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私がデザイナーを志した理由

「なんでデザイナーになろうと思ったんですか?」

たまにこの質問をされることがありますが、私はこれについて毎回はっきりと回答することができています。デザイナーになろうと決めた瞬間をとても明確に覚えているからです。

こんにちは。ジオ(@ziozio_tb)と申します。私は企業でインハウスデザイナーとして勤務しながら、個人としてもデザイン案件を請け負う「複業」を実践しています。私の自己紹介は以下の記事がありますのでよろしければご覧ください。

私がデザイナーを目指すに至ったお話は、深い挫折を乗り越えた末に…!!みたいな壮絶なものではありません。

普通の人が目指したいと思える職業を見つけるまでのお話です。

主に進路を決める高校時代までについて書いています。いわば「大学進学編」というプロローグです。

実際には大学に入ってからデザイナーになるために学んでいく「大学編」や、いざデザイナーとして働いき出してから、どんなデザイナーになっていくかを追い求める「社会人編」に相当するエピソードもある訳ですが、本記事は「デザイナーを志した理由」にスポットライトを当てたものとなっております。デザイナーになるためのノウハウなどは書いておりませんのでご了承ください。

また、言語化による自己内省をして、自分の立ち位置やこれから向かいたい方向を探ることも目的にしています。

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「絵が上手い」と言われて育った幼少期

私は幼少の頃から絵を描くのが好きでした。

きっかけは覚えてないですが、きっと親や周りの人が褒めてくれたりしたのでしょう。絵を描くのが好きで、周りからも「うまいね」なんて言われるものだから、自分は「絵が得意」と思って育ちました。得意と思うとどんどん描くようになり、実際にもうまくなっていったんだと思います。小学校の頃は友達から「ガンダム描いて」とか「カービィ描いて」など言われては自由帳に描いて見せていました。そうすることで友達が喜んでくれました。そうして「クラスの中では絵がうまい人」というポジションを獲得していました。

図工の先生も私の作品をよく褒めてくれましたし、絵だけでなく工作も大好きでした。

(ちなみにこの頃は、絵を描くことと物を作ることの違いなど全く意識してなかったですね。グラフィックデザインとプロダクトデザインが全然違うと知るのはずーっとずっと後の話)

しかし、今思えば私みたいな「クラスで一番絵がうまい子」は全国の教室にいたことでしょう。小学生だった私にとっては教室=世の中みたいなものでした。その中で一番であることは誇らしかったのだろうと思います。

中学の美術の先生から評価してもらえない

中学に上がり「図工」は「美術」という科目になります。そこで私は違和感を感じ始めました。それまで私が身につけてきたものが、美術の先生からは評価してもらえなかったのです。

私がそれまで培ってきた絵を描くスキルは、漫画やキャラクターを描くためのもので、輪郭線がはっきりしたものでした。陰影をつけるデッサンのような描き方ではなかったのです。(当時はそんなこと分析できてません)

これが原因でそれまで楽しかった「絵を描く」ということがあまり楽しくなくなった時期でした。

技術科は大好き、得意

それと同時に、図工の授業でやってたようなことの一部は「技術」という科目になり、もの作りに関する知識や具体的な工作などはとても楽しかったし、「自分はこれは得意だ」と思っていました。

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美術は何か違いそうだと気づく高校時代

高校に入ると、美術からはまた遠のきます。

高校入学後は部活や学校行事に熱心に取り組んでいました。絵を描くのは、授業中に先生の似顔絵をノートに描いて友達が笑うのを楽しむくらい。

美術の授業も取りましたが、自分より絵がうまい人は他にも何人かいました。

高校の時は美術は5段階評価でせいぜい4でした。「4なら良いじゃん」と思う方もいらっしゃると思いますが、かつては自分のポジションが「絵がうまい人」だった自分からするとあまり嬉しい現実ではありませんでした。このことにあまり向き合ってもいなかったと思います。

一方で、文化祭などの学校の行事でパネルや装飾などを作る時には、企画から制作まででパフォーマンスを発揮していました。

「来る人はどんな人で、どう見せたら伝わりやすいか」「どんな体験をしてもらったら喜んでもらえるか」などを考えるのは楽しかったです。

こういった「美術(アート)はそこまでなんだけど、文化祭とかで色々考えたり作ったりするのは楽しいな」という感覚も、当時はまだ自分でに認知はできていませんでした。

なんとなく潰しのきく理系という進路選択

恋愛・友人関係・部活・学業など思春期特有の挫折などもいくつか味わいつつ、高校生活を満喫していた私も受験を意識する時期が訪れます。

明確な進路希望がなかった私は、国語や古典漢文・歴史などが苦手で、物理なんかが得意だった私は何となくで理系コースに進んでいました。「理系の方がつぶしが効きやすい」なんてことを誰かに言われたからとかそんな理由だったのもあります。まだ明確な意図をもって自分の進路を考えてはいませんでした。

