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肩書き。

会社に居る頃から、どうも肩書きや役職が好きではなかった。呼ぶのも呼ばれるのも、好きではなかった。何が好きでないのか。

それは、肩書きや役職でその人を推し量ろうとするから。そして、多くの人は肩書きや役職で接し方を変えようとするから。

どうも私はそういう気がないから、担当者の頃から管理職などの偉い(?)人に対して、へりくだった態度を取らなかった。人としてや仕事人としての相手の態度に応じて、私の態度を変えていた。

そうすると、「生意気な奴」と嫌な顔をする人や、「お前、態度悪いぞ」「俺は、先輩だぞ」「俺は、課長だぞ」などなど嫌みや凄み(脅し?)をいう人など、様々いた。
上職とか関係なく人として許せない人には言わなくてもいいのにはっきり、「だから、何なんですか?」「だったら、肩書きや役職にあった仕事をしてくださいよ」と、さらに生意気なことを言っていた。完全なケンカ腰というか、臨戦態勢をすぐ取っていた。

私が好きでない肩書きや役職を、人はなぜか気にしてしまう。名刺には、肩書きや役職を明らかに高らかに記す。

会社を辞めて名刺が必要になった。どんな肩書きなどにするか悩んだ。始めは肩書きなど要らないと思いつつ、名刺をつくる以上はあってもいいなと思い、「じゃ~、どんな肩書きや役職にするのか」で悩んだ。悩んだ末に、よくわからない「訳し家」を名乗るようにした。

よく聞かれるのが、「翻訳(日本語 ↔ 外国語)されるのですか。」と。近いが違う。そもそも日本語以外話せない。「想いをカタチにする」という意味での翻訳として「訳し」にした。

それ以上に人格を顕したいという想いがあって、「家」をつけた。士業などの四角く固くカタカナっぽい響きのある資格ではなく、漫画家や落語家のような丸く柔らかくひらがなっぽい響きのある人格を顕したいと思ってつけた。

ちゃんと説明すれば、だいたいの人は納得してもらえる。しかし説明の機会がないと、ほぼわかってもらえない。だから言われる、「もっとわかりやすい肩書きでは?」と。あえて説明しないとわからないような肩書きをつくったのに、わかりやすい肩書きをと言われることほど、悩ましいことはない。

そう、肩書きや役職は身分証明書のようなもの。ひと目で何者かがわかれば、それで十分。だから、わかりやすいありふれた肩書きを求められる。しかし、わかりにくいからこそ、会話が拡がっていくことがある。

始めから説明することもあれば、相手から質問されたりすることもある。ありふれた肩書きや役職ではない、個性の部分をより深く知ってもらえる。そんなツールが肩書きではないだろうか。

会社を辞めてから出会った人の多くは、同じように肩書きに悩んでいる。一つの肩書きに収まらず、何をしているかを全部言うと相手が混乱する。でも最近は、個性(あり方や人格)を顕した肩書きを名乗る人が増えてきている。

何者かがわからにくいから、相手を知ろうとする。相手への好奇心をかきたてるような肩書きが増えたら、いいなと思う。

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