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譜面を作ってる人の頭の中①_【ピアノアレンジ編】

たまにはちょっとだけ専門的なことを書こうと思う。

今日書きたいのは、音楽での「コード」の話。「ド・ミ・ソ」が「C」になる、あの「コード」のこと。あ、といっても「コードの事、わかりやすく教えます」的なものじゃないですのであしからず。

売られているポピュラーの楽譜を見ると、よく譜面にコードが付いてる。だれかがその曲を聞いて楽譜を作ってくれて、この場所のコードは「C」なんだよと教えてくれてるわけだ。昔の僕はそれを見て「音を記号で表しちゃうのって、すごいな」と思っていたと同時に「どうしてこの楽譜を作った人は、この部分を『Cだ』と自信を持って言えるんだろう」と思っていた。

単純にその部分が、ピアノのみで「ド・ミ・ソ」の音がチャーン♪と鳴っているなら、僕でも「Cです」と断言できる。でも実際は、ベースからギターからボーカル…と、いろんな種類の音が同時に複雑に鳴っている。他のコードネームで書いても良いはずだ。それなのに「C7」でも「C6」でもなくどうして「C」と書かれて出版されたんだろう。

僕は「きっと楽譜を作る人ってのは、何か特別な力を持っていて、一瞬聞いただけで『このシチュエーションで記すべきはCです』と即座に分かっちゃうんだ!」と信じていた。そしてその後、僕自身が「そういう人(つまり楽譜を作る人)」になった事で、ようやく分かった。そんな人は居なかったのだ

僕は中学生の頃から「月刊Piano(月Pげつぴ)」を愛読していた。これを買えば、普通なら1曲分の楽譜しか買えない金額で、はやりの曲の譜面がたっぷり手に入るからだ。そして「この楽譜を作ってる人たちって、どんな人なのかな。きっとこんな譜面は一瞬で作り出せちゃうんだろうな。すごいな」とトキメイていたのだ。
時が経ち、今の活動を始め、ついに自分が月Pの取材を受けることになったので、僕は担当者さんに近づいていき…経緯は割愛するが…とにかく、自分の連載が開始された。晴れて自分の憧れだった「ピアノアレンジの世界」に飛び込むことになったのだ。「どうして『C7』ではなく『C』と結論づけるのか?」の答えを知れるのは、きっと間もなくだ。そう思った。

この話は僕の自伝を書くつもりで始めたわけではないので、ドラマ仕立てで書くのはこのへんでやめておこう。これから書く内容は「僕が譜面を作る時」に限った話なので、それだけはご承知おきいただきたい。

僕がこの10年近く連載をしてきて覚えたのは、勝手に「ヤマハルール」と呼んでいる校正のクセのようなものだ。文章にも当然、各出版社の「校正ルール」のような物があるわけだから、譜面にもあるのは自然なことだと思う。膨大な楽譜を日々出版しているヤマハだからこそ、このような一定の基準がないと「一冊の本の中で基準がバラバラ」…なんてことになってしまう。

「どうしてC7とも聞こえるのに、Cにしたんだろう」という僕の疑問の答えは、そんなルールのためだったのかもしれない。「原曲を聞いて”そこ”がC7だったとしても、アレンジしたときに”そこ”にB♭の音が入っていなければ『C』とする」というルールがあったのだ。原曲を『アレンジした後にどう弾くことになったか』の結果として「C」と書かれたのだ。
これに気づいた時、僕は「あそこに書いてあったのは、原曲そのもののコードじゃなかったのか」と、驚いたものだった。
 (わかりやすく断定して書いてますが、それに限らないシチュエーションもあります)

その時のアレンジャーさんは、原曲で鳴っている(ような気がする)「B♭」の音を、譜面上には配置しないことに決めたんだ。理由は分からないけど、いろいろなことが考えられる。「無理にB♭音を入れることで、何かを失う」と思ったのかもしれない。「弾きやすさ」「和音の自然さ」「メロディとコードとの衝突回避」などなど… 結果として「ド・ミ・ソ」という和音が放つ雰囲気さえあれば、この曲は要素を失わない…と判断したんだろうと思う。

