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思い込みと想像。

最近、微妙な言葉の言い方が気になるようになった。
時々、言葉の使い方に風見鶏のように、好奇心が向いてしまう。

不安だから、怖い。
不安だから、嫌だ。
不安だから、○○だ。

私が変わっているだけかもしれないが、私は少し違った言い方をする。

不安だから、楽しい。
不安だから、ワクワクする。

決して、リスクを愉しんでいる訳ではない。
いや、どちらかといえばリスクを愉しんでいるかもしれない。

厄年の時に、会社を辞め、引っ越しまでした。
よく言われた。

「何もせずにじっとしておいた方がいいのに。」
「厄年の風が通り過ぎてから、動いた方がいいのに。」

私は厄年だから、あえて動いた。
もし不幸なことが起こっても、それは私の責任ではないと言えるから。
そして、厄年って本当にあるんだよねと笑っていえるから。

もし本当に不幸なことが起こったら、笑っていられたかはわからないが。

昔から、悪いことは続かないと思い込んでいる。
いつか、反転していいことが起こるとさらに思い込んでいる。

反対に、良いことが起こると不安になったりする。
と言っても、深くは気にしない。

たまに、あえて妄想する。
起こってほしくない悪いことを。
妄想した悪いこと以上のことは決して起こらない、と思い込んでいるから。
実際、悪いことは起きた試しがない。

たいてい、悪い想像以上のことは起こらない。
仮に起こっても軽い。

いや、待て。
そういう思い込みが実際リスクを軽んじて、
  大きな問題を引き起こしているのかもしれない。

なかなか難しい、言葉の使い方は。
正しい使い方なんてもともとなくて、
  どう使うかはその人が決めればいいだけかもしれない。

決めたことに対する覚悟を自分で持てさえすればいい。
それを周りが応援できれば、もっといい。

不思議な、おまじない」でもふれたが、言葉の使い方はおまじないだ。

最後の最後になって気になった。
「だから」ではなく、「けれど」のような気がしてきた。

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