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(マネジメント⑥)新しいマネジメント ~ビッグ・ピボットとレジリエンス

ビッグ・ピボット

この聞きなれないビッグ・ピボットについて、『ビッグ・ピボット』(アンドリュー・S・ウィンストン著)の日本語版序文にて、わかりやすく紹介されている。

VUCAの先にある、より本質的な潮流を読み取ることができれば、正しい方向に経営の舵を切り直すことができるはずだ。本書はそれを、「ビッグ・ピボット」と呼ぶ。
( P5より )

ビッグ・ピボットとは、何度も出てくるVUCAの時代を生き残るための戦略の一つ。ビッグ・ピボット戦略のキーワードの一つに、「正しい方向に経営の舵を切り直す」という言葉がある。間違った方向に進んでいても、正しく舵を切り直さない、いや切り直せない会社にとって必要な戦略である。

この本には他に参考になった経営の考え方がある。ビッグ・ピボットには、成長を再定義する「デカップリング」、ゼロそしてその先をいく再生産の「リジェネレーション」、循環性を表す「サーキュラー」という三つの原理原則がある。
この原理原則を実践していく経営を、レジリエントな経営とウィンストンは呼んでいる。このレジリエントな経営(以後、レジリエンス経営と私は呼んでいく)が、マネジメント2.0では重要に鍵になる。

レジリエンスは近年いろいろな場でよく目に耳にするようになった。ウィンストンはレジリエンスを、不安定な世の中を渡っていく力と定義している。

今まで聞いてきたレジリエンスの定義の中で、一番しっくりできた言葉である。VUCAの時代は不安定な世の中であるから、この表現が響いたのかもしれない。レジリエンスについて、次に詳しく思索していく。

レジリエンス

一般的にレジリエンスは、“回復力/復元力/強靭力/逆境力/折れない心”  などと訳されている。関連する本も数多くあり、防災やビジネスリーダーに関することで近年よく耳にするようにもなった。

この言葉を聞けば聞くほど、何とも言えない違和感が体の中を駆け巡っていた。この違和感の正体は、苦しんでいる人/弱っている人/疲れている人/今にも倒れそうな人にも、“強さ” や “回復すること” を求めていること。このことを感じるたびに、息苦しくなった。

苦しんでいる人などに「頑張れ」などの強いメッセージ性のある声を掛けることは、かえって逆効果になる。実際私も間違ってメッセージを発信した苦い経験がある。
苦しんでいる人たちからも、「頑張れと言われると、頑張っていないみたいに聞こえて自分が情けなくなり辛い」と聞いた。

本当に必要なことは、ただ傍に寄り添うことだけでいいのにも関わらず、声を掛けてしまう。

回復していくスピードは人それぞれ。「弱くても、ゆっくりでも、いつでもいいから、いつか戻って来ればいい」と以前から思っていたから、一般的なレジリエンスの意味に違和感を覚えた。

この何とも言えない違和感があった時に出会った本が、『協働知創造のレジリエンス』(清水美香著)。本を読み始めてすぐに、レジリエンスへの違和感が別の感情に、本に対する共感そして共鳴へと変わった。

気づくと、「どのようにすればレジリエンス経営ができるか」を模索していた。人に優しいマネジメントを探し求めていた。レジリエンスが経営に必要な理由を、『ビッグ・ピボット』では次のように書いている。

この先何が起こるかは、誰にもわからない。わからないからこそ、自分たちを守るためのレジリエンスが必要なのだ。不安定さや不確かさに対応できるシステムが必要だ。
( P377より )

そして、「レジリエンスとは、VUCAの時代に対応できる(生き残る)システムだ」とある。

一般的には、わからないことをわかる/認めることは、非常に難しい。しかし、難しいこと/拒絶したいことを受け容れることで考え方は変わり、思考が拡がり、マネジメント全体の見直しにつながっていく。

このようにレジリエンスについて思索を巡らせていた時にふと、「レジリエンス経営のヒントが日本にあるのではないか」と漠然と思った。

日本には創業100年を超えて生き残ってきた老舗の会社が数多くある。これらの会社の共通点は、伝統文化があること。創業100年を超える老舗の会社そして伝統文化のある会社から、レジリエンス経営のヒントが発見できるのではないかと考えた。

国外のマネジメントばかり目を向けていたが、国内にあるマネジメントについても探すことにした。

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