デザインとの出会いは「大学学部学科事典」

高校2年生の2月とか3月とかだったと思います。志望校を決めるように先生から言われました。まだ明確に決まっていなかった私は、通っていた高校卒業生が多く入学している、ほどよい距離で、頑張れば行けそうな偏差値の大学をぼんやりと意識していたと思います。

でも何学部・何学科に進学するか?は決まっていませんでした。

ある日、明確な進路希望がなかった私は、教室にあった「大学学部学科事典」(正式な名称は覚えてません)をパラパラとめくっていました。

A4くらいのサイズで、中身はモノクロ印刷。文学部、工学部などにカテゴリー分けされ、各ページ1枚1枚には「経済学科」など学科単位での説明がありました。確かベネッセさんが発行していたものだったと思います。

それを眺めていたのは放課後で、珍しく部活の練習のない日だったような気がします。教室には自分の他に人がいなく、ひとりでした。

「絵を描いたりするのは好きだけど美大でアートをやるのはちょっと違いそう…」
「ものづくりが好きだから機械工学科かなぁ?でも、完全にしっくりはこない」

こんな風にページをめくっていくと、初めて見る学科名が目に飛び込んできました。

「工業デザイン」

うろ覚えですが、
使いやすさと美しさを兼ね備えた「機能美」をもった製品をデザインする

とか書いてあった気がします。

この時に自分の中に衝撃が走ったのは鮮明に覚えています。まさに稲妻が走るような感覚でした。

これこそが自分がやりたいことだと思い、「アート」は自分の道じゃないと思っていたこと、「物作り」だけにもしっくりこなかったことの両方にも大いに納得しました。

それまでの自分の知識の中にあった選択肢にうまくはまらずにモヤモヤしていた進路が、「デザイン」という言葉・概念を提示されたことで、急に輪郭が見え晴れやかな気持ちになりました。

「これしかない」

そう思った私は、そのページを読み込み「工業デザインを学べる学科のある大学」欄に記載されていた大学の内、当時で一番偏差値の高い大学に目標を定めました。色々な大学についてよく知らない自分が唯一判断できる物差しが偏差値だけだったのですが、トップ校に行けばデザイナーになるための一番良い教育を受けれるだろうと考えたのです。

(もちろん、志望校として定めた後に大学について調べたり、オープンキャンパスへ参加したりして、志望動機を確かなものにしていきましたが、結局志望校はそのままでした)

こうして私は「デザイナー」という職業になるために、デザインの勉強ができる大学を目指すことにしました。

現役生の時は力及ばず、浪人をしてしまったのですが、1年後、無事に第一志望校に入学することができました。当時はいろいろと大変な思いをしましたが「デザイナーになるために志望校に合格したい」という一心で頑張りました。浪人時代は大変な思いもしましたが、頑張って良かったです。

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一番上を狙い、そこから逆算して行動したこと

当時の自分をほめて上げたいのが、ある分野を定めた後に「その領域のトップ校を狙った」ということです。
トップを狙った後、それを実現するために何をすべきかを計画し取り組むという発想をしたのは合理的かつ挑戦的。我ながら良いアプローチをしたと思います。笑

むしろ今現在、自分はそんな思考や姿勢を取れているのかというと反省する点もあるくらいです。

高校生の自分よ、あの時は良い判断をしたな。ありがとう、おかげで今も楽しく仕事しているぞ。
そして今の自分よ、あの頃の熱量を今もお前は持ち続けているか?あの頃の自分が今の自分を見て誇れる姿でいるか?

これから先、自分へ問いかけ続けたいと思います。

最後に

ここまでの長い文章を読んで下さりありがとうございました。(なんと約4,000字。ちょっと書きすぎました)

最初に書いた通り、何かドラマチックな出来事があったわけではありません。自分が得意だと思っていたことが、成長と共に拡大する社会の中で揺らいでいくというのは大小こそあれ割と多くの人が経験しているのではないでしょうか。

そんな中、新しい枠組みを得たことで自分のやりたいことがはっきりしたというのは、私にとってひとつの原体験にはなっていることにnoteを書きながら気づきました。視点を変えるとバチッとはまることがあったりするんですね。

ちなみに「工業デザイン」という言葉に出会って進学しましたが、結局プロダクトデザイナーにはなりませんでした。これは時代の流れや大学でデザインを学ぶ中で視野が広がった結果です。今はより広い意味でのデザインに携わることに喜びを感じています。

こんなエピソードがどこかで何かの役に立つことがあれば嬉しいです。

それではまた。ジオ(@ziozio_tb)

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