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2017年8月5日(土) | 東北旅行記⑥

【 岩手(花巻、盛岡)~青森(八戸、東北町)~東京 】

今日の目的地は、旅の終着地である「日本中央の碑歴史公園」。この場所はある本で知った。その本は、愛読書の『炎立つ』(5巻)の参巻『空への炎』。

蝦夷を平定した坂上田村麻呂は軍を津軽の奥地まで進め、とうとう野辺地まで辿り着いた。そこを制圧すると、完全勝利の証しとして坂上田村麻呂は適当な岩を選び、自ら『日本中央』の文字を刻み込んだ。朝廷の領土であると蝦夷たちに知らしめたのである。それが都母の石碑であった。

その後に、なぜ“日本中央”なのかについて、次の文章が続いていく。

「日本とは朝廷の支配する国のことではない。かつて奥六郡や津軽は日の本と呼ばれていた。その日の本の中心が野辺地一帯だったのだ。そこまで攻め込んだという意味よ」「なるほど。日本ではなく日の本」

この中央の碑の所在は明治天皇も気にかけられ、探索させたらしい。確か歴史で、 “日の本(日之本)”について聞いたことがあった。“日之本将軍”という言葉を思い出した。
東北の安東氏が名乗ったり、平将門も名乗っていたとか。何が真実かはわからない。わからないからこそ、考古学や民俗学などは面白い。

半日後には着くと思うと朝から興奮し、少しでも早く訪れたくなって当初の予定を大幅に繰り上げて電車に乗ってしまった。一人旅は自由に調整できるからいい。

釜石線でまず盛岡駅まで行き、いわて銀河鉄道に乗り換えて八戸駅に向かった。さらに青い森鉄道に乗り換えて、目的地のある千曳駅に向かった。
千曳駅は無人駅だった。駅から公園まで重たいスーツケースをひきながら徒歩で向かった。公園に近づくほど、心は軽くなっていった。その道中には、こんな原風景があった。

人に出会うことなく(車は通っていたが)、どんどん歩いていった。方向音痴なので道に迷った不安がよぎった時、郵便局を見つけて急いで向かった。ただその日は、土曜日で休み。ふと見渡すとお店らしきものがあり、そこに行き道を尋ねると案の定、道を間違えていた。
帰りの電車の時間もあったので、急いで引き返して公園にさらに歩みを早めた。教えてもらった近道を進むと、何人かの人がいたので聞いてみた。すると、そこの家が中央の碑を見つけた人の家だった。何という偶然だろうか。

公園に来た話をすると、偶然こちらに向かって来たおじいさんを紹介してもらった。当時の貴重な話をいろいろ聴かせてもらえ、すごく嬉しい出会いが最後に待っていた。
いよいよ待ちに待った実物をみることになった。思っていた公園とは違っていたが、実物は大きかった。それもいろいろな意味で。

東北旅行も無事終え、夜行バスに乗るために八戸駅まで戻った。晩御飯は、八戸名物のいか料理を食べた。いか飯が本当に美味しかった。22時になって夜行バスに乗って、経由地の東京に向かった。

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