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めんこい

夜桜舞い散る。
私は縁側に座り煙草をふかし、桜が散っていくのを見つめていた。
一枚また一枚、春の終わりを告げる風が、春に咲く花をと共に地に帰っていく。
自らの儚い生涯を終わらせる日にお似合いである。
微笑を浮かべ、着物の袖から薬瓶掴み口を開け真上向いた。
後は飲むだけだ。薬が瓶から出て口に入るほんの数秒だ。しかし、薬が私の大きく開けた口に入ることはなかった。
裏口の方から可愛らしい声が聞こえたからだ。
縁側には薬が辺り一面にばらまかれている、かくいう私はスッと立ち上がり裏口から外に出た。
お隣の家との間にある草むらにこの可愛らしい声の主がいるみたいだ。
草をかき分けると、黒い子猫がうずくまって鳴いていた。
見るからに、皮と骨しかない、顔には左目の横に白い毛が黒板にチョークで線を引いたような毛が生えていた。しかし、弱ったな。私はもうすぐ命を絶とうというのに、この黒猫は私より先に生命の炎が燃え尽きそうではないか。「弱った、弱った、弱った」口ずさみながら草むらと裏口を数回往復し裏口の扉に手をかけたとき、野犬の鳴き声が聞こえた。
「いかん」声を出し駆け足で猫の元へ戻り、懐に入れ家に戻った。
お恥ずかしい話だが私は片付けが幾分苦手なもので、自らの手に負えなくなり女中を雇っていたが、財布を逆さにしても出てくるのははげた革の繊維のみ。
女中を雇えなくなってからのこと。
書斎以外の部屋は踏み場もないくらい散らかっている。ひとまず猫を書斎の座布団の上に置いて着物をかけておいた。
台所に行き、皿に水を汲み戻った。
猫は舌で水面に波紋を広げながらなめていた。
偶然にも机の上にお隣さんから頂いたカツオの刺身が少し残っていた。
水に溺れるではないかと不安になるくらい猫は水をなめていたが、カツオを横に並べ私の手が皿から離れる前に食べ始めた。
少し身の上話を挟むと、私は横浜生まれ横浜育ち三人兄弟の三男だ。
人と付き合いがうまくいかず次第に外に出なくなりひたすらに文学に勤しんできた。
兄たちは漁師と喫茶店の主人をしている。
輝かしい兄たちと比べ私は作家という言葉にしがみついる有様だ。
ハイカラでいうとノベリストだったか。
ここ最近は、酒もやめて煙草にしている、酒は飲むと自分でも抑えきれない心の葛藤が表に出てしまうからだ。
金も底をつき質屋に着物などを入れて生活している始末だ。
原稿用紙の前に座ると不思議と鉛筆が足早ににげていく。
私は昔から猫が好きだった。
誰にもこびて生きていないのが勇ましく惹かれた、しかし、まさか拾ってくるとは思いもしなかった。
そんな売れない作家の話をしていると、猫はぺろりとカツオを食べ座布団に戻り座っていた。
私は猫をまじまじと見つめみた。
この猫、男前な顔と万物を見通せるような気を起させるくらい綺麗な黒と黄の目に、相対さない白い髭がなんとも可愛らしい。
毛は多少汚れているが、毛のつやが電球の光を体に帯びるように反射している。
あぁ何という美しさなのだ。私は欧州の彫刻を眺めているかのような気分だ。
見とれていると猫は私の視線に気付きそっぽを向いてしまった。
そう言えばこの猫の名前を決めていなかった。
しかし、子供いない私には名前を付けるという事が慣れていなかった。
幾つもの候補を挙げては何かしっくりこない、「違うな、違うな」とぶつくさ言い本棚から色々な本を引っ張り出して机に載せ読みだしたが、いい名前ない。
途方に明け暮れ、反対側に座っていた猫も寝てしまった。
ふと庭に目をやるとほんの少しだけ桜が残っていた。
桜を見て思いついた。まるで、初めて眼鏡をかけた時のようにはっきりと名前が思いついたのだ。
今は吞気に寝ている猫は私が桜を眺めているときに拾った子なので、ソメイヨシノという桜から名前を借りて「染好(ソメヨシ)」と決めた。
誰にも染まらない子でありながら、みなから好まれる子であって欲しいという
私の願いもあった。
試しに「染好」と呼ぶ、ピクっと耳だけは反応してくれた、少し安堵した。
時計に目をやると午前三時を過ぎたところだ。
特にこれといった予定もないが布団を敷いた。
目を瞑っていると染好は私の背中のほうに入りまた眠った。
朝になり、雷の光だけが見られる雷光の音が頭の辺りで聞こえる。
まだ夢なのだろう確信し目を開けると染好が顔の前で座って喉を鳴らしていた。
「そうか、もう朝だな。ご飯にしよう」と話、台所に行き牛乳を皿いっぱいに入れ飲ませた。
私は染好の姿を見ながら煙草を吸っていた。煙の合間から見える染好の姿はまだまだ子猫だ。
染好は飲み終わるとこちらに顔をみせて軽く鳴いて見せた。
黒猫なのも相まってか口の周りに白い円が出来ている、当の本人は気付いてない、私が笑っているのを見てきょとんした顔で首を傾げる。
愛くるしいな。

それから、瞬きをするよりも早く数年の月日が流れた。
染好は拾った時とは見違えるくらい大きくなった、もう子猫何て冗談でも言えない。
私の作家としての活動が軌道に乗り、相変わらず女中を雇い家事してもらっている。
私が猫と暮らしている事を綴った。「猫に拾われた男」がどうやら飛ぶように売れているみたいだ。これも染好のおかげである。
しかし、不思議な事に染好が家から出ているところを見たことがない。
何度も裏口から「行っておいで」と声をかけても私の足元で八の字を書くように歩き回るだけ。
少し前に病院に行って注射を打ってもらったときに相談したが、医者からは「そうですね。猫も人間同様性格があるので、家が好きな猫は家にいますし、飛び出す子だっているのでその子の個性に近いものなので問題ないですよ。」そう言われた。
言われてみると、染好の性格はどことなく、私に似ている。
というと考えすぎかもしれないが、染好を見ると自分を映している気分になる。
無口で他との関わりを持たず心のよりどころを一つ見つけそれに癒着している。
だからこそ、ここまで長く暮らせているのかもしれないな、「同じ穴のムジナ」なんてことわざがあるくらいだからな。「そうだろ、染好!」縁側で日向ぼっこをしている。
染好は尻尾軽く左右に振り答えた。
女中の清子が書斎にきた。「すみません、少し伺いたいのですが」「なんだい、何でも言ってくれ」「えっと、今裏口近くの草むらに白い子猫がいるのです。」「ほう、親猫は?」「それが辺りを探しても見つかりませんでした。」「そうか、今は夏で外に出していると危ないな、家に入れよう。」「わかりました。すぐ連れてきます。」
そう言って清子は裏口にかけていった。
染好は何か感じ取ったのか、珍しく私のあぐらをかいている足元に来て顔を見るや否や甘く鳴いた。「どうした?新しい子が怖いのか?それとも捨てられると思っているのか?そんなこと微塵も考えてないよ。」染好はかまってほしそうに、お腹をこちらに向け寝転がって見せた。
こんなに甘えている染好は久しぶりだった。私も嬉しくなって、存分にお腹を撫でた。
猫の触り心地はいつも不思議なものだ。
白い猫を運ぶ清子の足音が近づいてくる。

                               甲骨仁



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