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僕の入院観について。

どーも仁さんです。

最近は動画でドコスコ喋って発信してたので、こちらはすっかり。

さて、Twitterで繋がってる方はご存知のとおり、ただいま私めは入院中であります。

そんな入院中の日常をTwitterで呟きまくってるわけですが、

ある人からは「入院中なのに前向きですごい!」

とか、

「入院した事ないから質問したい事たくさんある」

と言われたりなど。

あとは、当たり前なのかもしれないけど、おれが

「入院しちゃったーてへぺろ⭐︎

みたいなテンションでツイートしても

「ビックリしました…お大事に」
「大変でしょう…お大事に」
「早く元気になって飲みに行こうね!」

という、まぁ神妙な反応をたくさんいただくのです。

このリアクションねー


いたって正常な反応だと思います。


たぶんおれの感覚がバグってるだけ。
ただそのバグってる俺からすると

そんなに畏まらなくていいのにな

と正直思ってしまいます。

恐らく、俺が今まで人生を通して体験し培われた

入院観

が、みんなと乖離してしまっているのかな、と思う。

何故そう、人と違った?特殊な?知らんけど、価値観が根付いたのかなってのは、まぁ色々理由があるわけで。

せっかくの機会なので(クソ暇なので)ちょっとそこまとめてみようと思います。

1.そもそも入院しすぎ


まずシンプルにここかと。

聞いてると、まず入院経験がない人が絶対的に多いのが、逆に俺は驚いちゃうんだよね笑

え?入院した事ないの??うそー??ってなる。

そう、ただ今、竹澤仁35歳。恐らく35年生きてきて入院経験は

たぶん今回で7回目

なんですね。

そりゃーさあ。

0対7じゃ価値観違うのも仕方ないだろーと笑

野球でもサッカーでもその点差だったらチャンネル変えちゃうでしょ(知らんけど)

で、細かく振り返っていくと、

まず小学生の頃に2回。この時は謎の高熱。

この時の入院で、持病の心臓弁膜症が発見され、その後の人生を共にしていく事になる。

次に大学時代、ノロウィルスにかかって入院。

網走の大雪降る中、一滴の水すら飲むことができず吐きまくって、出すものがなくなり胃液を通り越して胆汁まで吐き出したあの時。つらかったなぁー笑

4回目が美術館勤務時代初期、肺炎で入院。

40度の高熱が出て、肺が飛び出すかと思うほど重い咳。呼吸より咳の方がしてたんじゃないかってくらい咳しまくり。あれもつらかったなー笑
入院して点滴打って、ジワジワ回復していくのがとても嬉しかった。

そして5回目、これがデカイ、心臓弁膜症悪化で入院。

定期検診に行ったら「悪化してるから切らないとダメだよ」と言われてすげー絶望したあの日。つらかったなー笑

で、6回目が心臓手術後退院してすぐ高熱を出し再入院。

当たり前だけど、切りたてほやほやな心臓を前に高熱は危険なサイン。即入院でしたなー。つらいこと多かったなーあの時も笑

で、7回目が今回の十二指腸炎及び膵臓炎で入院。

今回も思い返せば入院前日、みぞおちが痛くて寝れなかったもんな。つらかったよなー偉いぞよく病院行く選択した!

…ってなわけで。

とりあえずシンプルに何回も入院してるんです。

だからまず数が違うってところが、入院観の違いがでる一因かと。

2.そもそも家族の入院観が世間と違った


はい、これもだいぶデカイです。

思えば、蛙の子は蛙なのかなって感じなんですが、

ウチの家族もまぁーしょっちゅう入院してるんです。

3〜4年に一度は誰かしら入院してんじゃないかな?だからそのたびに

「あーそう、入院するのー、じゃあ準備しなきゃねー」

とか、まぁ俺の場合なら

「じゃあこの日なら仕事休みだから運転とか出来るよー」

と提案したりとか。そう、入院するって事に対してかなりフランクなんですね。

でもこれは、適当だったり、どうでもいいと思ってる訳では当然なく、

なんなら、これくらいフランクで軽く扱われた方が

当事者はメチャクチャ気が楽。

という事を家族みんなが理解しているから。

俺自身、これを特に強く体験したのが、5回目の入院、持病の心臓弁膜症が悪化した時の事。

定期検診で告げられた「切った方がいい」の宣告。

入院経験がそれなりに豊富な俺でも、手術経験はゼロでした。

さすがの俺もこの時は絶望した。

だって、心臓切るんだよ???心臓だよ??急所中の急所だよ??

