#12.退院
2018年8月から約2ヶ月の入院生活を終え、同年11月に退院することになった。2ヶ月というと短い様に思えるが、私にとっては非常に長い時間、激動の2ヶ月間だった。入院生活の間、妻は水頭症により意識がなくなり手術を2回実施、またシャント手術を1回行った。
普段、近親者が手術を行うケースはよっぽどでないと少ないと思うが、加えて短期間の間に複数回手術を実施することは更に限られていると思う。
どんな手術でもリスクはあると思うが、脳に関する手術をすることは素人目だが非常に怖く、見守る方としては不安だし非常にきつかった。
また妻は放射線治療により髪は抜けてしまい、抗がん剤治療による副作用から嘔吐する場面も多々あった。妻の体重は20キロ痩せてしまい、いかにも大病を患った病人という見た目だった。
私自身の環境は転勤により職場は変わり、また日中についても途中で早退し病院へ駆け込む場面も多々あった。但し職場の理解もあり、私のしたい様にあくまで「家族優先」で取り込ませてもらい非常にありがたかった。
子どもたちについても特に長女は生後3ヶ月ということもあり育児が大変だった。入院期間中は長男の保育園行事への参加、長女については100日祝いや乳幼児検診、予防接種などのイベントがたくさんあったのでクリアしていくのに大変だった記憶がある。
私にとっては妻や子どもたちの事は全て大切であったが、それでも全ては完璧にこなせるわけではなく、優先順位を付けなくてはならなかった。
私の中ではあくまで妻のことを優先することを決めていた。子どもたちのことについては可能な限り妻の母親にお願いをしていた。
退院が決まった日、妻は 「やっとお家に帰れる。子どもたちとまた普通に暮らせるね」と非常に喜んでいた。私もやっと一区切りついた様でほっとしたことを覚えている。また退院後は再度MR Iを撮る予定であり、放射線治療の結果に期待していた。一方で入院期間中に妻の病気のことについては自分なりに勉強していたので、妻の病気の悪性度や生存率もわかっていた。
「脳腫瘍の中でもとりわけ膠芽腫については悪性度が高く、一般的に5年生存率は10%程度。全がん種の中でも予後が悪いものの一つである」
このことを知っているが故に私には常に不安があった。
「今は普通に会話しているが、いつかは会話すらできなくなり、いつやらかは私や子どもたちのことも忘れてしまうのかな…」
この不安は今も消えてはいない。深く考えれば考えるほどネガティブになってしまう。
私は少なくても本人の前では「明るく、前向きな言葉」、加えて根拠はないが「必ず治る」という言葉をかけてやろうと決めていた。
記事を通じて、少しでも誰かのお役に立てればと思っています。