今回、この「要素」という言葉を使わせてもらったわけだが、この「要素をずっと考え続ける」というのが、ピアノアレンジで一番大事(…というかほとんどこの作業)なことだ。複雑になり続けている音楽を聞いて「要素(その曲を、その曲たらしめているもの)」をピックアップして、10本の指で、弾きにくくなく再現させるか…を考える。しかしその「要素」の判断の度合いは、アレンジャーによって異なるのは仕方のないことだ。

わかりやすい例として。ちょっと古い曲だが「ラブ・ストーリーは突然に」という小田和正さんの名曲がある。あの冒頭に「チキチーン♪」というギターの音が入っているのは有名だと思う。じゃああの曲のピアノアレンジをしてください…と、AさんとBさんに投げたら、Aさんは「チキチーン♪」をピアノで再現させて弾かせる譜面を作った。Bさんは「チキチーン♪」を消して、バンド・インからの譜面を作った。どちらも「ラブ・ストーリーは突然に」の譜面ではあるけど、あの「チキチーン♪」を、Aさんは「要素だ」と考え、Bさんは「要素ではない」と考えたわけだ。こういう取捨選択を、もっと細かい一音一音や和音に対して考えている…ということ。「その音を外しても、その曲に聞こえるか?」という問題は、初心者用の譜面になればなるほど膨大に襲いかかってくるので、実は初心者用の譜面を作るほうが大変なのである。ちなみに、僕が「ラブ・ストーリーは突然に」をアレンジするなら、あの「チキチーン♪」は「その曲における大事な要素」と感じるので、Aさんと同じ譜面を作るだろう。

こんな例もある。演歌の例が分かりやすい。「天城越え」という歌があって、サビの最後に「あ〜ま〜ぎ〜〜〜〜ごぉ え〜〜〜」と歌われるわけだが、音源を聞くとこの部分に演歌特有の”ずらし”が入り、拍と噛み合わない歌い方になっている。「ああ、演歌ってそういう歌い方しますよね」とお分かり頂けると思うが、果たしてこれは「要素」なのだろうか。これをピアノで再現させるとなると、途端に譜面が難しくなる。なので「なるべく要素を崩さない様に注意しながら、弾きやすい位置までメロディの鳴るタイミングを前後させてしまう」という事も多々あるのだ。

鳴らせる音が多くなれば多くなるほど、複雑な動きをさせればさせるほど、その曲を「あの曲だ!」と思わせやすくなる。しかし、同時に難しくなっていく。特に最近の曲は「複雑な動きがカッコいい!」というものが多いので、アレンジャーは(自分も含め)毎回頭を悩ましていることだろう。「この音さえ鳴らしてもらえればもっとカッコよくなるのに!」と思いながらも、どう考えても鳴らさせるのは難しい。涙をのんで音符を削除するなんてことが、ザラなのだ。

「あそこで見た時はC7と書いてあったのに、こっちの譜面にはCと書いてある。どっちが正しいの?」の答えは「その譜面を必要とする人にとって、一番都合の良いコードネームを選んでたんだよ」ということ。ギタリストがソロで伴奏するための譜面なら「C7(#9)」と書くかもしれないし、ピアノ譜中級アレンジなら「C7」と書くかもしれない。ベーシストのために書いてあげる譜面なら「C7/Bb」と書いてあげるかもしれないし、バンド全員が見るREC用の譜面だったら「C」でもいいかもしれない。感覚で「ここにCM7は来ない」って事をわかってる人たちに渡すんだから。

なんにしても、どのコードを入れれば一番”その楽譜にとってふさわしい”のか、毎回悩んでる人たちばっかりでした。みんな人間だったよ。

続く


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