なんだよそれ…一回死ぬようなもんじゃんか…ってか

心臓開けて失敗したら死んだこともわからずこの世を去るんじゃん

そう、超ネガティヴ思考が頭を駆け巡り、正直恐怖しました。

定期検診の、正しい結果は1週間後にならないとハッキリしないので、1週間後にまた来てねと。
ただ、悪化しているのは明白で、切ることは逃れられないだろう。

そう言われました。

その1週間。事の重大さに、家族にその事を告げられず、悶々とした日々を過ごしました。

1週間後の病院へ行く前日。現実を目の前にして、いざ入院、手術となる、その上で心臓手術が得意な病院はどこ??

そんな知識一切持ち合わせてないわけで。

そんな五里霧中を行くより、餅は餅屋ではないが、病院への知識が明らかに豊富な親に相談すべきだと。
1日前になってやっと決断したんです。おせーよバカ←

ものすげー覚悟して告白した記憶があります。

実は心臓弁膜症が悪化して、切らないといけないかもしれないんだ…と重々しく母親に告白すると、

母は

「そうなの?じゃあ切りなよ」

と、かるーーーーーい返事がポンっと帰ってきました。

しかしどうした事か。そんな1週間近く悶々と悩んでた俺の心がパァーッと晴れて、

もう次の瞬間はすっかり、入院と手術に向けて話が進んでいました。

ここでさぁ、どうだろうね?

おれが告白した後、たとえば

「えぇ…そんな…じゃあ…手術しなきゃなのかい?…そぅ…それは大変だ…」

みたいに返されたらどうよ???

俺の中で留まってた暗い気持ちが家中を包み込む訳ですよ。
そうなるのが怖いから言えなかったわけで。

軽く「切っちゃえ」と返してくれたお陰で、そこから手術への恐怖はすっかり消えて、とっとと切って治す!という思いのみになったのです。

そこからかもしれない、入院観が大きく変わったのは。

病気になっちまったもんは仕方ねえからとっとと治そうぜ。

って思うようになった。

母親と話合ったその後は、俺含め家族一同切る気満々になったので、手術執刀担当の先生に「じゃあいつから入院しますー?」と聞かれた時、即答で

「いつでもいいです。準備はできています。」

と答えられた。

覚悟は当然ながら、仕事の方も先回りしてすでに長期休暇をお願いしてあったので、マジでこちらはただ切るのを座して待つのみ状態。

あまりないパターンなのか『予想外の返事がきた』って感じで一瞬呆気に取られる執刀医先生。

「あ?そうなの??」

と、やや気の抜けた発言の後、先生もそこからスイッチが即手術モードに入り「じゃー僕はこの日が空いてるから、逆算してこの日に入院してもらって、この日とこの日に血を抜いて、この日に手術!はい決まり!」と、トントン拍子で手術計画が決まった。

