【いつでも、どこでも、だれとでも】
先週の金曜日、5時間目と6時間目。
私は出張で、教室を少しばかり空けることになりました。
担任がいないときこそ、学級の成長が見られると思っています。
毎日そばにいる担任です。
もしかしたら、「担任の先生がいるから」という理由で、より良い行動をとるということもいるかもしれません。
そういった考えになることは否定しません。「担任の先生がいても」より良い行動が引き出されないこともごくごく自然にあることだから。
私は毎日見ている身近な大人です。
その大人から、より良く見られたいという欲求があることは、生物的に見ても自然でしょう。何より、理由はどうであれ「より良い行動」が生み出されているという事実は変わりません。
そう考えると、一見すると悪くはなさそうですが、本質的な育ちとはいいきれないのも正直なところ。
そういった意味で、担任がいないときこそ、クラスの本当の力なのかと思っています。
本質的な学級の成長ポイントは、
○いつでも
○どこでも
○だれとでも
です。
私としても、「いつでも、どこでも、だれとでも」子どもたちの力を発揮される指導していきたいところです。
自然生活体験学習はまさに「いつでも、どことでも、だれとでも」を磨くチャンス。
いつもと違うスケジュールで、場所も異なり、関わる人も多様になります。
正直まだまだ伸びれると思います。身近な大人が、いるかいないかでまだまだ判断している仲間もいるかと。
でも、そうでない仲間もいる。
出張を終えて教室に戻ると分かった。
明らかに「いつでも、どこでも、だれとでも」本質な育ちをする仲間がいます。
雑巾が一つも落ちずに綺麗にかけられています。
日直が書くめあてのホワイトボードが、翌日のために綺麗になっています。
黒板に書かれる日直の名前が翌日ものになっています。
習字で使ったはずの半紙や教科書が綺麗にそろっている。
習字で使ったはずなのに、ペットボトルが綺麗に整頓されている。
連絡帳を提出するかごが出されています。
そして、これが驚いた。
いつも習字の後はゴミがいっぱいになっていたのですが、ゴミはキレイに捨てられ、新しいゴミ袋が設置されています。
教室には、確かに「いつでも、どこどでも、どんなときも」より良い行動ができる仲間がる。こちらを大多数にすることですね。
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