやっていて、父親は社長だった。森君はいずれ跡を継いで社長になるはずだ。その英才教育として森君の父親が独断で彼の進学先を決めたのだ。そのワンマンぶりは森君からよく聞かされていたから、僕もある程度は知っていた。

 しかし僕には社長という地位が森君には不向きなような気がしてならない。お人好しで気が弱いくせに強がりで、なにかと要領が悪く、おまけにのろまで、学校の成績もけして優秀とはいえない森君に、社長はそぐわないと思うのだ。

「君自身はR校に行きたいと思ってるの?」

 そう僕が訊くと、森君は頭を掻きながら苦笑いを浮かべて言った。

「まあ、しゃあねえさ。俺は将来、会社を継がなきゃならないし、そのトレーニングだと思ってるよ。R高校を卒業したら、次は海外留学が待ってるんだ」
「それも親父さんが決めたのかい」

 森君はそれには答えず、僕の肩をポンと叩いて言った。

「俺が社長になった暁には、おまえを雇ってやってもいいぞ。俺の秘書にでもなるか」

 そして大きな口を開けて快活に笑う森君の姿が、僕には痛々しく見えた。その後は他愛のないおしゃべりが続いたが、会話の途中に森君がふと見せる暗い表情が、僕には気がかりだった。

「おまえと話ができるのも、もうわずかだな」

 森君がぽつりと言った。

「卒業まであと半年あるんだぜ。いくらだって話せるさ」

 僕がそう言うと、森君はその顔に僅かな笑みを浮かべて言った。

「そうだといいけど。でもこれからはみんな自分のことで精いっぱいで、人のことを考える暇なんてないんだろうな」
「あと半年の辛抱だよ。お互い頑張ろうぜ」

 森君は小さく「そうだな」と答え、目を伏せた。しばらく沈黙が続いた後で、森君は顔を上げずに言った。

「俺、本当はおまえと同じ高校へ行って、ずっとつき合っていたかったんだ」
「なに言ってんだよ。高校は違っていたって、これからもつき合っていけるさ。今生の別れみたいなこと言うなよ」

 僕が叱るような口調でそう言うと、森君は「ハーッ」と大きなため息をつき、両腕を突き上げて伸びをしながら言った。

「さあて、腹も減ったし帰るかな」

 そして、ふと思い出したように持参した紙袋を僕の前に差し出した。

「忘れてた。よかったら食べてくれ」

 森君は「じゃあな」と言って帰って行った。森君が置いていった紙袋には、バウムクーヘンと一冊の文庫本が入っていた。タイトルにはヘルマン・ヘッセ『車輪の下』とあった。彼の好意は嬉しかったが、とても小説など読む余裕のなかった僕は文庫本を無造作に本棚にならべ、その存在すら忘れてしまった。

 半年後、僕は意中の高校に合格し、森君はR高校に進学が決まった。夏休みが近づいたころ森君から手紙が届いた。夏季合宿があるため、夏休みに帰れるめどが立たないと書いてあった。さらに体育の授業中に教師からひどく罵倒され、落ち込んでいるとも書いてあった。僕の想像以上に厳しい学校のようだった。

 夏休みが始まり、お盆の時期になっても森君は帰ってこなかった。そんな森君の訃報を聞いたのは、夏休みも後半に入って間もないころだった。森君は学校に近いある山にひとりで登り、滑落死した。さほど危険な山でもなかったし、彼が山登りをするなんて意外だった。当時の同級生の中には、森君は自死したのではないかと噂する者もいたが、真意は分からなかった。

 僕は森君からもらった『車輪の下』を思い出し、初めてページをめくった。父親と周囲の人々の期待に押しつぶされてゆく主人公と、森君の姿が重なった。彼はなぜこの本を僕にくれたのだろう。僕に伝えたいことがあったのだろうか。それとも、僕に気づいてほしいことがあったのだろうか。そうだとすれば僕は森君に対して申し訳ないことをしたと思う。彼の言った通り、受験までの間は自分のことで精いっぱいで、友人のことを本気で思うことすら僕はしなかったのだ。彼の不安も、孤独な心さえも。

 あれから長い年月が経った。僕の家の本棚の片隅には、あのとき森君がくれた『車輪の下』が今も並んでいる。過ぎた時間に相応しい古さを帯びた背表紙を目にするたび、僕は胸の痛みとともに森君のことを思い出す。





優谷 美和さんの画像をお借りしました。
 

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