恐らくだけど、ここで「じゃあ一度家に持ち帰って考えてきます」とかしたら何ヶ月後になってたんでしょうね?わかりませんね。

あともう一つ、気が楽になったエピソードが、まさにその手術直前の体験。

手術当日、その時は家族全員と、母方の叔父も面会に来てくれた。

しかしまーずーっとペチャクチャ談笑してんのよ。
こっちはあと数時間後胸開くんだぞと笑

ただねーこれが結局いいわけで。

患者当事者にとって一番に求めるのは

日常なんです。

いつも通りでいい。特別じゃなくていい。
そんな空間、空気が一番ありがたい。
これから心臓切るってのに、緊張感すっかり忘れてたもんね。

最後手術室に運び込まれる自動扉が閉まるギリギリは、家族叔父そろって笑顔で「いってらっしゃーい」って、ちょっと旅行に行ってくるみたいに送り出された。

まー気が楽っていうよりは、重さが全くないのがいい。

もうそうなると、いよいよこんな経験そうそうないから

俺1人で全身麻酔のギリギリまで味わおうとワクワクしてたからな笑

と言うわけで、そもそも家族みんなが入院しすぎってのと、入院に対してネガティヴどころか重さが一切無いのが、入院観を大きく変えた要因であると言える。

3.ツライ経験しすぎ


3つめはこれかねぇ。
もしかすると、今までの内容で十分もうツラくね?って思うかもしれないけど。

1は単純に回数の話、2は環境の話。

で、3は細かい内容の話。

まぁーシンプルに言うなら

痛かった数々の話。

です。

よく、会社の健康診断の時期になると見かけるのが

採血でナーバスになっている人たち。

なんか、この世の終わりだーくらいに凹む人もいて、
そんなにかー?と思っちゃう。いや確かに注射は痛えけどさー。

別にその人たちが弱すぎとか、俺がすげぇんだぞと言いたい意図は一切ありません。

これは1にも通じる話だけど、心臓病で入院してた時は

毎日採血だったからね。

そう言う日常を一度経験しちゃうと、ただ一回こっきりの採血に、なんの感慨も生まれなくなってしまうわけです。

なんか“痛い自慢”みたいになっちゃうから、この項はすごく話しづらいけど、入院観について話すなら触れなきゃなので続けますが。。

まず採血なんてのは日常茶飯事。

問題は、それよりヘビーな試練の数々。

細かく話すとキリがなくなるので、ザザーッと羅列して話すと、

・いきなり背中から注射して体内の水を抜くと言われる。
・いきなり動脈の血を抜くため股関節の血管から採血すると言われる。
・径食道エコー(惨めなほど人前で吐きまくる)
・カテーテル(血管内に異物が這いずり回る感覚が恐怖)
・体内から飛び出たチューブ3本をを3カウント数えたら一気に引きずり抜くと言われた時(あの3カウント怖すぎ)
・尿管に刺さった管を抜く時(ありえん痛かった)

などなど。

あとは痛さでなく、恐怖体験なパターン。

肺のレントゲンを撮り、医師の診断結果待ちの中、俺のそばに居た助手が

「僕にははっきりした事は分からないのですが、肺に影がありました。

とだけ告げてきた時。

…今考えるとちょっと配慮足らなくね?あの助手(笑)
そりゃー内臓に影あるって怖い以外ねぇだろ!
その上で踏み込んで聞いても

「僕は助手なので、最終判断は医師がします」って。

あー今思うと無責任だなーあいつ笑
いたずらに俺の心を恐怖のドン底に追いやってくれたよなー。

これは肺炎になった時のエピソードです。

結果は肺炎だったんだけど、影があるとか言われたら「えっ…肺癌??」って思っちゃうだろ。あの助手め!!タイムマシンあったらあいつどうにかして当日欠勤にしてやる!

それはさておき。

その肺に影エピソードに近かったのが、今回の十二指腸炎でもありました。

今回は胃が痛い!食当たりか何かだろう!とりあえず診てくれーって病院に駆け込んで。

最初は対応した先生も「まー食当たりとかで、そう重いものでは無いでしょう」と言い、検査も血液検査のみでいいだろと、CT検査はやりすぎかなと最初は言ってました。

そう聞くと、俺自身も「あぁ、重いやつではなかったか」とホッとするわけです。

とは言いつつ、やりすぎかなーとされてたCT検査を一応やって、検査結果を待合室で待っていると。

自分の番号呼び出されるのをずっと待っていたら、着たのは呼び出しコールではなく

車椅子を持った看護師さん

でした。

え???

