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パフェが一番エラいのか。

「パフェが一番エラい!」は、パフェ評論家 斧屋さんが好んで使っている標語です。書籍の帯コメントや、連載のタイトルにも使用されています。
パフェ愛好家をしていれば意識していなくとも目に入ってくる文言なのですが、僕はいつも違和感を抱いていました。
年末の余裕が生まれたタイミングに本腰を入れて調べてみると、なんと斧屋さん本人が標語の意味を解説しているラジオ音源があるじゃないですか。
今度お店で見かけたら本人に聞いちゃおうと思っていたくらいにモヤモヤしていたので、早速ラジオを聴いて自分の考えと比較してみました。


「パフェが、パンケーキやかき氷に比べてエラいと言っているわけではない」
最初にここを宣言していましたが、まさしくこの誤解が起こってしまうことを僕も危惧していました。
パフェはいわば、総合芸術ならぬ総合スイーツです。
素材:果物、穀物、スパイス、ハーブ、抹茶、緑茶、紅茶、リキュール、ウィスキー、ジン、日本酒、ワイン、コーヒー、チョコレート、牛乳、生クリーム、チーズ
要素:ジェラート、ソルベ、焼き菓子、ゼリー、プリン
構成:ケーキ、あんみつ、カクテル、アシェットデセール、郷土菓子
このあたりは周辺知識として押さえておくに越したことはなく、一概にパフェが一番エラいとは決められない、それどころかパフェを愛するなら近しい文化全般にももちろん敬意を払う必要があります。


「食べ手と作り手よりも遥かにパフェ自体の方が偉い」
どうやら、マナーが取り沙汰される食文化において、お店の人へのリスペクトを忘れないようにしようという意味がこめられているようです。
その真意には同意しますが、パフェと食べ手の位置関係がフェアではない点には自分のスタイルとの違いを感じました。


「文言には何も攻撃性がなさそう」
文言に含まれる“一番”や“エラい”が攻撃性を孕んでいないとは到底思えません。
斧屋さんの言葉選びは、パフェ学やパフェ大学にも見られるように、かねてよりパフェを権威化させようとする一貫性のもと行われています。
パフェに限らず発展途上の文化はどれも、より多くの人が消費するようになると質の低い乱雑な消費活動になってしまいます。
そこで斧屋さんは、パフェの消費増加の兆候を見て上で、バランスを取るかのようにハイカルチャー化に注力したのではないでしょうか。
高尚な活動であると意識付けすることで文化全体へ秩序を導入する狙いがあるのだと思います。


「今の自分の感覚を絶対的なものと見なさずに、なるべく素直な感覚でパフェに向き合うことが大切」
苦手な素材への先入観を取り除くべきというのは、まさにその通りだと共感するところです。
好き嫌いが分かれやすい素材でも、あのパフェの中でなら美味しいと思えたという経験は僕にもたくさんあります。
それでも、お店のメニュー表から食べるパフェを1本選ぶときに、あえて苦手そうなパフェを選ぶなんてことは、それこそ年間に数百本を食べる斧屋さんくらいにしかできない芸当だと思います。
僕は食べる前から美味しそうと思えるパフェを食べればそれでいいと思います。


「パフェに何か教えてもらおう、新たな発見をさせてもらおう」
パフェが自分よりエラいものであるなら、パフェから何かを教えてもらう関係性になるのは至極当然ですが、やはり食べ手とパフェの対等性が崩れていると感じます。
斧屋さんもおっしゃっているように、パフェは体験型のエンタメです。それはつまり、一方的に刺激を与えられるものではないということだと思います。

数年前にパフェ本への評論を書いたときと同じように、斧屋さんの思想を届けたい層(まだパフェの沼に浸かっていない人々)の中に僕は入っていないのだなと再度実感しました。

「パフェが一番エラい!」がパフェ愛好家への第一歩なら、第二歩は何にしますか。それは自分で決めることです。

僕は僕で、パフェと相互的な理解を目指す対話をしていこうと思います。


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