川上未映子『黄色い家』を読み終えた。 生きる人は皆猶予の中にいるけれど、その猶予をあくまで自分としてどう生きるのか、その切実な問いを真っ正面からぶつけられた心地がしている。 ■居場所がない 物語の後半。花がPoint of no returnを越えた頃。 彼女は汗水かいて働き、彼女を非難するであろう人間達に向けて叫ぶ。 “いったいどこでその汗水をかいているんですか?” 汗水かいて働けるひと。彼らが皆確保している居場所。 この物語は、そうした居場所なき人々の物語
私とこだま 私は仕事で月2往復は東海道新幹線に乗っている。 コロナ下の新幹線はガラガラで、ひと車両に数人しかいないこともざらだった。 ここ半年くらいはその状況も変わり、休日はほぼ席が埋まってしまうこともある。ひかりは特にその傾向が強く、特に急いでもいない私は空いているこだまに乗るようになっていた。 そんな私にとって、平野啓一郎『富士山』はまるで日常のすぐ傍にあるように錯覚する物語だった。 『富士山』に編まれた変化可能性 『富士山』を一読して私が感じたもの。 それ
再読される物語たち 自分の中には再読を繰り返している短編集がある。 大江健三郎の「見るまえに跳べ」と藤原伊織の「ダックスフントのワープ」である。 この2冊。物語の形やその内容に共通点があるわけではない。 ただ、どちらの作品も収められた小片の隅々まで作者の機微が張り巡らされ、のせている物語が漂わせるものはもの悲しくも人間の生の内側を開いている。 その纏った人生の苦みのようなものは、生活の些事の向こう側に常にある。 時に見失いがちなそれを思い出すために、私はこれらを再
『死刑について』平野啓一郎・ぐるぐる考えてきたこと とても誠実で丁寧な本でした。 世の中には本当にどうしようもなく理不尽な犯罪があって、その被害者がいる。この現実はとても受け入れがたく、こどもの頃から、こうした悪とどう向き合うべきなのか?という疑問に私はつきまとわれてきた。 ぐるぐる。 痛ましい事件の報道を目にする度に浮んでくる疑問。 悪、罪、罰。責任。 それらが生活の中で亡霊のように浮んでくる人生である。 だから、平野さんが死刑についてまとめた書が出たと知り、脊髄