と困惑するおれ。
そして、特に詳しく話すことを避ける感じで(なんならワザとらしいくらいのニコニコテンションで)

「ちょっと驚いちゃうよねー(車椅子を出されて)ちょっとこれに乗ってあちらの部屋にいきましょう」

と促された。

もうね

ここでおれは、思ったよね。

「またか」と。

車椅子で運ばれるや否や、バタバタと手配に追われる看護師たち、そしてここでもまたいきなり造影剤を使った検査をしますと告げられる

「またこれかよ」と。

例の如く何がどうで、こうなってるかは明確に告げられないまま進められる、明らかに深刻たがらこそやる精密検査の数々

「はいはい、またこれね」と。

一通りの検査が終わり、車椅子に座って最終結果待ちの中。

どうせ今どの看護師や助手に聞いても明確な答えは返してくれない(返せない)というのは、経験上分かりきっているので、じっと黙って待つ。

ただこの時のおれは、逆に最悪のパターンまで発想を伸ばしていました。

そうかー、身体に傷痕増えちゃうのかー

って考えてました。

まぁ最悪手術なんだろーなと。そうなったら仕方ないよね、切ろう切ろう。と、覚悟とも諦めとも違う、謎の悟りの境地。

まぁあれよね。いろんな体験しまくったが故に

鬼が出ても蛇が出てもなんでもどーぞ、やるよやるよ。

ってスタンスでいられる。

結果キツイ事言われてもそう構えている方がショックが軽いと知っているから。

で、結果は十二指腸炎で、絶食しながらの点滴治療。と聞いて、ああこれはノロの時と似たパターンだと思って、それはそれで知った土地をもう一回歩く感じで、気は楽でした笑

今更こんなこと言いますが、

入院生活はツラい事ばかりです。

だからみんなが神妙になるのもわかる。
でもしゃーねーもん、やんねぇと治らねぇんだから。

だからもう、降りかかる様々な痛くてツラくて怖い検査とかも

クエストをクリアするために必要なイベントって認識で挑んでます。

ああ次はそのステージ行くの?今度はあのボス倒すの?はーい、みたいな笑

だからまぁ普段生活してるモードとは全然違うよね。物凄く臨戦態勢。ただ、ずっと張り詰めてたって疲れるだけだから、そこでどんだけリラックス出来るか、なんなら楽しめるか。そこが大事だなと。


まとめ


けっこう今さっきの文章がまとめな気もするけど。改めてまとめるなら

なっちまったもんはしょーがねぇから、とっとと治す。

ってのと

それって特別な経験だから楽しんで味わっていこうぜ。

の2つが、ぼくの入院観なのかなと思います。

Twitterでは、あたかも入院生活をエンジョイしているようにつぶやいてますが、実際エンジョイしてます笑

これって不謹慎なのかなー??でもさー、日々採血とかはもちろん、色々な痛かったりツラい検査が当たり前のように降りかかる日常をこなしてる当事者なんだから、不謹慎も何もねぇよなー

どうでしょうか。すこしは伝わりましたか?僕の入院観。

ただ最後に一つ気をつけなきゃと思うのは、文中で患者当事者が求めているのは日常であると述べたけども

必ずしも全員そうではないと、僕は思います。

「なんで自分だけこんな目に…」と考える人もいると聞くからねー。
でもおれはフランクでいいと思うんだよな。重くしようと思えば容易く重く出来る話を、まんま重くしてどーすんのさと。そう思うんだけどねー。

以上。僕の入院観について、でした。

あとね、入院経験がどーこー以前にね、俺自身

理不尽な出来事に振り回されるのが好き

っていうどうしようもない性格があるので、
まじでそれ以前に…という話なのかもしれません笑

はい、なにかさらに聞いてみたいことがあればこちらのコメントでもTwitterのDMなどでもどーぞ。

長文失礼しました。


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