【エッセイ】三人寄ればグータン確変。

先日。
お昼ご飯のため、とあるファミレスへ行った。
隅の2人席。
私は、奥に座って注文をした。

ドリンクバーからウーロン茶を取ってきて、座って料理を待つ。

隣に人がいなかった。
そのまた隣の女性たちの声が大きかったのが聞こえてしまった。
聞きたくなくても。スマホをいじっても聞こえてくる。

幸いにも、あとから隣にお客さんが来て壁になったのだが。
会話の内容は、そこまで話すかってぐらいだ。
夏休みの昼下がり。
正面には、小学生と思わしき家族連れがいる。
ここで話すことかと思ってしまった。

まさに、『グータンヌーボ』だ。
その女性たちは、4人であったから『ドーナツトーク』という方が正しいだろうか。

失礼。
テレビっ子モードが大暴走した。
お詫びする。

ただ、私は疑問に思うことがある。
なんで、集まるだけであんなに自分をさらけ出せるんだろうと。
私なら、絶対に無理だ。
いや、待てよ。
あるな。
詳しいことは、秘密にしておきたいが、集まってあったわ。

本題に戻ろう。
やっぱり心を開けているからなんだろうか。

私自身。
心を開いていたから言えたのか。
現状で、そんな相手・・・。
いねぇなぁ。

ただ、だからといってわざわざ集合させる必要もないのだ。
集まって盛り上がらないことだってあるだろうし。
いわゆる、効果には個人差があります。
って奴だろう。

でも、さらっと話してすぐ洩れましたー。
となったら人間不信になるよなぁ。

だからこそ、グータンは抜き打ち開催じゃない方がいい。
メンツを見てグータンモードに突入していいか見極めるべきだな。
つまり、信頼関係がガッチリしている人だから成立するのだろう。

恐るべき「グータン」システム。




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