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『自分の人生』を生きるということ

就職活動をするときにした「自己分析」というものに、疑問を感じたことはないでしょうか?

私はあります。

就職活動を行っていた学生の当時は、特に気にもしていなかったんですが、社会人になって、会社を辞めて、転職活動をする中で改めて「自己分析」の必要性から、手に取ってみた参考書から感じたのは、「自己分析」は『一体誰のためのものか?』という違和感でした。

就職や転職活動の中で出てくる「自己分析」からは、どのようにして企業に対して自分自身を売り込んでいくか?ということを整理するために行うものという色が強く、『自己』と向き合うようで、『企業』であったり『他者』に対してどのようにアプローチすればいいのか?を分析する作業になってしまっていて、本来の「自己分析」というものとは、主語が変わってしまっていることが違和感の正体でした。

本来、「自己分析」、つまり「己を知る」という行為は、もっとずーっと大きな意味のあることなのではないでしょうか?

私たちは、充実した人生を生きたいと思っています。全員がそうかはわかりません。でも、充実した人生と充実していない人生、どちらがいいですか?と聞かれたら、ほとんどの方は前者と答えるでしょう。
だけど、「では、どんな人生があなたにとって充実した人生ですか?」という問いを投げられて、明確な回答ができる人は、実はかなり数が少ないように思います。
それくらい、みんな、自分自身がどんな時に充実感を感じるのか?どういう状態が幸せなのか?を明確に認識・言語化することが難しいということですね。

自分の内面のことは、当たり前のことすぎて改めて問われると答えるのが難しい。

ここで、必要になってくるのが「自己分析」です。(私は好んで「自己探索」という言葉を使ってます。)

自分がどんな時に充実感を感じるのか?を言語化できると何がいいの?

それは、『自分らしい人生を生きる』ために役立ちます。私たちは、普通に生きている中で、日常生活の中で様々なことを選択して過ごしています。何を選ぶということは、何かを捨てるということです。そして、何かを選ぶためには、判断するためのものさし(基準)が必要になります。選択しなければいけないことは、今日の晩御飯は何にしよう?という些細なことから、どんな企業に就職するか?いつ結婚するか?といった人生に影響を与えるような大きな問いもあります。
私は、そんな些細なことから大きなことまで、どのような選択をしてきたのか?がその人自身を作っていっていると思っています。
そして、今日、今、これからの選択の数々が自分という人間を、自分自身の人生を作っていくと思っています。
自分自身で選択をすることは、船の舵を自分の手で握るのと同じです。先の見えない海の中で船の舵を握ることは不安もあります。でも、だれかに舵を握らせないで。自分自身で舵を握ることが、『自分の人生』を生きることにつながります。

何かを選ぶため(舵をどの方角にきるのかを決める)には、判断するためのものさし(基準)が必要になります。判断するものさし(基準)を言語化するためには、自分自身と向き合う「自己探索」が必要になります。

みなさんも、『自分の人生』を生きるために、自分の内面と向き合い、自分ならではものさし(基準)を言葉にする時間を作ってみてはいかがでしょうか。

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